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矛盾が辛くなって、でも世の中にはおいしいコーヒーとか紅茶、コーン茶が蔓延していて、それらを飲んだら単純な脳はおいしいに気を取られ悩みを忘れてしまう。
帽子を作っていると神経を研ぎ澄ましているからそれどころではない。ミシンといつになったら仲良くなれるのだろう。敵意むき出しに進むのだ。長い付き合いなのに私の意向を汲み取ってはくれる優れものではない。帽子といっても、カンカン帽からキャスケットまで様々。ニット帽はミシンを使わなくていいけれど秋冬だけだ。最近はハロウィン用の魔女帽まで頼まれる。三角錐に吸い込まれそうになって、我に返る。縫って、縫って、裏返せばできあがり。
夕飯を作る時間だ。今日は義治さんから連絡すらない。忙しいのだろう。舞台の脚本から小道具、出演から照明までこなす。今は稽古中なのかもしれない。役者になりたい若者が減って、事情やら根性の都合で出演者が変わることが頻発して、義治さんはおじさんだから抜け毛がすごいのにもっと禿げてしまう。頭頂部とか前方ではなく全体に薄い。白髪もぽつぽつ。苦労しているのに、彼は劇団から離れられずにいる。
普通の不倫ならば、会いたいとか性欲についてわがままになれるのだろう。その点でも私たちは違う。恋愛に限りなく近い。
「会いたいよ」
考えるのは自由。稽古が終われば彼は朝までバイト。私よりも、夫よりも大変な生活を送っているのにお金を稼げない。そういう人っている。不器用というか、生きることに向いていない。本人だけが楽しそう。周囲からは苦しそうに見える。魚だって水に溺れるらしい。義治さんは手先が器用なのに生きるのが下手くそすぎる。得手、不得手を自分でわかっていない。
困ったことに、格好良くないはずの義治さんには追っかけみたいなファンの女性が二人いる。義治さんが稼げないことを知っているから、旅行に行っては味噌や柚子胡椒などを買ってくれる調味料さんは細身で、いつもフレアスカートとべレー帽。もう一人は、本当に特徴がない人で、この前は着替える時間がなかったのか事務服で夜の部の公演を見に来たおかっぱ頭さん。二人に共通しているのは顔のパーツは悪くないのに、なんとなく顔に馴染んでいない。
その二人もある程度はお金を持っていそうなのに、義治さんはなぜか既婚者の私を選んだ。完全なるヒモになれないのも彼の甘いところ。
ロールキャベツを煮込みながら、義治さんにも食べさせたいなと思った。その気持ちはファンの二人と同じなのだろうか。
彼女たち二人は明らかに私よりも年上だ。若さだけで義治さんは私を見初めたわけではない。ファンの二人では面倒だったのだろう。結婚とか、愛されること、尽くされることを避けている。調味料は使うし、おかっぱさんからもらったもふもふのマフラーとかふかふかのクッションを愛用はしても、仮に恋人になったら人としてそれなりに扱わなくてはならず、義治さんにとっては邪魔なのだ。
既婚者だから私が選ばれたとしたら、それはそれで寂しい。
「違うよ」
と義治さんはすぐに訂正してくれる。私だって夫には、
「愛してる?」
と聞けなくても、義治さんには気になったことはすぐさま、
「どうして私?」
と尋ねられる。遠慮がないのは、いつでも切られる関係ということだ。
絶対にそう答えることはわかっているのに無駄な電話をかけてしまった。でも、安堵。
金曜の夜は義治さんを自由にする約束。舞台の初日のことが多いし、週末の夜はデートするカップルも多いから目にしたくないのだろう。もしかしたら、私や夫に気を使っているのかもしれない。
私の帽子づくりに曜日はあまり関係ない。土日にフリマとか販売会が入っていれば別だが、今のところ出店は年に二回程度に留めている。そんなに作り置きができない。人にあげてしまったりネットで売れてしまったり。コスプレーヤーさんから注文も入るし、義治さんから依頼される舞台の帽子や衣装を優先して当然だ。
義治さんに会わないからといって、私は寂しくない。
土曜日、決まって夫は私を抱く。風呂上がり、ソファで髪を乾かしているとうしろから包み読むように座って、寝巻に手を入れてくる。そのままそこですることもあるしどちらかのベッドへ行くこともある。ほとんどが私の部屋。夫は自分のベッドを汚すのが好きではない。
今日はそのままらしい。ソファの背もたれに足をかけられるから楽。
私の体に入ってくる感触を比べたりはしない。腰を掴む手もキスの数も愛撫の時間も比較しない。
夫のセックスが物足りないから他の男に走る女の人も少なくないだろう。それとは違うのだ。レタスとキャベツは形が似ていても味も触感も大きく異なる。そして、どちらも好きな人がほとんどだろう。片方だけ好きなんてサラダ好きに会ったことないもの。
こんなのは不倫をしている言い訳にすぎない。
夫が気づいている様子はない。
厄介なのは夫よりも日曜の朝に決まって電話をしてくる母親だ。孫ができないことを気にして私よりも病んでしまいそう。自分はああした、こうしたと伝授してくれるのは嬉しいけれど、ゆっくり寝かしてくれたほうが子どもが授かるのではないだろうか。
「波子、布団干していい?」
夫が自分の布団を手にしている。
「うん」
「電話?」
「お母さん。代わる?」
黙って首を振った。私もスピーカーにして布団を干す。一人でも話せるのは母の特技かもしれない。
ベランダへは私の部屋からでないと出られない。2LDKと納戸の少し年数の経ったマンションでも駅が近くて周囲におかしな人も住んでいないから気に入っている。
今日は夫は釣りに行かないようだ。シーズンではないのかな。
「ちょっと聞いてるの?」
と母の声がして、
「うん、うん」
と慌てて相槌を打つ。電話を切ったら夫が、
「駅前に新しいカフェができていたよ」
と教えてくれた。
「行きたい」
パニーニがメインのお店だった。夫はエビを、私はたまごを注文した。
飲み物は二人ともハニーレモン。
「おいしい」
「うん」
と返事をしながら、テイクアウトできることを確認。義治さんにも食べてもらいたいなって考えちゃう。
隣りの席で利口そうな夫婦が税率がどうとか話し合っていた。私の愛は半分にはなっていません。パイが増えるの。言い訳ではないし、理想論でもない。
天気が良くても悪くても、私はほぼ家にいたい。夫の弦くんも今日は家にひきこもるようだ。読書かな。
「波子みたいに人の領域を犯さない女って少ないよ」
と結婚前は話していたけど、今でもそう思っているならば私の領海も侵さないで。
理不尽なのが人間だ。自分は不倫をしても妻の浮気を許せないのが普通の男の人だと思う。女もそうなの。ごめんね。
弦くんが浮気したら嫌だ。泣くだろう。笑うかもしれない。
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