3.疾走

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3.疾走

 案の定、久紀はオネエ様達に雁字搦めにされて身動き取れなくなっていた。ズカズカと入店した鸞は、群がるオネエ達を手当たり次第に突き飛ばした。 「ちょっと何すんのよ、あんた……」  とドスの効いた声で凄むドレス姿のオネエ様が、鸞の怒りに震える美貌を目にして言葉を飲み込んだ。 「僕の(オトコ)だよ」  第三ボタンまで外れているその滑らかな胸板に、鸞が久紀の手を取って引き入れた。本気で固まる久紀の鼻筋を人差し指でつつーっと撫でると、鸞が天性としか思えない甘えた声を出した。 「ご指名頂いたランです……ママぁ、奥、使うよぉ 」  他の店なら売れまくっている久紀の顔も鸞の存在も、ここの連中は誰も知らないようである。久紀を買春客だと思っている様子のママは、呆れたようにカウンターに肘をついてタバコをふかした。 「一見さんはお断りよ」 「あれぇ、僕ぅ、ウリ専スタッフに登録してあるけど。彼、超太客だよ」  鸞が顔を近づけてママの耳元で囁いた。その壮絶な色気に、ラクビー選手顔負けのガタイを派手なミニドレスで包んだママが固まる。 「あ、あらやだアタシったら……どうぞぉ、楽しんでってぇ」  これは大変なドル箱降臨! と、ママの両目が円マークになるのを確かめ、鸞は久紀の手を引いてアコーディオンカーテンの奥へと飛び込んだ。 「何手間取ってるんですよ、課長」  色気をちゃっちゃと仕舞い込み、鸞が呆れ顔で囁いた。 「ラガーマン6人に囲まれてみろ、身動き取れねぇわ」  皆一様に、ドレスの下は鍛え抜かれた筋肉に覆われた巨漢だ。やはり、ここは麻薬取引のためのスケープゴート用の店なのだろう。ゲイはゲイだとしても、キャストの女装も急拵えに過ぎた。  最も奥の小部屋の入り口の両脇にそれぞれ立ち、久紀と鸞は中を窺った。鸞がスマホのボイスレコーダーをONにして、そっと中に差し込む。 「どうです? 江藤さん」 「……上物だ。これならウチで扱える。横井さんのとこは質がいいやな」 「この前他のカス極道が持ち込んだのは、どうしようもねぇ中国製トカレフだった。今度は大丈夫だろうな、江藤さん」 「馬鹿言うな。軍流れの92式だ。装弾数も多いし、使えるぞ」  久紀の合図で、鸞がカーテンを捲り上げ、久紀が飛び込みざまベッドの上に並んでいたジュラルミンケース2つをカーテンの外へと蹴り出した。 「なんだテメェ!! 」 「四谷署ぉぉ!! 」  銃を抜くべく上着の中に手を滑り込んだ六曜興業の江藤を頭突きで壁に叩きつけ、逃げようとした三水組の横井の首に長い脚を繰り出してラリアット宜しく上半身から仰向けに床に叩きつけた。蹴り出したジュラルミンケースは鸞がガッチリと押さえ、久紀は悠々と二人を拘束し、鸞の手錠も借りて二人を緊急逮捕した。  これでパーティに間に合う……と思った矢先、カウンターに立っていたママがボストンバッグを抱えて店の外に走り出したのである。 「ヤクの小売リストを持ち出したかもしれません」  スクラムを組もうとするオネエ様達を片端から投げ飛ばし、血路を開いて店の外に出た二人に、イヤホン越しに悲痛な報告が入った。 「すみません、逃げられました!」 「ああ?」 「ラクビー並のタックル食らって、春田さんも夏川さんもダウンです!」 「馬鹿野郎!! 」  江藤と横井を制服警官に引渡し、久紀はゴキゴキと首を鳴らした。 「ほら、課長っ!! 」  ケースを制服組に預けた鸞に肩を叩かれ、久紀が天を仰いで咆哮を上げた。 「課長、ママが付近の駐車場から車で逃走を図る模様。品川〇〇、ナンバーは〇〇の〇〇、赤のカイエン……クソ、パトカー振り切りやがった!」  久紀は乗ってきた黒パトの運転席に乗り込んだ。急発進間際に鸞も助手席に飛び乗り、パトランプを操作した。 「こちら四谷401、新宿靖国通りを市ヶ谷方面にマルB案件のマルヒ追尾中。緊急配備願います。総合照会、赤のカイエン、ナンバー〇〇の〇〇、緊急配備、市ヶ谷及び霞ヶ関方面、扱い桔梗原」 「本部了解……」  赤のカイエンは、ネオンに照らされる靖国通りを悠々と逃げていく。しかし霧生らが乗る覆面パトカーは5ナンバーのセダンで、しかも車検直前、タイヤも大分減っており、地面を噛む力が弱いのか、カーブのたびに上振れする。 「鸞、舌噛むなよ」  本部と無線のやり取りを請け負う鸞に注意を促し、黄色信号で九段下の信号を皇居の縁を辿るかのようにして右に折れ、半蔵門へと向かった。半蔵門から先は国道20号線である。 「こちら本部、マルヒ判明、鍋島(なべしま)五十六(いそろく)、鍋島藩の鍋島に、五、十、六のいそろく。本籍は岡山県高梁市、六曜会直参・笠須(かさす)組構成員」 「四谷401了解。半蔵門20号線、新宿通り麹町を封鎖、平河町に追い込む! 」 「本部了解」  半蔵門を過ぎ、246を折れると国会議事堂のある永田町であり、そんな場所でカーチェイスでもしようものなら、後が面倒なのは目に見えている。 「鸞、平河町から紀尾井町の間で勝負かけるぞ」 「了解。緊急車両が信号を……通キャッ、通過っ、止まっててぇ! 」  パトカーに行く手を阻まれていることに気づいたカイエンが、初めて車体が動揺したかのように横ぶれするようにして新宿通りへと右に折れた。鸞が赤信号での侵入をマイクで喚き散らし、歩行者を確認しつつも片輪走行よろしく黒パトが後を追って右に折れる。  カイエンがプリンス通りを青山通りに向かって折れるのを見て、一本手前の貝坂通りを曲がった。2つ目の四つ角を紀尾井坂方面に右折すると、案の定、紀尾井町の交差点にのろのろと顔を出したカイエンを捉えることができた。 「鸞、掴まれ!! 」 「え、マジマジマジぃぃ? 」  キャァという悲鳴とともに、黒パトはカイエンの土手っ腹にその鼻っ面を見事に食い込ませた。  エアバックをまともに食らって泡を食っている鸞をそのままに、久紀は運転席から飛び出すなりボンネットの上をするりと滑ってカイエンの屋根の上に飛び上がり、右の助手席のドアから這いずるようにして出てきた鍋島の背中に飛び乗った。 「オラァ、手間かけさせやがって!! 」  そのまま道路にキスして気絶した鍋島の背中の上で胡座をかいたまま、久紀は鍋島が後生大事に持ち出したバッグから革張りの帳簿を取り出した。  そこには、あの店で取引のあった人物の名前と、ドラッグの分量、指名したキャストの名前と、好みのタイプなど、客の極秘情報がずらりと並んでいた。 「鸞、大丈夫か」  唇の端を少し切った鸞が、ハンカチで口元を押さえながら久紀の隣にドカリと座った。抗議したくても息が上がってできない、といったところか。 「見ろよ、ヤバイ名前結構あるぞ……麻取と取り合いになりそうなネタだ」 「もぉ、金脈当てちゃってぇ……課長ってばマジ最高っ、僕、全身ゾクゾクしちゃったぁ!! 」  興奮して声を上げる鸞のふっくらした頰を、久紀は楽しげに突いた。 「おまえも大概お転婆だな……今、何時」 「6時50……あれ、7時からでしたっけ、深海警部の結婚パーティ」  ヤベっ、と立ち上がった久紀が自分の姿を見てみると、到底パーティーに出られそうな状態ではなかった。髪は乱れ、上着もところどころ破れている。 「間に合わないより良いですよ、行って! 」  ふらふらとプリンス通りに飛び出した鸞が、紀尾井坂を下ってきたタクシーを警察手帳を示して呼び止めた。 「ほら、乗って! 」  タクシーが狭い路地をUターンしている間に、鸞が久紀の全身をパンパンと叩いて整えた。少しボロっとはしているが、中身の素材が良いだけに、大した減点にはなっていない。 「大丈夫、惚れ惚れするような好い男」 「だから、そういうこと言うからおまえは誤解を……」 「はいはい、お小言はまた今度。後のことはお任せを」  方向転換したタクシーに押し込むと、久紀が窓を開けてちょっとはにかむように鸞を目だけで見上げた。中坊か、と微笑む鸞に、久紀は手を差し出した。 「え……」  恐る恐る重ねた手を、久紀はしっかりと掴んで握りしめた。 「これからもよろしく。休む間もないくらい、目一杯働いてもらうからな」  ニヤリと笑った悪戯げな笑顔は、憎らしいほどに男前である。 「じゃあ……僕、合格ですか? これからも居ていいんですか? 」 「ハハ、つまんねぇこと言ってんじゃねぇよ……頼むぞ、鸞」  ああ、これでやっと手足を伸ばして働ける。顔も中身も刑事としても、小憎らしいほどに男前な、尊敬できる上司の元で……鸞は渾身の笑顔で頷いた。 「こちらこそ、宜しくお願いいたします!! 」  鸞は深々と頭を下げて、タクシーを見送ったのだった。 「姫、お怪我は……お可愛らしいお口の端がっ」 「僕は大丈夫。みんなも今夜はお疲れ様です。早く検分と調書終わらせて、おウチに帰りましょうね」 「はーい!! 」  この手入れを機に、箍の外れた桔梗原鸞は、無自覚お色気爆弾の強度を増し、組対のマル暴刑事達は逆らえなくなるどころか、下僕化の一途を辿ることとなっていく……。      
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