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2.貌
瞬く間に昼が過ぎ、入念な手入れの打ち合わせと、新しい情報の擦り合わせを行い、シン・四谷署組織犯罪対策課は、覚醒剤と銃との双方向の取引を阻止すべく、一丸となって動き出していた。
久紀は急遽掴んだ薬物と銃器の取引の指揮を、太ネタを掴んだ褒美に鸞に仕切らせてみることにした。
とはいえ、取引現場への手入れにはやはり関わらないわけにはいかない。これまでの地道な捜査を結実させて薬物と銃をヤクザのシノギにさせない為にも、失敗は許されないのだ。
その間にも、受付には例のタキシードが届いていた。メッセージは何もない。光樹の無言の怒りに背筋を凍らせつつ、久紀は受付の警官からそれを受け取ったのだった。
結局、終わり次第逸彦のパーティに駆けつけられるよう、久紀はタキシードのまま現場に入る事にした。
取引が行われるのは、二週間前に開店したばかりの仲通り外れにある女装バー『セイレーン』。二つの細い路地に挟まれるようにして立つ雑居ビルの一階の1フロアで、南側が店の入り口、北側が従業員の勝手口になっており、どちらもすぐに路地から逃走を図ることができる。厚労省の麻薬取締官が目をつけている有名人も、ここのVIPルームを利用していることが分かっていた。取引で使われているだけでなく、ドラッグの小売や、店に出ていない未成年を斡旋しての売春にも使われている形跡があった。
背後でいわゆるケツ持ちと呼ばれる盾となっているのは、六曜興業である事は判明していた。新装開店後、客を装って通い続け、塵ほどの情報も捨てずに拾い上げてきた捜査員達の、不断の努力の賜物である。
「俺が潜入したら車と舎弟を確保。後は段取り通りだ……南から六曜興業・江藤。財務担当の本部長直々だ、情報通りだな、こいつぁデカイぞ」
「こちら春田、北側に三水組の横井と舎弟と運転手。中には横井だけが入ります。舎弟と運転手、確保します」
「了解。春田さん、夏川さん、桔梗原係長の合図まで動くなよ」
「はい、親分」
「おい……江藤が入った」
窮屈なタキシード姿で助手席に体を沈め、ターゲットが『セイレーン』に飲み込まれていくのを確認した久紀は、ゆっくりと車から降りた。
ザッ……と、通りの空気がざわついた。この通りに一夜の癒しを求めてやってきた人間だけでなく、ほんの通りすがりの男女までもが、クリスマス間近の夕闇に突然現れたタキシード姿の長身の超絶色男に息を呑んだ。
丁寧に撫で付けられた艶のある髪から額に一筋こぼれ落ちる後れ髪といい、骨伝導イヤホンを兼ねた銀のイヤーカフといい、少しヤンチャそうな切れ長の目から発せられる油断のない視線。しかも、後から下りてきたスーツ姿の美青年がまた、お姫様のような可憐な美貌ときているのだから、これはもうドラマの撮影か何かかと勘違いするのも無理からぬシチュエーションである。
「ウチの親分、ゲイ受け半端ねぇなぁ……」
「係長と対だと、モロ課長攻めの係長受けだな」
「何じゃそりゃ」
「今流行りのBLっちゅーやつじゃ」
イヤーカフを通じて、部下のそんな呆れたセリフが届いた。
チッと毒づきつつ、鸞に指文字で何事か合図を出し、久紀は慣れた足取りで雑居ビルの一階にあるカウンターバーに入っていった。
「客を装って今から入る。作戦開始」
木製のドアを開けて久紀が店に立ち入る音がしたかと思いきや、絶叫が部下達のイヤホンに轟いた。
「キャァァァ!! アタシの王子ぃぃ」
「ダメェェ!! 汚い手で触るんじゃないわよ、ブス!! 」
とまぁ、悲鳴に近いオネエ様達の絶叫が、イヤホン越しに永遠に続く……。
鸞は南側の路地の車に近寄り、号令をかけた。
「冬村さん、逃走経路の配置は」
「制服警官、配置完了しています」
「OK。じゃ、僕と秋草さんで南側の運転手行くよ……GO! 」
鸞は体を屈めて運転席のドアを開けるなり、中にいたチンピラを引きずり出して僅か数秒で確保。通りを行く人々は騒音一つ聞いていない。
「春田、夏川、北の三水組の舎弟、二人とも確保しました」
よし、と鸞は自分が逮捕した運転手を制服警官に預け、トレンチコートを脱いだ。三揃えのスーツに包まれた体は、長身の割に女性のように細い。
イヤホン越しには、まだ久紀が中で身動きが取れていない様子が伝わってくる。鸞は少し苛立ち、コートを秋草巡査に預けた。
「か、係長、まさか中に……ダメですって」
可憐なお姫様の顔が、みるみる好戦的になって店を捉えている。
「中から逃げてくる奴がいたら、容赦無くガラ押さえて」
「承知しました……って、指揮官は動いちゃダメです。今日は係長が仕切れって、課長が……」
「大勢はもう決まった。あの様子じゃ硬直して対処できないでしょ」
鸞はもう、獲物を狙う女豹のような顔になっている。いつもはお姫様然とした鸞のギラついたような目に、制止しながらも腰が引ける秋草であった。
「親分に……課長に怒られますって」
「カレは、まだまだ僕を試す気満々だよ」
ジャケットを脱ぎ、その下に装備していたグロックをホルダーごと取り外して秋草に預けると、少しネクタイをルーズに解した。シャツのボタンを三つほど外すと、白い滑らかな胸板がチラチラと見え隠れして、秋草はゴクリと生唾を飲みこんだ。
「ねぇ、コートに血をつけないでね」
そう言われてみて初めて、鼻血が出ていることに気づく秋草であった。
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