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「片山待てよ、反省会しようぜ」
着替えて楽屋から出ようとした三喜雄を呼び止めたのは、東京の国立の芸大で声楽を学ぶ塚山天音だった。彼は三喜雄と同じく札幌出身で、モテるためにテノールを歌っていると豪語したり、身だしなみにやたらと金をかけたりするところが三喜雄的にはほぼ異星人なのだが、高3の時にコンクールの準本選で知り合ってから、一方的に友達だと思われている。彼は帰省すると、会おうと三喜雄にメールしてくるのだ。断る理由も無いので、大概つき合っている。
塚山の姿に、今日の三喜雄は逃げ腰になった。
「え、嫌だ、これから東京に居るグリーの同期と後輩が祝ってくれるから」
塚山はええっ? と不満気な顔になる。
「一緒に行っていい?」
「グリーで歌ってるような人種は嫌いなんだろ? おまえ大学の友達が観に来てたじゃないか」
塚山は今回、2位と、審査員特別賞を獲得していた。高校時代からテクニシャンで、日本最高峰の芸大で更に磨きをかけている。羨ましくないと言えば嘘になるが、教育大学で学ぶのは何かと面白いので、これも三喜雄は現状に満足している。
三喜雄の言葉に、塚山は怒る猫のように鼻の上に皺を寄せた。
「友達じゃねぇよ、偵察しに来てるんだよ」
塚山が言い捨てるのに三喜雄は驚いて、つい声が高くなった。
「偵察って、それは悪く受け取り過ぎだ」
「おまえは北海道の暢気の化身か」
俺は暢気なんだろうかと思いつつ、三喜雄は塚山の先に立ち、スーツキャリーを持ち直した。ロビーに出る通路を進んだが、遅くなったので、観に来てくれた友人や家族はもう帰っただろう。
同窓会を兼ねた祝宴は、三喜雄が泊まるホテルに近い店を予約してくれている。集合の18時まで少し時間があるので、ホテルに戻る前にホールのカフェで何か飲もうと思った。
その時、自動ドアに向かう華奢な、横顔の綺麗な男性が三喜雄の目に留まった。どくんと心臓が鳴り、あ、と思わず声が出る。コンクールのパンフレットを右手に持つその人は、高崎奏人に似ていた。いや、確かに彼だった。かつて三喜雄の練習につき合ってくれた、才能溢れる美術部の下級生。
もう長らく、高崎の耳に快い声を聴いていなかった。三喜雄は小走りでドアの外に出て、コートの裾を翻す黒い髪の後ろ姿を追ったが、2年前のように捕まえることはできなかった。ひゅっと冷たい風が吹き、上気した三喜雄の頬を撫でる。ごちゃごちゃと人が行き交う週末の都会に、華奢な背中はあっという間に紛れ込んでしまった。
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