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 生徒玄関から入って、右手に保健室がある。  すぐにでも入室したい気持ちを我慢して、そろそろとその前を通過する。階段をのぼらなくていいのは助かった。  先月までは苦労した。重い身体を引きずって、必要以上に「出ない」ように、下腹部に力を入れて二階に行くのは、大変だった。その努力は、無駄であったと言わざるをえないが。  月に一度のルーティーン。登校したら、まずは教室へ。荷物を置いて、保健室に向かう。  ここで、トイレを経由するのが重要だ。「突然」「今」「気づかなかった」という大義名分が必要なのである。  教室に着いた菜月(なつき)は、自分の席へ。こちらはアンラッキーなことに、渡辺(わたなべ)姓の宿命で、連休前までは、窓際の最後列だ。  はやる気持ちを抑えると、自然、抜き足差し足忍び足になる。脚を大きく動かすことができない以上、仕方がない。 「あ、ねぇ」  呼び止められて立ち止まった瞬間、「出た」。一気に広がる不快感が顔に出ないように努めて、二週間前から同じクラスになったばかり――とはいえ、二クラスしかないから、同学年の人間の顔と名前は全員一致している――の級友に、笑顔を向けた。  申し訳なさそうな顔をした彼女は、両手を合わせ、「アレ、持ってる?」と、聞いてくる。指すものがわからないのは、グループが違っていて、共通言語がないせいだ。  いつものメンバーの間での暗号かなにかかと、菜月は小首を傾げる。  彼女は菜月の全身を、じろじろと頭のてっぺんから爪先まで見て、最後に胸のあたりを凝視した。小馬鹿にした様子で、嫌な感じ。  そして彼女は、ふっと笑った。 「あー、いいや。どうせ『まだ』でしょ」  何がまだなのか困惑していると、仲のいい友達が登校してきたようで、「アレ持ってない?」と、同じ質問を投げかける。その子とは以心伝心、 「あるよー」  飛んできたのは、四角くて薄いパッケージだった。ナイスコントロールとナイスキャッチが噛み合って、手中に収まる。 「サンキュー」 「ユアウェルカム!」  英語の教科書でしか見ないやりとりとともに、さっとポケットに隠すが、菜月には見えていた。思わず目を丸くする。  まさか、教室を堂々と飛び交うなんて。  菜月の視線を気にした様子もなく、彼女はトイレへ悠々と向かった。  ここでようやく、「アレ」が生理用品で、「まだ」が初潮も迎えていない子どもだということを示していたのだと気づいた。  あの嫌な感じは、未成熟な同級生を見下す気持ちが滲んでいたのだ。  中学二年生ともなれば、クラスの八割は生理が来ている。聞いたわけではないが、たぶん、そう。  特に女子校は、体育の着替えのときに身体を隠すこともない。誰がどのくらい胸が大きくて、もう初潮を迎えているのかなんて、だいたい推測がつく。  凹凸がなく、大人の女とはほど遠い菜月の体つきから、「お子様」と判断されたに違いなかった。 「うっわ。下品」  背後から、小声の非難が聞こえてきた。振り返ると、去年から引き続き同じクラスの友達だった。飛んだナプキンの行く末を見ていたらしく、眉を顰めている。 「女子校って、なんでこう、恥じらいってもんをなくすんだろうね?」  三代でこの学校に通っている、というのが密かな自慢の(かな)は、校則どおりの丈のスカートのプリーツを、丁寧に直しながら座る。  菜月は、二年目にして変な折り癖のついた自分のスカートを思わず省みた。 「恥じらい、かあ」  四月だが、今日は二十五度近くまで上がる予報で、朝から気温が高い。大きく脚を開いて、ノートでスカートの中にバッサバッサと風を送り込む姿、とてもじゃないが、男子には見せられない。  環境は大切だ。去年、入学したての頃は脚を揃えておとなしく座っていたはずだし、生理用品を忘れて友達に助けてもらうのだって、こっそりと、闇取引めいたやりとりをしていた。 「だいたい、急に生理が来たなら、保健室に行けばいいのにね」  ま、鬼ババがいるんだけど。  奏の言葉に、菜月はハッと、自分のすべきことを思い出した。 「そうだね。うん。私、トイレ行ってくる」 いつしか朝礼の五分前になっていて、教室にはほとんどの生徒が集まっていた。
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