58人が本棚に入れています
本棚に追加
「ごちそうさま。バイト、終わったらあの家に来てね? 予定、大丈夫?」
「あ、大丈夫です。その……何か、買って行きましょうか? 必要なものなんかを言ってもらえれば……」
「平気。元気に来てくれるだけで良いから。迷子になったら、電話してね」
そう言い残し、松尾さんはカフェから出て行った。
僕は食器を片付けてテーブルを拭きながら、ふう、と息を吐く。
バイト終了まで、あとちょっと……!
ぐっと拳を握ったその時、背後から声を掛けられた。
「海ちゃん! いつもの午後のお茶会のセット五つ!」
「はい、今日はケーキにしますか? ちょうど、モンブランが五つあります」
「じゃあ、お願い! コーヒーは全部アイスにしてね! ミルクとシロップもつけて!」
「かしこまりました」
リーダー格のおばあさんからお金を受け取って会計をして、僕はケーキとアイスコーヒーの準備を始める。ちらりとテーブルについたおばあさんたちを見ると、いつものメンバーだった。皆、元気そう。良かった。
人数分のトレイを順番にテーブルまで運んで「ごゆっくりどうぞ」と頭を下げた時、白髪のふわふわな髪をしたおばあさんに呼び止められた。
「ねぇ、海ちゃん。噂なんだけど、知ってる……?」
「……えっ」
僕はどきりとした。
噂……たぶん、レモンのことだ。知ってるけど……僕は知らないフリをして首を傾げた。
「噂とは、なんでしょう……?」
「このデパート、無くなっちゃうって噂よ!」
やっぱり……。
噂って広がるのが早いな、と肩を落とす僕に気が付かないおばあさんたちは、わあわあと会話を開始した。
「言っちゃ悪いけど、空いてるもんねぇ……」
「この前の連休もガラガラだったわよ!」
「昔からお客さんは少ないけどね」
「向こうに大きい店が出来たら余計にじゃない?」
「ここ無くなったら、私らどこで集まれば良いのかしらね」
僕はそっとカウンターに戻った。
ああ、この噂が松尾さんの耳に入ってないと良いけど……。
このデパートは、松尾さんの思い出の場所なんだから、どうにか頑張って欲しい。店長、ファイト……!
「海ちゃん! アイスコーヒーひとつ!」
「いらっしゃいませ。かしこまりました」
少しずつお客さんが増えてくる。
いつものお顔、いつもの注文。
流れる時間。ざわざわとする声。
常連さんが居るのは良いことだと思う。けど、このままじゃ駄目なんだな……。
僕に、出来ること、あるのかな……。
「ごゆっくりどうぞ」
こんな時、松尾さんならどう行動するのかな……。
でも、本人にこんなことを訊くわけにもいかないし……。
はぁ……。
心の中で溜息を吐いて、僕は背筋を伸ばす。
とにかく、今は目の前の仕事に集中しよう。
この後、松尾さんに会えるんだと考えたら、少しだけ心が軽くなった。
最初のコメントを投稿しよう!