らいく☆あ☆ひーろー

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 冷たい風が肌を突き刺している。  この季節で感じる感覚の中で嫌いな部類のものだ。  相川光輝(あいかわこうき)は、かじかまないように左手をコートのポケットに突っ込みながら駅前で佇んでいる。  空いている方の手で光輝はスマートフォンの操作をしている。  画面にはこの場所の天気予報が表示されている。  その天気予報によると、まもなく雪が降るとのことだった。 (道理で今日はいつもより寒くなってるってわけだな……) 「光輝!」  冷気がスマートフォンを持った右手へと突き刺していることに光輝は不快を感じていると、彼の目の前に女性の姿が映る。  彼女、小野寺瑞希(おのでらみずき)は光輝と比べてひとまわり小柄であり、肩までかかったセミロングのくせっ毛がチャームポイントだ。 「ごめん光輝。待った?」 「ううん、今来たところだよ」  テンプレートじみた待ち合わせの掛け合いを二人で交わす。 「ならよかった。というか光輝は手袋してないの? 絶対手とかかじかむでしょ?」 「忘れてきたんだよ……」  光輝の服装は黒色のコートに赤と黒のチェック柄のマフラーといったこの冬にふさわしい防寒具を着用している。  瑞希とのデートの準備を入念にチェックしていた光輝であったが、肝心の手袋は忘れてしまっていた。 「もう、光輝ってそういう抜けてるところあるよね」  瑞希の方は紺のコートに白一色のマフラー、そして白のニットの手袋といった冬服としては完璧な服装だ。 「ちょっと両手を前に出して」 「えっ?」  光輝は右手に持っていたスマートフォンをコートのポケットにしまい、瑞希の言われるがままに両手を前に出す。 「えいっ!」  瑞希は光輝の両手を包み込むように、手袋をした自身の両手で握りしめる。  冷気で凍えきっていた光輝の両手に瑞希のぬくもりが伝わり、今まであった凍えが治まっていく。 「これで光輝も暖まったね……」  瑞希は日だまりのように温かな笑顔を光輝に向ける。  その笑顔で光輝は両手だけではなく、心の芯まで温まった感覚を覚える。 「じゃあ、これで映画館行こっか!」 「えっ、その格好で? ちょっと目立たない?」 「あっそっか……」  瑞希は光輝と向かい合って両手で繋ぎながら映画館へ向かう光景を想像したのか、口をぽかんと開けた。 「もう離していいよ。映画館は駅と目と鼻の先だから、そんなに外歩かないし」 「うん……」  瑞希は渋々と寂しげに、光輝の手を離す。 「それじゃあ行こっか!」 「待って!」  光輝が映画館の方を向くと、瑞希は引き留めるように声を掛けた。  そして、瑞希は自身の右手で光輝の左手の指を絡めるように握りしめる。 「せめて片手だけは、ね?」 「ありがとう」  光輝と瑞希は、いわゆる恋人繋ぎをしながら映画館へ向かった。  二人が見た映画は、恋愛要素が含まれたアニメだった。  都会の青年と田舎の少女が登場し、二人の精神が何度も入れ替わる話だった。  二人は入れ替わる度に日記帳やノートを使って間接的に意思疎通をしていたが、途中で二人の繋がりが途絶えてしまう。  しかし、紆余曲折あって途絶えた繋がりが修復し、ラストは二人は同じ街で出会うといった話だった。  筆談でやりとりしていた二人が、こうして実際に出会ってエンディングになる展開に光輝は思わず感涙した。 「うわっ、そんな泣くんだ……」 「ひぐっ……、だって……、うっ……」  涙を絶え間なく流す光輝を気に掛けたのか、瑞希は光輝にハンカチを渡す。 「ありがとう……」  光輝は渡されたハンカチで涙を拭いながら、瑞希と映画館を出る。 「あっ、これって……」  瑞希が空を見上げると、白い結晶が天界から舞い降りた妖精のように降りかかってきた。 「ねえ、雪だよ! これって今年に入って初めての雪じゃない?」 「ほんとだ……。そういえば予報でも雪だって言ってたな……」 「映画ではわんわん泣いてたのに……。そういうところはムードないんだね……」  光輝があらかじめ雪が降ることを調べていたことを不満に思ったのか、瑞希は口を尖らせる。 「まあいいや。ねえ、こういやって雪が降ってるのって恋愛ものって感じでいいよね」  瑞希は両手を上に向け、その両手で降り注ぐ結晶を受け止めながら聖母のように微笑む。  光輝はそのポーズを、彼女が雪のシチュエーションを堪能しているように見えた。 「やっぱ恋愛って、映画のようにロマンチックなのがいいよね。今みたいに。光輝もそう思わない?」 「確かに」 「ふふっ! 光輝とは映画みたいな恋がしたいんだ!」  瑞希の直球すぎる言葉に光輝の顔はしもやけのように紅潮し、思わず目を伏せる。 「あっ、さすがに今のはあざとすぎたかな……。ごめんごめん」  瑞希は舌をペロって出しながら光輝に謝る。 「でも、瑞希の言うことは分かる気がするな……。瑞希って小説とか書くもんね」  瑞希は文芸部に所属しており、部活内で小説の執筆をしている。  去年の文化祭で、自身の短編小説を展示していた。 「うん。これはわたしの持論なんだけど、創作する際のこだわりが一個あるんだけど、なんだと思う?」 「こだわり? 小説だから……、言葉のチョイスとか?」 「それもなくはないけど……」  瑞希は光輝の元へ歩み寄り、彼の右手を両手でぎゅっと握る。 「わたしが一番こだわってるのは『憧れ』。『こんな世界があるといいなー』って思いを込めて創作してるんだ。だからかなー。こういう憧れの世界を目の当たりにするとつい心が躍るんだ」  瑞希が創作について語るたび、光輝の右手を握る力がぎゅっと強くなっていく。  そして、彼女の瞳は丹精込めて磨かれた水晶のように、澄んでいるように見えた。  光輝と瑞希のデートから三カ月が経ち、二人は学年が一つ上がり、二年生となった。  クラス分けで光輝は二組、瑞希は五組と離ればなれになったが、土日都合があればデートをしようと約束したため、光輝は寂しく思わなかった。 「それでは一人ずつ自己紹介お願いね」  中年くらいの見た目をした担任の教諭がリードする形で、生徒一人一人の自己紹介が始まった。 「自己紹介全員分終わったね。それじゃあ早速委員決めするね。まずは学級委員……」 「はい!」  教諭が『学級委員』というワードが出たほぼ同じ瞬間にハキハキとした低音の女声が響き渡る。 「君はえっと……、『つきみさと』さん?」 「『やまなし』です! 『三日月の月』に『見学の見』に『里芋の里』で『月見里』です! 『月見里 成子』です! 私、学級委員やります! やらせてください!」  声の主であるポニーテールの少女、月見里成子は拡張器でも付けたかのような大きな声で学級委員を懇願した。 「やりたいって言われてもなあ……。他にやりたい女子いるか?」  教諭は生徒たちに問いかけたが、誰も挙手しなかった。 「じゃあ、『やまなし』だっけ? 君にやってもらおうかな」 「よし!」  月見里はゴールを決めたサッカー選手のように、オーバーリアクション気味でガッツポーズした。 「女子は決まったから……。次に男子でやりたい人いるか?」  教諭はまたしても問いかけるが、光輝含めて挙手するものはいない。  これは推薦とかになるのかと光輝は考えていると、月見里が大声で挙手する。 「いや今は男子の委員決めてるんだけど」 「私は相川くんがいいと思いまーす!」 「えっ?」  光輝は月見里の唐突な提案に対して驚きを隠せなかった。  なぜなら月見里は光輝とは今日で初対面だからだ。 「月見里がそう言ってるけど、どうだ?」 「えっと……」  光輝は考えた。  彼は特別学級委員になりたいと考えていなかったが、特に学級委員になりたくない気持ちもなかった。  また、ここで断れば別の候補を決めなくてはならなくなり、時間が浪費するという思考が光輝によぎる。 「……やります」  結局光輝は月見里の推薦を受けることにした。 「よし、学級委員は決まったな。じゃあ、次は……」  別の委員も無事決まり、ホームルームは終わった。  学級委員となった光輝と月見里は各組の学級委員が集まる委員会に参加した。  委員会の内容は学級委員の自己紹介や、学級委員の仕事内容の説明だった。  第一回の委員会は終わり、他の組の学級委員は去り、委員会の会場となった教室は光輝と月見里の二人だけになった。 「ねえ月見里さん。なんで俺を推薦したの?」  そこで光輝は月見里に気になっていたことを質問した。 「なんでって? そりゃあ……」  こうして月見里に質問した光輝であったが、理由として当てはまりそうと考えていたものが一つあった。 「出席番号最初だから?」 「あっ、やっぱり?」  光輝の予想は的中した。 「だって定番でしょ? 立候補者がいなかったら、出席番号で決めるの」  光輝は中学三年の頃を思い出す。  その頃も男子の学級委員の立候補者が存在せず、結局出席番号最初という理由で光輝が選ばれたのだ。  その頃に決めたのは、月見里のような女子学級委員ではなく担任の教諭であったが。  選ばれた当時は、出席番号最初になりがちな『相川』という名字を恨んでいた。 「まあ、これもなにかの縁ってことで。あっそうだ! 折角だし、私の相談に乗ってくれる?」 「相談?」  光輝は思わず首を傾げた。  出席番号最初だからという理由で自分を推薦したのは、百歩譲って理解できるとして、まさか出会って間もない人からの相談を受けるとは思わなかったからだ。 「私ね、ヒーローになりたいんだ!」 「は?」  月見里の突拍子もないセリフに対して光輝は時間が止まったような感覚を得た。 「ちょっと! 『は?』はないでしょ『は?』は! 私はね、真剣に悩んでんの!」 「ひはいひはいっへ!」  月見里はいきなり光輝の両頬を片手でギュッと掴み、激しく揺らされたため、間抜けな声で反論してしまった。 「あっ、やっと離してくれた。で、なんでヒーローになりたいって思ったの?」 「理由? それはね」  光輝は思わず唾を飲む。 「私は運動神経がいいから」 「はい……」 「あと、頭もいいから」 「はい……。ってそれ自分で言っちゃうの?」 「なにその反応?」  月見里は同様に光輝の両頬を掴みかかろうとするが、光輝が全力で逃げたことで失敗に終わる。 「だって、私の知ってるヒーローって、運動神経抜群な上に頭脳明晰でオールマイティなんだよ! それって私にぴったりじゃない? そう思わない?」 「そんなこと言われても俺、月見里さんのことよく知らないし……」 「あっ、そっか……」  月見里は光輝の台詞を聞き、目を丸くする。  その様子だと自分と光輝の今の関係性を頭に入れていなかったのだろうと光輝は推察した。 「とりあえず、保留ってことで。じゃ!」  月見里はカバンを肩にかけ、教室を出た。 「保留って……」  教室で一人取り残された光輝は、そのまま立ち尽くしていたのであった。  次の日の昼休み。  光輝は同じクラスの男子生徒の中原と昼食を取っていた。  ベリーショートの髪型が特徴の中原は光輝の中学時代からの友人である。 「そういや昨日月見里と委員会だったんだってな。お前を選んだ理由とか分かったの?」 「なんか出席番号最初だったかららしい」 「ドンマイ」  中原は焼きそばパンを口に運びながら苦笑する。 「なあ中原。月見里さんってどういう人なんだ? 確か一年のとき、中原と月見里さんはクラス一緒だったよな? 運動神経抜群で頭脳明晰のオールマイティって、自分で言ってたけど」 「まあ、『良く言えば』オールマイティだな」 「なんか含みのある言い方だな」 「悪く言えば『器用貧乏』かな。運動も勉強もできるけど、なんかイマイチパッとしないんだよね」  中原はため息を吐きながら焼きそばパンの最後の一かけらを口に放り込み、カバンからソーダ味の丸いガムを取り出して封を開ける。 「一年のときの体育であいつの運動見たことあるけど、お前が聞いたように運動神経よかたよ。足も速いし球技も難なくこなしてるし。でも、全国大会に出てる運動部のエースに比べたらどれも見劣りするんだよね」  光輝は自身が買ったツナおにぎりをかじると、彼はふとある記憶が蘇った。 「あっでも勉強はパッとしなくない? だって学年一位取ってたじゃん! テストの順位貼り出されるとき、なんかいつも珍しい名字の子が一位取ってるなって記憶あるし」 「ああ、確かにいつも一位取ってたな。でもそれって『一類』の学年一位だろ?」  この高校では『一類』と『二類』と『特進』の三つのコースで分かれている。  光輝たちが所属している『一類』より『二類』の方が入学試験が難しく、より高度な授業を受けられる。  そして、『特進』はその『二類』より更に入学試験が難しく、この学校で最も高度な授業が受けられるコースになっている。 「一番上の『特進』で一位取ってるならすごいけど、『一類』の一位ってそこまでって感じでしょ。ほら、プロ野球のエースと社会人野球のエースだったら凄みが大きく変わるだろ? まあ、アホか賢いかって言われたら賢いだろうけど」 「そうは言うけど、あの子が運動も勉強もできるってことに変わりないよ。それに比べて俺は何にもないしな……」 「そうか? 俺はカタログスペックが高いだけのあいつより、お前のほうが好感度高いけどな。現に小野寺みたいな可愛い彼女もいるわけだし」  小野寺という名前を聞き、光輝は瑞希のことを思い出す。  彼女との出会いは一年生の頃の課外活動で出席番号順によって組んだ班で一緒になったのがきっかけだ。  ホームルームで話し合い、課外活動当日では共に自炊をした。  光輝が瑞希に惹かれ始めたのは、一年の文化祭の時だ。  同じクラスの人が書いているという理由で、彼女が所属している文芸部で配布された文集を手に取り、読んだ。  光輝は普段小説は読まず、文の巧拙などは理解できなかったが、瑞希が書く小説に心を奪われた。  なぜなら、瑞希の小説から彼女の想いが全面的に伝わった気がしたからだ。  そして文化祭終わりに瑞希を空き教室へ呼び出し、告白した。  そしてその告白に、瑞希は快諾した。 「どうしてあのとき、瑞希はOKしたのだろう……」  光輝は考え事をしていると、中原は自身のガムを光輝に差し出した。  光輝は感謝の意を示しながらそれを口に運ぶ。 「うわっ! すっぱ! なにこれ! えっ! ちょっと中原?」 「まあ、そういうのはいずれ分かるんじゃない?」  中原は酸味が過度に強いガムに悶える光輝を見て大笑いした。 「だーれだ!」 「うわっ! 誰って瑞希に決まってるでしょ!」  三日後、光輝は瑞希とデートをすることになった。  そして今、光輝は待ち合わせで唐突に目を塞がれたのだった。 「あったりー! 正解は瑞希ちゃんでしたー!」 「いきなりでびっくりしたよ……」 「だって一度くらい、カップルでこういうシチュエーションをしたかったし。定番でしょ?」  光輝は眉間に手を当て、考え事をする。  確かにフィクションの世界ではこういうやり取りは定番なのかもしれないが、現実では本当に定番なのかどうかを。 「もう、そんな考えこまなくていいのに!」  瑞希は考え事をしている光輝の背中を軽く叩く。 「あっ、ごめん」 「じゃ、行こっか!」  光輝と瑞希が訪れたのは、『テーマパークで一番近いから』という理由で訪れた時代劇をモチーフにしたテーマパークだった。  園内全体が時代劇のセットのようになっており、実際にここで時代劇の撮影が行われている場所だ。  そこで二人は手裏剣投げの体験や、忍者屋敷を彷彿させる迷路などで遊んだ。  今、明治時代をモチーフとしたエリアにあるレトロなカフェで光輝はメロンソーダ、瑞希はコーヒーを頼んで満喫している。 「時代劇モチーフってテーマパークとしてどうなのって思ったけど、結構楽しいものだね」 「確かにそうだね!」 「あと、お化け屋敷で光輝が滅茶苦茶ビビってて笑っちゃったね……」 「それ恥ずかしいな……」  光輝は顔を紅潮させて瑞希から目をそらした。 「そうだ! 次はどこに行く?」  瑞希はカバンから入場時に貰ったパンフレットを取り出し、テーブルの上で広げた。  そこにはこのテーマパークのマップやイベントについて記載されていた。 「えっと……」  光輝はくまなくパンフレットを眺める。  手裏剣投げや忍者屋敷の説明が目に留まり、楽しかったなと余韻に浸る。 「これは……」  次にイベント欄を眺めていた光輝はあるイベントに目が留まった。  それは特撮ヒーローのショーだった。   「私ね、ヒーローになりたいんだ!」  このイベントを見たとき、光輝は月見里が前に放った台詞を思い出した。 (月見里さんが言っていたヒーローってこれのことかな……)  光輝はショーに出る特撮ヒーローのことは何も知らない。  しかし、このヒーローは世界の平和を守るために、怪人を倒す存在なのだといった想像は出来た。  特撮ヒーローの世界では怪人であふれかえり、ヒーローがそんな状況に立ち向かう、そんな話だろうと推測出来た。 (でも現実には怪人なんていない。月見里さんは誰と戦いたいんだろう……) 「光輝!」 「えっ! なに? どうしたのみずいたっ!」  いきなり瑞希に名前を呼ばれて驚きで後ずさると、勢いあまりって座っていた椅子を倒し、尻餅をついてしまった。 「なに? じゃないでしょ。次のスポットを決めるのにそんな悩むこと? というかお尻大丈夫?」  瑞希は床に座り込んだ状態の光輝に向けて手を差し伸べる。 「ありがと……」  光輝は感謝の意を告げて伸ばされた手をつかんだが、彼女の優しさに胸がチクリと刺された感覚を味わう。  会って間もない上に素性がほとんど分からないとはいえ、恋人とのデート中に別の異性のことを考えてしまったことに罪悪感を覚えたからだ。 「よいしょっと……、わたしもどこ行くかちょっと考えよ」  瑞希は光輝を引き上げた後、視線を机の上のパンフレットの方へ戻した。 「あっ、こんなのもあるんだ」  光輝は瑞希が指を指した方を見ると、そこにはアニメの女の子のキャラが写っていた。 「魔法少女?」 「うーん、魔法少女とは違うかな。まあ、悪やつをやっつける系のアニメに変わりないけど、このシリーズ子供の頃見てたな……」  瑞希は思いをふけるように自身の顎を両手に乗せる。  その光景を見た光輝は、先ほど見ていた特撮ヒーローと同じシリーズを子供の頃に見ていたことを思い出す。  その作品を見たときは自分もそんなヒーローになりたいと当時は考えていた。 (子供というものは悪を倒すヒーロー像に憧れるものなのかな……) 「わたしが見たやつはね、女の子たちが悪を倒す中で仲違いとか起きちゃって苦悩するんだけど、最終的には仲直りして強大な悪を倒してハッピーエンドになったんだよね!」  瑞希は目を輝かせながら子供の頃に見たアニメを語った。 「瑞希ってさ、今でもヒーローになりたいって思ってるの?」 「まさか。まあでも今は『幸せな結末』に憧れるかな。どんな苦難があっても、最終的に幸せにまとまったら最高じゃない?」 「幸せな結末か……」  光輝は瑞希の話を聞きながらストローを口にし、メロンソーダを飲む。 「あそっか! この瞬間光輝とこうしていられるのも幸せだし、『幸せな結末』ってものもすぐに見られるよね!」  瑞希のセリフを聞き、光輝は驚き、口に含んだメロンソーダが気管に入り、むせる。 「ちょっと、いきなりそんな事言わないでよ!」 「いいじゃん本当のことだし」  瑞希は子供じみた笑顔を浮かべながら前方の方へ手を伸ばす。  その手はそのまま光輝の頭をポンポンと叩く。 「これからもよろしくね! わたしのヒーローさん」 「パトロール行くよ!」  テーマパークのデートから一週間後、お第二回学級委員会後に月見里が放ったこの突拍子もない一言で、その後の休日に光輝と月見里は付近の街を出歩くことになった。 (なんで俺は休日にこんなことを……)  本当は断るつもりであったが、月見里の強引な勧誘でそういった方向へ切り出せなかった。 「なあ相川どうした? 浮かない顔して。折角女の子とニ人きりというのに」 「いや、それは……」 「ああ分かった! 相川くん彼女いるだろ?」 「なっ!」  月見里に図星を指され、後ずさる! 「えっマジ? じゃあこの状況まずくない? パトロールは私一人で行くから相川くんは帰っていいよ」 「それはそれで申し訳ないよ……。もうここまで来ちゃったし……」  光輝は月見里を一人にしたら、想像もしたくないようなことが起きそうだと言いかけたが、ぐっとこらえる。 「あそう。相川くんがそう言うなら……」 「パトロールっていうけど、悪者なんていないでしょ。特撮ヒーローの世界でもないのに……」  光輝はテーマパークで浮かんだ疑問をそのまま月見里にぶつけた。 「いるでしょ?」 「はい?」  月見里に即答された光輝は目が点になった。 「だって、悪者がいなきゃ犯罪なんて起きないでしょ?」 「あー、悪者ってもしかして犯罪者のこと? それは警察に任せた方がいいんじゃないかなー……」 「警察が見て見ぬする犯罪もあるでしょうよ」  光輝は月見里が自身の意見を聞いてもらえず、骨が折れる。 「……それ、ドラマの見すぎでしょ」  月見里は光輝の言葉を無視するように、無理矢理彼の腕を掴み、強く引っ張る。 「ほら、行くよ」 「結局見つからないじゃん……」  二人は街中をひと回り散策したが、目ぼしいものは見つからず、光輝はため息をついた。 (でもこうやって見つからないってなったら、流石に月見里さんも諦めてくれるのでは……)  光輝は今回の件で面倒ごとから開放できると踏んでいた。 「まあ、簡単に見つからないか。でも、千里の道も一歩からっていうし、また次があるか」  しかし、月見里の方は諦める様子が全くなかった。 「いや、今回も次回もないと思うよそういうの」 「何言ってんの? 諦めるなんてヒーローにあるまじき行為でしょ」 「諦める諦めないの方向性が間違ってるような……」 「なに? 私に口答えするの?」  月見里はナイフのような眼光を光輝に向けた。 「その言い回しはヒーローらしくないと思うなあ……」 「私は『ヒーローになりたい』のであって『ヒーロー』になってるわけじゃないの。つまり今の私は発展途上ってわけ」 「うわっ、すごい屁理屈。というか仮にそういうの見つけたとして、ちゃんと対処できんの?」 「できる。ボコる自信はあるから」 「はい?」  瑞希は光輝の言葉を無視し、周りを見渡す。  その後、彼女は光輝の真横あたりを凝視する。 「ボコるといっても、どこからその自信が」 「今そういう話してる場合じゃないから」 「はい? 言い出したのやまな……」  月見里は光輝の口を手で塞いで会話を制止する。  そして、空いている腕で光輝の身体を引き寄せ、そのまま抱き寄せる。  その瞬間、光輝の腕に女の子特有の柔らかい感触が伝わる。 「んんっっ!」 「静かにして」  月見里は抱き寄せた体勢でそのまま耳元で囁いた。 「向こうの方に怪しい人いる」 「えっ?」  光輝は視線だけ後ろを振り返る。  そこには黄土色のジャケットを着た中肉中背の中年男性がいた。  彼は自身のハンドバッグを大事そうに抱きかかえていた。 (確かに怪しいと言えば怪しいの……かな?) 「さてと」  月見里は光輝を強く引き離す。  そしてそのまま中年男性の方へ歩み寄る。 (静かにする意味あった?) 「あのー、すみません。少しよろしいでしょうか?」 (しかもいきなり話しかけちゃったし……)  声をかけられた中年男性は子犬のように怯え、後ずさる。  そして、彼は月見里に背を向け、そのまま逃走を始める。 「おい待て!」  月見里はそのまま彼の後を追う。 (やっぱり逃げられちゃったじゃないか……)  中年男性は裏路地に入り、月見里もそれを追うように入っていった。  月見里は裏路地で中年男性を追っている。  彼女は運動神経を自称するだけあって、スピードもスタミナも平均を超えるくらい持ち合わせている。  中年男性の方は見かけによらず逃げ足が早く、女子学生に捕まるまいと疾走している。  しかし、スタミナの方はお世辞にも豊富とは言えなかったのか、現状ぜえぜえと声を荒らげている。 (なんかスピードも落ちてきたし、そのまま捕まえられそう!)  月見里は中年男性との距離を詰め、腕を伸ばして中年男性の肩へと掴みかかる。 「ちっ!」  中年男性は咄嗟に、そばに積み上がっていたビールケースを横に倒して散らかし、月見里の捕獲を阻む。 「なっ!」  月見里は床に散らかったビールケースをどかし、彼の追跡を再開する。 (もう一度チャンスはあるはず!)  月見里にとってのチャンスはすぐに訪れた。 「くそっ!」  なぜなら、中年男性の方は逃走をやめ、その場を立ち尽くしていたからだ。 「なんで行き止まりなんだよ! くそっ!」 「運が悪かったね。それじゃあ、観念してもらわないとね」  月見里はもう彼は観念しただろうと高を括っていると、彼は彼女の方へ振り向き、ボクサーのようなファイティングポーズをとる。 「もう、このままやられるわけには……!」  中年男性は月見里めがけて右フックをかます。 「甘い!」  しかし、月見里はその一撃を避け、左手で右フックを放った腕を掴み、右手で彼の襟を掴む。  その後に彼女は彼の足を払い、そのまま投げ飛ばした。 「ぐはっ!」  投げ飛ばされた中年男性は派手に背中を強打した。 「ふふんっ! やっぱヒーローは戦えないとね。独学で格闘技学んだ甲斐があったわ」  月見里は自身のカバンから手錠を取り出し、中年男性にはめた。 「おいなんでそんなの持ってるんだ!」 「細かいことは気にしなーい」 「はぁ……、はぁ……」  光輝は息を切らしながら月見里のメッセージを元に彼女の居場所へたどり着いた。 「相川くん遅い!」 「こんなところ迷うでしょ……」  光輝の体力は尽き、そのまま床へ座り込んだ。 「さて、何が入ってるのかなー」 「おい! 人のカバンの中身を勝手に見るな!」 「それには同意ですね……」  カバンの中には怪しいものが入っているという仮説はあくまで月見里が勝手に憶測していたものであり、許可なくカバンの中身を見ていい理由にならないのが光輝の考えだ。 「あれ? これは……」 「くそっ!」 「嘘でしょ……」  まさか本当に中年男性のカバンの中に怪しいものが入っていたとは思わず、光輝は驚愕した。 「くっ!」 「その反応はもしかしてこれを見られたくなかったのかな?」  月見里はカバンに取り出したものを光輝たちに見せびらかす。  その正体はDVDだった。 「怪しいのはこれか……、ってこれは」  そのDVDは怪しいものかと思いきや、世界規模の賞をもらった映画のものだった。 「あっ、これ見たことある。めっちゃ有名なやつだよね。すごく感動するやつ。でもこんなの隠さなくていいのに……」 (いや……)  光輝はある仮説を立てた。  映画のパッケージになっているのはあくまでカモフラージュであり、中身は怪しいものなのではないかと。 「確かにこれはいい映画だ。息が詰まるほどの臨場感にまばたきする暇もないほど絶え間ないアクション。どれをとっても至高だ。世界規模の賞をもらった頷ける。けど……」  マシンガンのようにペラペラと話す中年男性の姿はとても生き生きとしており、好奇の目から見たら楽しげであったが、トークは途切れ、下へうつむく。 「けど……、妻はこの映画の主演男優が大嫌いなんだ!」 「はぁ……」  光輝がそのDVDは特別怪しいものではないと確信した瞬間だった。 「妻は言ったんだよ! この男は不倫ばかりするようなクズ野郎だって! 確かにあの方は不倫ばかりするし、それが許されることとは思わない。だとしても、この映画で彼が演じているキャラクターが素晴らしいことに変わりはない! 人物と創作は別々で考えるべきだ! なあ、そう思うだろ?」  マシンガンの如く早口になった中年男性にいきなり話を振られ、光輝はあたふたし、動揺する。 「そもそも、映画見るとき俳優がどうとか気にしたことないですし……」  俳優のことよく存じ上げないですから、と言葉を続けようとした光輝であったが、中年男性は言葉を遮るように光輝の両肩をぐっと掴んだ。 「やっぱ分かってくれたか! そうだよな! やっぱり俳優とキャラクターは分けて見ないとな!」  中年男性に同志と勘違いされた光輝は身動きができなかった。 「はい、お弁当!」  空き教室で瑞希は光輝にピンク色した弁当箱を渡した。  光輝は前日の瑞希の提案により、今日の昼休みは中原とではなく、瑞希と昼食を取ることになった。  その際に瑞希は光輝の分の弁当を作る事になった。 「うわ! すごい!」  光輝が弁当箱を開けると、卵焼きや一口サイズのハンバーグ、ブロッコリーのサラダなどが入っており、全部手作り料理で埋め尽くされていた。 「まあ、まずは食べてもらわないと……」  瑞希は光輝の弁当のハンバーグを箸でつまむ。 「はい、あーん!」 「瑞希?」  瑞希が取った行動に対して光輝は恥ずかしくなり、後ずさる。 「いいじゃん! わたしと光輝は恋人同士なんだし! 二人きりでこういうロマンチックなことしたかったから、この空き教室を選んだんだし! ほら、あーん!」 「ちょっと恥ずかしいけど……。あーん」  光輝が恐る恐る口を開けると、瑞希は箸でつまんだハンバーグを彼の口に運んだ。  口に運ばれたハンバーグは口内で滝のように肉汁が溢れる。  その瞬間、肉汁特有の脂ぎった味でくどくなると思った光輝であったが、ハンバーグの中に含まれた淡泊な物体がその味をセーブし、ほどよい塩梅で肉のジューシーな味が広がる。  光輝は淡泊な物体の正体は豆腐であると推察した。 「これ! すごい美味しいよ!」 「ほんとに! それはよかった!」  光輝の感想を聞いた瑞希は、太陽のように明るい笑みを浮かべた。  光輝は、次々と他の弁当のおかずを口に運ぶ。  どのおかずも、素材の味が口内で充満させるほどの美味だった。 「ごちそうさま! 美味しかったよ」  気がつけば光輝は弁当を一瞬と思えるくらいの時間で平らげていた。 「お粗末様! また作ろうかな!」 「無理しなくていいよ! お弁当作るのだって大変なんだし……」 「いいの! わたしがやりたいって、そう思ってやってることだから!」  瑞希が顔を紅潮させながら二人の弁当をカバンにしまうと、カバンの中で何かを見つけたらしく、目を見開いた。 「あっ、今日出すプリントあったんだった! 職員室行かないと……」 「じゃあ俺もついてくよ」  瑞希がカバンのファスナーを閉めると、二人は空き教室を後にし、職員室に目指して廊下を歩く。 「わぁ!」  空き教室近くの曲がり角で、光輝は男子生徒にぶつかった。  ぶつかった男子生徒はそのまま尻餅をついた。ボサボサ  彼の髪は伸びきっており、ボサボサしていた。 「おっと! 大丈夫?」  光輝は尻餅ついた男子生徒に手を伸ばす。 「あっ、大丈夫です。自分で立てますので」  男子生徒は光輝が伸ばした手を無視して自力で立ち上がる。 「じゃあ、僕はこれで」  男子生徒はそのまま曲がり角を曲がり、校舎の外へ出た。  光輝は視線を男子生徒から職員室へ続く廊下側に視線を移す。  そこには瑞希の姿はなかった。 (あの人にぶつかった時に先に行っちゃたのかな……。なんか急いでたみたいだし)  その代わり、光輝の視界に別の女子生徒の姿が映った。 「月見里さん……?」  光輝の視界に映った月見里は彼の声を無視し、先ほどの男子生徒と同様に曲がり角を曲がり、校舎を出た。  月見里のその光景は光輝の目にはいつもより落ち着きがないように見えた。  光輝はそんな彼女を放っておけず、彼女を追うように校舎を出た。 「オラァ!」  校舎裏で赤いTシャツを着た金髪の男子生徒はボサボサ髪の男子の顔面を殴った。 「ぐっ!」  殴られた生徒は殴られた衝撃でそのまま倒れ込んだ。 「おい山田、許可なく倒れてんじゃねぇよ!」  緑のTシャツを着た茶髪の男子生徒が、追い打ちをかけるように横になっている山田と呼ばれた、ボサボサ髪の男子生徒の頭をサッカーボールのように蹴る。 「ったく、お前はほんといらつくんだよ!」  金髪の男はズボンのトラックからナイフを取り出す。 「おい、コイツを脱がせろ! コイツでアイツに大事なところ切り刻んでやるから」  茶髪の男を含めた金髪の男の仲間たちが山田を羽交い締めにし、ズボンに手をかける。 「じゃあ、やっちまぐふっ!」  金髪の男は何者かに背中を蹴られる。  蹴られた彼はそのままうつ伏せで倒れこむ。 「何してんだよ!」  金髪の男が仰向けへ寝返ると、そこには女子生徒が立っていた。 「お前は確か、月見里?」  月見里は金髪の男が蹴飛ばされた拍子で落としたナイフを拾い上げ、倒れた彼にまたがり、ナイフを喉元に突きつける。 「その男から離れろ! じゃなきゃコイツの喉かっ切る」  月見里が山田を拘束している男子生徒たちに向けて恫喝すると、彼らは即座に山田から離れ、そのまま逃げ出す。 「ほら、あいつら離れたぞ。早くそれ捨てろ」  月見里は金髪の男の指示に従い、ナイフを放り投げて捨てる。  その後、彼女は拳を握りしめ、まるで瓦割りのように彼の顔面目がけて思い切り殴る。 「った! なにすんぐっ!」  金髪の男の反論を無視し、月見里は顔面の殴打を繰り返す。  何度も、何度も杭を打ち付けるように。 「もう、やめ……」  金髪の男はおぼつかない口調で懇願する。  しかし、月見里は無視し、トドメをささんと拳を振り上げる。 「し……!」 「やめろ!」  月見里が拳を振り下ろそうとすると、その腕は背後から誰かによって止められる。 「離せよ!」  月見里が振り返ると、そこには光輝の姿があった。 「もうやめなって!」  光輝はお構いなしに抱きかかえ、金髪の男から月見里を引き剥がそうとする。 「くっ!」  月見里はそれを抵抗するように光輝の顔面目がけて肘打ちを放つ。 「ぐっ!」  光輝は鼻頭に月見里の肘が当たり、そのまま尻餅をつく。 「あっ!」  月見里はその様子を見て我に返り、尻餅をついた光輝へ駆け寄る。 「ごめん! 大丈夫?」 「大丈夫だけど……」  光輝は月見里から金髪の男へ視線を移す。  金髪の男は完全に伸びきっており、声ひとつ出ない状況だった。 「あれはやりすぎだよ」 「だって……」  月見里は何かを離そうと口を開くが続きの台詞が出ず、そのまま踵を返した。 「ごめん……」  そして月見里はこの場から立ち去った。  彼女の背中はいつもより小さく感じた。  あの時から三日が経った。  光輝は瑞希が作った弁当を食べていた。  今日の弁当は唐揚げを中心とした具材だったが、光輝の味覚では噛み切ったガムのように味がしなかった。  原因は瑞希の料理の腕ではなく、自分に弁当を味わう余裕がないのだと光輝は分析をした。 「光輝!」  瑞希は唐突に光輝の頬をつねった。 「今日のお弁当美味しくなかったの? なんか言ってよ!」  さらに瑞希はつねった光輝の頬をぐいぐいと回す。 「いだだだっ! いだい! あではおい……」  光輝は『味は美味しい』と言おうとしたが、彼女に嘘をつくと後で罪悪感を覚えて自己嫌悪になる予感がし、そのまま黙り込む。 「ごめん……、無理強いは良くないよね……」  瑞希は頬をつねった手をゆっくりと離す。 「なんか悩んでるとか、だよね……」  そうだ、と言いたくなった光輝であったが一旦踏みとどまる。 (他の女の子のことで悩んでるとかなんて流石に言えないよな……) 「あっ、本当に悩みだとしても無理に言わなくて大丈夫だよ! 打ち明けたいときに打ち明けたらいいよ!」  瑞希は気を使い、無理に打ち明けることを制止したが、光輝にとってその優しさは針で心を突かれたように痛い。  光輝が瑞希の優しさに甘えていいのか考えていると、彼女は唐突に両手で机を叩き、大きな音を立てた。 「あっ、そうだ! 週末どっか行かない? いつも光輝がデートの計画立ててくれたから、今回はわたしが計画立てるねっ!」 「えっ?」 「ねっ! いいよね!」  じりじりと詰め寄って回答を求める瑞希の姿を見た光輝は完全に彼女の優しさに甘えてもいいかという思考に切り替わる。 「分かった! 楽しみにしているよ」  光輝は提案を快諾し、瑞希の弁当に残っていたおかずを口にかきこんだ。  静寂な図書室の中、カリカリとシャープペンシルが用紙の上で踊る音が響く。  シャープペンシルとデュエットするかのように参考書がめくられる音も響く。  中学三年になり、受験生となった月見里成子は志望校の過去問を解いていた。 「成子ちゃんもう始めてるんだ」  眼鏡をかけたロングヘアーの少女は月見里に声をかけた。 「日向か」 「志望校行けそう?」 「このまま頑張ればいけるかも」 「そっか」  月見里に『日向』と呼ばれた少女は軽く会話を交わした後、受付へ向かった。  日向は受付の図書委員に本を返し、月見里の席付近へ戻る。 「日向の方はどうなの?」 「成子に比べたら全然だよ。一類に行けたら万々歳かなって感じ」 「まあ、コースは違っても学校は同じだし、二人とも受かったら一緒に学校生活出来るね」 「おー、そっか。だったら尚更頑張らないとね」  日向はそのまま席に座って受験勉強すると月見里は推測していたが一向に席に座る素振りを見せない。 「ここで勉強しないの?」 「勉強? まあ、したいのはやまやまなんだけど……」 「何か用事でもあるの?」 「まあ、そんなとこ」  日向は苦笑を浮かべながら月見里の質疑に答えた。 「じゃあ、また明日ねっ!」 「また明日」  日向は踵を返し、早足で図書室を後にした。    月見里はしばらく勉強した後トイレに向かい、用を足した後にトイレを退室し、図書室までの廊下を歩いていた。 (日向は用事だったか。あいつも受験生だというのに大変だな)  月見里が考え事をしていると、彼女の前方に男子生徒の集団が視界に映った。  見た目は髪の色が奇抜であったり制服を着崩していたりとお世辞にも模範とは言いがたい風貌をしていた。  彼らは何やら会話をしているようだ。  会話の内容は月見里にはほとんど聞き取れなかったが、所々にあるワードだけは鮮明に聞こえた。 (『西山』って……)  月見里が唯一聞き取れた『西山』というのは日向の名字であると予想がついた。  しかし、月見里が見る限りでは彼女と男子生徒たちの接点はないように感じた。  月見里は付近の教室内に掛かっていた壁時計を眺めた。 (まずい……、もうすぐ塾の時間だ)  月見里は男子生徒の話を無視して早足で図書室に向かい、男子生徒とすれ違った。   後日、月見里たちは夏休みを迎えることになった。  夏休み中、部活に入っていなかった月見里は塾の夏期講習で勉強漬けの毎日を送った。  彼女は塾だけではなく、自主的に過去問を中心に試験勉強を懸命にこなした。  その結果、八月に行った模試でも前より問題が解けた実感が湧き、この調子で頑張れば志望校に受かると確信した。  そんな夏休みが終わり、月見里は久しぶりに自身のクラスの教室で席に座っていた。 「みんな席についたか? これから全校集会だけど、その前に話さなくてはならないことがある」  四十代半ばのふくよかな教師は神妙な表情で教壇に立った。 「西山なのだが、今日から他の学校に転校することになった」  教師の言葉を聞き、月見里は驚愕のあまり固まって動けなくなってしまった。  まるで時を止められたように。 「なんで転校することになったんですか?」  月見里は起立して恐る恐る教師に聞いた。  聞かれた教師は一瞬だけ月見里の視線から外れるように目をそらし、再び視線を家の嬢の方へ向けた。 「父親の仕事の都合だ」  月見里は教師の言葉が信用ならなかった。  教師の不審な行動もその理由の一つではあるが、それよりも転校する前に自分に連絡一つもしなかったことが不自然だと考えた。 「分かりました……」  月見里は蚊が鳴いたような小さな声を上げながら席に座った。  放課後、月見里は教師に転校の理由を問い詰めた。  教師は彼女の猛攻をのらりくらりと躱していたが、月見里が納得の行く回答をするまで居座ると発言した後は、渋々と彼女を進路指導室に連れて行った。 「改めて聞きます。あの子が転校した本当の理由は親の都合ではないですよね?」  教師はバツ悪そうな表情を浮かべ、重い口を開いた。 「誰も言わないって約束するか?」  教師は神妙な表情に切り替え、月見里に事の顛末を話した。  結論から述べると、西山の転校の理由は『いじめ』だった。  西山の話によると、放課後にいつもいじめているグループに呼び出され、暴行を繰り返されたとの話だった。 「西山はあと一年耐えればこの地獄から抜け出せると思ったのか、このことを誰にも打ち明けることはなかったのだが、『夏休み前』に取り返しのつかないことが起きてしまった」「取り返しのつかない事って?」  月見里は即座に教師に質問したが、何も話さずただ首を横に振った。  彼は単にごまかすつもりでその行動を取ったのではないと月見里は推察した。 「それって……」  月見里の脳裏に夏休み前で見た男子生徒集団が焼き付いた。  お世辞にも上品とは言えない風貌。  品性の欠片もない笑い声。  鮮明に聞こえる『西山』というワード。  そんな不快なビジョンがこびりつき、月見里が何度も剥がそうとしても取れず、彼女の意識はビジョンに飲み込まれていった。 「成子!」  お昼休み、低めの女性の声が月見里の鼓膜を響かせた。 「あっ、ごめん。ボーッとしていた」 (まずい、つい中学時代のことを思い出してしまった……) 「大丈夫? 最近調子悪かったりしない?」  月見里に呼びかけたボブカットの女子生徒、宮本はチョココロネを手に持ちながら月見里の顔を伺う。 「なにかあったら私たちに言ってね」  宮本と共にポニーテールの女子生徒、美山も月見里の心配をした。 「そういえば、前にこの学校でいじめが発生してたみたいだけど、すっかりなくなったね」 「そうだね。何があったんだろうね」  宮本と美山が話していることは山田の一件のことだろうと月見里は推察した。 (あの一件は『結果』で考えたら一件落着なのかもしれない……)  月見里には少し引っかかっていることがあった。  それはいじめを止めた『行程』だ。 (でもああでもしないと止められなかったのかもしれない……。仮に軽く注意しても聞く耳持たないし、教師に告げ口したら『チクられた』と逆上していじめが激化したのかもしれない)  しかし月見里は自分が取った行動が正しいとは思えなかった。 (私が正しいことをしていなかったから、相川君は止めたんだと思う……。あの時の私は正気とは思えなかったし) 「なーるーこー!」  宮本は月見里の両頬を片手で掴み、呼びかけた。 「むぶっ!」 「もう! また考え事してたでしょ? 本当に大丈夫?」 「あっごめん……」  月見里が気を取り直すようにサンドウィッチの袋を開けると、教室のドアの外の男女二人組に目が留まる。  男子の方は月見里が見慣れているツーブロックの髪をした男子生徒、相川光輝だ。  月見里と共に学級委員に務めてから彼とはよく話していたが、例の一件以来最低限のやりとりしか言葉を交わしていない。  女子の方はセミロングのくせっ毛がチャームポイントの子だ。  月見里は彼女との面識はないが、去年の文化祭で文集を出していた子だという認識があり、彼女の名前が小野寺瑞希だと言うことも知っている。 (そういえばあの子、相川くんと親しいよね……)  小野寺は彼女と話している最中に、彼の両手をもてあそぶように優しく握ってスキンシップしている。  相川の方は小野寺と話すことが楽しいのか、屈託の鱗片すら見せない笑顔を浮かべている。  その様子は月見里から見れば幸せそうに見えた。 (あの一件あっても相川くんはこうして幸せでいる。これで良かったかもしれないね)  放課後、月見里は図書室に訪れた。  理由としては本でも読んで気分転換したいと考えたからだ。 (いざ本を読もうといっても何読めばいいのか分からないよね……)  月見里は無難に『今流行っている本コーナー』にあるところから本を選ぶことを決意した。 「何か読みたい本あるの?」  月見里の後ろから高めの女性の声が聞こえた。  月見里が振り返ると、そこには昼休みに見かけた相川と一緒にいた女子生徒、小野寺がいた。 「あっ、ごめんなさい驚かせちゃって」 「大丈夫だよ。あっ、確か小野寺さんって文芸部だよね。なにかオススメとかあったりするの?」 「あるよ~」  小野寺は月見里の手を握り、まるで子供を誘導するように向こう側の本棚へと誘う。 「こういうのとかどうかな?」  小野寺が勧めたのは、表紙に可愛らしい女の子が描いてある本、所謂ライトノベルというものだ。 「意外。小野寺さんは文芸部だからもっと文学的な本読むものかと……」 「うーん。正直そういう本よりこういうライトノベルの方をよく読んだりするかなー」  月見里は小野寺が薦めた本を手に取る。 「でも、こういう本読んだことないから新鮮味あっていいかも。ありがとう!」 「いえいえ」  小野寺は自分の本を気に入られて笑みを浮かべたが、すぐさまにうつむき、表情に影がかかった。 「あっ、そうだ。月見里さんに一個聞いていいかな?」 「なに? 本を薦めてくれたから答えられることなら答えるよ」 「ありがとう。じゃあ聞くね」  小野寺は一旦話すことを中断して軽く深呼吸をする。 「光輝……、相川くんとなにかあったの?」 「えっ?」  月見里は自身にとって予想外な質問が飛んできたため、一瞬固まった。 「なにかあったと言ってもその……、えっと……」 「あっ、ごめん……。言いにくかったよね……。無理に言わなくていいよ」 「こっちこそごめん……」  月見里と小野寺が互いに頭を下げた。 「確か、小野寺さんって相川くんと付き合ってたんだっけ?」 「そだよ」 「相川くんとうまくいってる?」 「いってるよ!」  小野寺が感極まった返事をすると、図書室にいる生徒が一斉に彼女の方へ視線を向けた。 「あっ、ここ図書室だったね……」  小野寺はばつ悪そうにしてそそくさと図書室から退出する。  月見里は小野寺に勧められた本を貸し出しの手続きを行った後、彼女を追うように図書室の外へ出る。  二人は外の廊下を少し歩き、図書室から少し離れたところで立ち止まる。 「もう、光輝と付き合ってから毎日が輝いていてねっ! 今でも夢なんじゃないかなって思っちゃうくらい! あっそうそう! 初めてデートしたときはねっ……」  図書室から離れた途端、小野寺はすらすらと相川の話を延々とする。  月見里はそのまま相づちを打ちながら彼女の話を聞く。 「……二人で見た映画なんだけどねっ! すっごくよかったのっ! ネタバレになるから詳しく言えないけど、特にラストシーンがもう、ハッピーエンドで!」 「もしかして小野寺さんってハッピーエンドが好きなの?」 「そだよ。月見里さんに薦めた本もハッピーエンドものだし。それがどうかしたの?」 「いや、ちょっと気になっただけ」 「やっぱり『幸せな結末』に憧れるんだよ。映画のようにロマンチックに、幸せにまとまったそんな結末」 「『幸せな結末』に憧れてるんだ……」  月見里が感嘆した瞬間、小野寺は彼女に笑顔を見せる。 「もうすぐその結末にたどり着けそうなんです!」  その笑顔は太陽のよりも明るく、聖母よりも優しいものだった。  瑞希と約束を交わしたデートの待ち合わせ時間の一時間前、光輝は待ち合わせ場所の最寄りの駅から降りる。  光輝は恋人とのデートが待ち遠しくなってしまい、予定より早い時間に家から出て閉まっていた。 (そういえば、待ち合わせ時間と場所を聞かれただけで、どこへ行くのかまだ聞かされてないな……)  光輝は瑞希が待ち合わせ場所として指定した駅と、目と鼻の先にあるカフェに向かう。 「あっ、光輝! おーい!」  そこには瑞希が待ち合わせ時間の一時間前にもかかわらず、カフェ前でブンブンと手を振っている。 「瑞希! どうしたのまだ一時間前だよ?」 「えへへ、なんか今日はいつもと違うデートだったから張り切っちゃって……」   瑞希は照れながら鼻頭をかく。 「光輝もどうしてこの時間に来たの?」 「俺も瑞希とのデートが待ち遠しくて……」 「うれしい!」  瑞希は歓喜を表すようにがばっと光輝に抱きつく。 「ちょっと今はダメだって! みんな見てるから!」 「やだ」  瑞希は光輝の指示に刃向かうように、ギリギリときしむ音がしそうなレベルで強く抱く。 「ちょっと痛いって……」 「あっ、ごめん!」  光輝の苦悶とした声を聞いた瑞希は、即座に彼を離す。 「ちょっと調子乗っちゃったね……」 「大丈夫だよ」  光輝は宥免の意思を込めてそっと瑞希の頭を撫でる。 「じゃあ、まずはこのカフェ入ろっか!」  月見里は、自身の家から遠く離れたショッピングモールに向かっていた。  その店は他の店より、品物の値段が劇的に安いことで有名な店だ。 「こんなものかな……」  月見里は店で買ったものをエコバッグにしまい、店の外に飛び出す。  外の街は飛び交うように車が走り、歩道には人々が流れるように歩いていた。 「あっ……」  月見里の視界にカフェから出る男女の二人組が映る。  相川と小野寺だ。 (何やってんだろう私……)  月見里はこの街に来た目的について考える。 (そうだ、私は相川のことが気になったんだ……。あの事が原因で疎遠になったから……。ここで買い物をするためなんて建前でしかない……)  月見里が二人を視認すると、小野寺は相川の腕を組み、そのまま歩み寄った。 (杞憂だったかな……。相川くんはもう私のことを気にせずに前に進んでいる)  月見里は二人の様子を見て踵を返そうとすると、ある台詞が頭に過った。  「もうすぐその結末にたどり着けそうなんです!」  図書室で出会った小野寺が月見里に言った言葉だ。 (幸せな結末ってなんだろうな……。幸せな人生とかなら分かるけど、『結末』というのが引っかかる)  月見里は少し思考をたぎらせたが、即座にぶんぶんっと頭を横に振った。 (考えすぎかな……)  光輝と瑞希はカフェに行った後、近くにある店を何個か行った。  ウィンドウショッピングの時もあれば、雑貨を少し買ったときもあった。 (こうしていろんな店を見て回るのは楽しいけど、ここまではごく普通のデートだよな……)  光輝はこの後のスポットがデートのメインになるのだろうかと考えながら、瑞希と住宅街を歩いている。 「着いたよ! ここだよ!」  瑞希が指を指したのは二階建ての一軒家だった。  壁紙が薄いベージュ色であしらわれており、年季が入っているのか壁のあちこちが黒ずんでいる。  一軒家の表札には『小野寺』と書かれている。 「ここって瑞希の家?」 「そだよ! 入っていって!」  光輝は瑞希に導かれるように彼女の家に入った。  家に入ると、瑞希が近くにいるときに感じられるラベンダーの香りが鼻孔を撫でる。  光輝は瑞希に階段へ登るように誘導され、階段で二階に着き、少し歩いたところで『みずき』と書かれたネームプレートが掛かった扉の前で瑞希にここで立ち止まるようにと光輝の両肩を掴む。 「あっ、入る前にこれ付けて」  瑞希はカバンから、目隠しとワイヤレスヘッドホンを取り出して光輝に渡す。  光輝は言われるがままにその二つを装着する。  すると、ワイヤレスヘッドホンから音楽が鳴り響いた。  その音楽は前に瑞希が好きだと言っていたバンドの曲だ。  音量は音楽鑑賞を嗜める最適のものより一回り大きく、音楽によってドシンドシンと鼓膜を叩かれる感覚を味わい、今でも外したくなる光輝であったが、瑞希のサプライズを無駄にしたくない気持ちが勝り、そのまま我慢する。  光輝の手にひんやりとしたものが柔らかく包み込まれる。  この感触は光輝にとっては馴染みがあり、落ち着く感触だ。 (瑞希の手の感触……)  ひんやりとした感触はそのまま光輝の手を掴んだまま引っ張っていく。 瑞希の部屋に入ったのか、光輝の足裏に敷居と思われるの感触を味わい、少し歩いたところで光輝の手に感触がなくなり、その代わりに光輝の両肩に瑞希の手と思われるひんやりとした柔らかい感触が伝わり、そのまま押さえ込まれる。  すると、光輝の尻にふかふかとした柔らかい感触が伝わる。 (この感触は……、ベッドかな?)  光輝はベッドらしきものに座らされた途端、肩の感触が無くなる。 (今からなにが起きるんだろう……)  光輝がベッドらしきものにずっと座っていると、ヘッドホンに流れる曲が終わり、無音になる。  その瞬間、バリバリッという何かを引き剥がす音が鳴り響く。 (えっ、何の音?)  光輝が聞こえた音をしっかりと聞き取ろうとした瞬間、またしてもヘッドホンから大音量の音楽が鳴り響く。  次に流れた曲のCメロが終わりかけたタイミングでヘッドホンは外され、その後に目隠しが外される。  その瞬間、光輝の瞳に蛍光灯の光が突き刺さり、思わず目をつむる。 「あっ、ごめんごめん。もう目を開けていいからね」  光輝が恐る恐る目を開く。  瑞希の部屋はピンク色の壁紙があしらわれ、あちこちに同じような色をした小物が置かれていた。  光輝が周りを見渡すと、異様な光景を目の当たりにした。  それは、部屋の窓とドアの周りにガムテープで目貼りされていたのだ。 (あの音はガムテープを引き出す音だったんだ……)  次に光輝は床の方を見下ろすと、そこには七輪が置かれていた。 「これってどういうこと?」  光輝が目貼りされた窓を叩くと、瑞希はクスリと笑いながら窓を叩く腕を強く掴み、引き剥がす。  その笑みはいつも見る太陽のように明るい笑顔ではなく、異様に艶めかしい笑みだった。 「これはね、『幸せな結末』を迎えるための装置なんだよ!」 「『幸せな結末』って! これのどこがだよ?」 「ねぇ、『メリーバッドエンド』って知ってる?」 「なにそれ?」 「受け手によって『ハッピーエンド』か『バッドエンド』かで解釈が分かれるエンディングのことだよ」  瑞希は点火棒を七輪の中で積み上がっている炭へ差し込み、火を付ける。  積み上がっている炭の中に着火剤が入っていたのか、七輪の中の火は燃え上がり、炭へと燃え移る。 「今か迎える結末は周りから見たら『バッドエンド』なのかもしれないね」 「俺から見ても『バッドエンド』だと思うよ!」 「そうかな?」  瑞希はベッドに腰掛けていた光輝を押し倒す。  丁度ベッドの上で仰向けで寝ている状態になるまで無理矢理位置を調整し、光輝の上で馬乗りになる。 「考えてみてよ。こうして二人でありきたり幸せを噛みしめて、その幸せを抱えたまで最期を迎える。これほど『幸せな結末』はないでしょう!」 「それは違う! こんなの間違ってる!」 「……びて……じゃ……いんだよ」  光輝は瑞希の言葉が途切れ途切れで聞き取れず困惑していると。彼の唇に柔らかく湿った感触が伝わる。 「んんっ!」  瑞希の舌が光輝の口をこじ開け、口内を弄る。  舌で弄ばれる度に光輝の脳内は溶けていく。 「んんっ……、ちゅるっ……んちゅっ……」  脳を溶かされ、光輝は瑞希の舌に呼応するように自身の舌を瑞希の口内を侵入させる。  二人の舌が交わり、絡まり、粘液を混ぜる。 「んちゅるっ……、ふふっ、大分出来上がってきたみたいね! こうして幸せになったまんまで最期を迎えようね」  七輪の煙が部屋中で充満し、視界がぼやける。  煙が体内に侵入し、意識が遠のき、目眩を起こす。  本来苦痛のはずの感覚は接吻で上書きされ、多幸感へと昇華させる。 (もう、これで最期を迎えても……)  七輪の煙と接吻で脳が溶け、意識の糸が千切れかける。  光輝がもうそのまま千切れてもいいと悟ったそのとき、ガンガンッという外から窓を叩く音が彼の鼓膜へとこだまする。 (えっ……?)  その音で光輝の意識は引きずり出され、我に返る。 (ごめん……!)  光輝は接吻を続ける瑞希を突き飛ばすように引き剥がす。 「きゃっ!」  瑞希の悲鳴を無視し、光輝は叩かれた窓に目貼りされているガムテープを思いっきり引き剥がし、勢いを付けて窓を開ける。 「ゲホッ! ゲホッ!」  光輝は咳き込んだ後、窓の向こうを見ると、そこには瑞希の家で張り付いている月見里の姿があった。 「えっ?」 「やっぱまずい状況だったか……。 床にあるのは七輪? それをこっちに渡して!」 「でも……」 「いいから!」  月見里は窓の桟の外側に辛うじてしがみついた状態だったため、そんな彼女に熱い上に重さがあるものを渡したくなかった光輝であったが、月見里の怒号に気圧され、彼女の指示に従うように余力を振り絞って七輪へと向かい、掴む。 「やめて!」  瑞希は妨害するように七輪を押さえる。 「ダメだ……。やっぱり……、こんなのは……、間違ってる……」  光輝は掠れた声を上げながら、両手の焼けるような痛みを耐え、そのまま引っ張り上げる。 「月見里さん……」  光輝は七輪を月見里に差し出すと、彼女は器用に片手でそれを掴む。 「つっ!」  月見里は七輪の熱さを耐え、桟の外側を掴んでいたもう片方の手を離す。  七輪を胸に抱き寄せ、月見里はそのまま落下する。 「でもこれなら……」  瑞希は控えめな笑みを浮かべながらそのまま倒れ込む。 「もう、だめ、だ……」  光輝も力尽き、意識の糸が千切れた。  深淵のように深い闇に光が注がれる。  辺り一面は光に囲まれ、自身の身体を照らし続ける。 「ここは……」  光輝が意識が戻ると、そんな光に包まれた世界にいた。 「あっ、相川君……」  光輝の側面に低めの女声がこだました。  声がした方へ視線を向けると、そこには月見里の姿があった。 「よかった……。目が覚めて……」  光輝の視界が光に慣れて鮮明になると、辺り一面純白な空間が浮かび上がり、そこにはいくつもベッドが並べられていた。 「病室……?」  光輝を照らした光の正体は病室の純白の蛍光灯だった。 「相川君は一酸化炭素中毒で丸一日意識を失ってたんだよ。幸い一命を取り留めたけど……」 「それって、月見里さんが助けてくれたからこうして生きていられるんだね……。ありがとう」  光輝が月見里に感謝の意を伝えたが、彼女はその気持ちを真摯に受け止めず、視線を逸らす。 「私は……感謝される資格なんてないよ……」 「どうして?」 「どうしてっておかしいでしょ? なんであのとき私がいたのって思ったでしょ?」 「それは……」  月見里の言葉は当を得ていたと光輝は実感する。  あの状況で彼女がいるのはどうも不自然だと。 「そういえば、私がどうしてヒーローになりたいかって言ってなかったよね?」 「運動神経抜群で頭いいからでしょ?」 「それもあるけど、それは一番の理由とは言えないかな?」 「一番の理由って?」  光輝が問うと、月見里の逸らした視線が下へとうつむく。 「私、人を見殺しにしたことがあるんだ」 「……それって、どういうこと?」  月見里は光輝のリアクションを無視し、話を続ける。 「私が中学生だったころかな……。私には親友がいたんだ。普通に一緒に学校で昼食べたり休日に遊んだりするような、そんな親友。私たちが三年生になったときは学校の図書室で受験勉強したりしてたな。でも……」  月見里が話をしている途中、彼女は口を押さえてえずく。 「月見里さん?」 「大丈夫、話を続けさせて。夏休み前だったかな。私と親友が図書室で勉強したときに、親友が途中で抜け出したんだ。しばらくして私が図書室を出てトイレでお花を摘んでいた後に出くわしたんだよ。男たちが下品な笑いを浮かべながら親友の名前を出して何か離していたところを。でも私はもうすぐ塾の時間が迫っていたから彼らを無視した。そしたら……その親友が……ぐすっ……、うわあああああん!」 「月見里さん! もう大丈夫だから! これ以上は何も言わなくてもいいから!」  光輝が月見里の両肩を掴んで話を中断させた後、即座に手を離し、声を上げて嗚咽する彼女を見守る。 「ぐすっ……、えぐっ……、ありがとう……。もう大丈夫だから」  月見里の涙はまだ止まらないままだったが話を続ける。 「私がヒーローになる理由は、もう二度と親友と同じ悲劇を見たくないからなんだ」  光輝は月見里が山田をいじめていた男を何度も殴打したことを思い出す。 (だから月見里さんはいじめに対して感情的になったんだ……) 「山田くんの時はあの時のことがフラッシュバックしたんだ……。だからと言って許される訳じゃないのは分かってるけど」 「そうだね……」 「ごめんなさい……」  月見里は普段の活発な彼女の面影をなくし、蚊が鳴いたような声で光輝に謝った。 「あと、勝手に学級委員指名しちゃってごめんなさい」 「えっ、今更どうしたの?」 「私が相川くんを選んだのはただ単に出席番号が最初だったからという軽はずみだったんだ……。見た感じ無難にやりこなしそうだし決めるならさっさと決めた方がいいのかなって」 「そういえば最初に言ってたね……」 「でも、相川くんと行動しているうちに、君の魅力に気づいたんだ……」 「魅力って?」  月見里は光輝の魅力について話し出す。  その魅力は光輝にとってはピンとこないものだった。 「ねえ、相川くん。恥を忍んで君に言いたいことがあるんだ」 「ごめん……」  光輝と同時に入院することになった瑞希が退院した時だった。  放課後、光輝は瑞希を空き教室に呼び出した。  月見里からは彼女の処遇に関しては君に任せると言われた光輝であったが、事件が勃発する前に、瑞希の気持ちを理解しきれていなかった自分にも非があると感じたため、誰かに口外しないことに決めた。  光輝は自分と心中しようとした瑞希を呼び出すことに恐怖を感じていたが、事の整理はつけるべきだと考えていたため、こうして呼び出した。 「いいよ……。だって仕方ないよ」  光輝に別れる意を聞いた瑞希はうつむき、悲観を込めて呟いた。 「ねえ、光輝。こんな時に話すことじゃないけど、少しいいかな?」 「なに?」 「わたしはね。課外活動の時から光輝のこと惹かれていたんだ」 「え?」 「光輝がカレーを美味しそうに食べている時、光輝が目の前に蜂が飛んできたときに驚いたとき。そんな光輝を見ていると、『この人といたら楽しく過ごせそう』って思った」 「それって?」 「わたしは光輝の『人一倍に感受性が高いところ』に惹かれたんだ」 「えっ?」 「だから文化祭終わりに告白してくれたときはとても嬉しかった。あのときは本当に胸が飛び出そうだったんだからね!」 「えっ、そうなの?」  光輝は瑞希の口から飛び出た新事実を聞く度、驚愕のあまり声を上げた。 「そういうところだよ。ほんと、光輝って可愛いんだから!」 「からかわないでよ……」 「でも、別れないとね……。わたしは『幸せな結末』を求めるあまり、光輝との未来を信じられなかった……。だからもう光輝の恋人にふさわしくないよね……」 「それは……」  そんなことないよ、と光輝は瑞希に伝えたかった。  しかし、それは出来なかった。  なぜなら、瑞希は彼女の言うとおり光輝との未来を信じられなかったのだと彼は直感したからだ。 「ごめ……」  光輝が謝罪の句を述べようとすると、瑞希はそれを防ぐように自身の人差し指を彼の唇に当てた。 「ダメだよ。光輝はわたしのことを忘れて前に進まないと」  光輝は喉から出かけた言葉をぐっと飲み込んで瑞希から離れるために踵を返す。 「瑞希といた日々、とても楽しかったよ」  光輝は離れ際にぽつりと呟いた。 「……なんで私たちはこんなところにいるの?」  光輝と月見里は学校近くのカフェにいた。  光輝はコーヒーを頼み、月見里はケーキを頼んでいた。 「なんでと言われても……」 「だって今日はパトロールする日でしょ!」  月見里の言うとおり、光輝の退院後に過去に一回行ったパトロールをやろうという彼女から提案されたのだ。 「だって考えてみてよ。目を皿にして周りをキョロキョロ見渡すより、こうして自然に振るまった方が周りに怪しまれないでしょ?」 「それもそうか……」  月見里は納得したのか、フォークでケーキを切り分けた。 (というか、問題はそんなに頻繁に起こるとは思えないけど……) 「そういえばさ、病院で言ったこと覚えてる?」 「えっと……」 「ほら、『私があなたの事が好きだ』ってこと」  月見里が突拍子もないことを言ったため、光輝が飲んだコーヒーが気管に入り、ゲホゲホとむせた。 「あっ、ごめん」  光輝は病院で言われたことを思い出す。  月見里の言うとおり、彼女は光輝のことが好きだと言った。  感受性豊かなところに惹かれたとのことだった。 (月見里さんも瑞希と同じ事を思ってたんだね) 「まあ、相川くんには瑞希がいるし、彼女になってくれなんて言わないけどね、はは……」  月見里は自分が言っていることが恥ずかしくなったのか、照れ隠しでケーキを運ぶスピードが少し速くなった。 「瑞希とは別れたよ」 「えっ、ゲホッ、ゲホッ!」  月見里は早足のような速度で口に運んだケーキが喉に詰まったのか、大きく咳き込んだ。 「大丈夫?」  光輝は月見里に気を配ろうと前にのめりだしたが、彼女は手のひらを目の前に突き出して制止する。 「あの行為に出たのは彼女なりの愛情表現だって知ったけど、それでも恐怖心が薄れることはなかったし……。俺は彼女の愛情を受け取りきれないと思って……」 「そうなんだ……」  月見里はケーキを食べる手が止まり、残ったケーキを眺める。 「いや、だからって私と付き合ってとかそんなんじゃないから!」  しかし、月見里はケーキを眺める行為をやめ、顔を赤らめながら手のひらで制止した。  その行動を見た光輝は返事一つせずにコーヒーをすすっていた。 「って、相川くんもなんか言ってよ!」 「だって、どう返せばいいのか分からないし……。あのことから月見里さんにいきなり告白されて気持ちが整理できてないし……」 「それもそうよね……。じゃあこうしよう! 相川くんが私のことを好きになるまで私は待つ! これでいい?」 「これでいいって言われても……。好きになるってそういうことじゃ……」 「あそっか……」  月見里は頭を抱え、思い悩んでいる様子を見せる。 「とりあえず今はこうしてパトロールしてもいいかな?」 「まあ、それなら……」  月見里はケーキの最後のひとかけらをフォークで刺して口に運んで完食する。  それとほぼ同じタイミングで光輝はコーヒーを飲み干す。 「これからもよろしくね! 相川くん! 待って、光輝って呼んでいい!」 「そのくらいなら……」 「ありがとっ! じゃあ改めて……。これからもよろしくね! 光輝!」  光輝は支払いを済ませるために伝票を取ろうとするが、月見里がそれを奪い取るように取り上げる。 「あっ、支払いは私のおごりねっ! 気分いいからっ!」  月見里は光輝に返答をさせる暇を与えずに颯爽と会計へ向かった。 (彼女ははまだヒーローとは言えないかもしれないし、言うなれば「ヒーローに似た何か」てところ。そんな月見里に辟易するな……) 「ほら、パトロール行くよ!」 (でも、彼女のまっすぐな性格が嫌いだと言えば嘘になるな)  光輝は月見里の屈託のない笑顔を見て今日も彼女について行こうと決心した。  彼は彼女が本当のヒーロー像が見てみたいと心から思った。
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