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翌日、シフトに入っていた僕は少し早くカフェに入った。僕の姿を見るなり、帰ろうとする先輩を慌ててつかまえる。
「先輩……松尾ミヤビ、って人を知っていますか?」
僕の質問に、先輩はあからさまに顔をしかめる。
「ああ知ってる。彼女がファンだ」
「ファン……」
「あんな男のどこが良いんだかな! 俺の方が筋肉あるし、根性もあるはずだ!」
むきっと腕を見せる先輩に、僕は苦笑した。
やっぱり、有名なんだ……。
でも、そんな人が、本当にこのカフェに来ていたのか……?
「もうすぐ映画が公開らしい。彼女に誘われたから観に行くけど、誘われなかったら絶対に行かん!」
そう言い残して、先輩はスタッフルームへと消えてしまった。
映画って……本当に大物じゃないか……。
僕は寒気を覚えた。もしも、昨日の金髪の人が本人だったら……知らなくてごめんなさいって言うべきかな? もしかしたら、怒っているかもしれないし……。
そう思ってびくびくしていると、不意に肩を叩かれた。僕は悲鳴を上げそうになるのを堪えて振り向く。僕の肩を叩いたのは……。
「注文、お願いします」
「っ!」
そこに居たのは、帽子を被った金髪の……!
「あ、あの……!」
「たらこパスタとコーヒーのホット、セットで」
「あ、あ……はい……」
「ふふ」
僕は震える手で千円札を受け取って、お釣りを渡す。その様子を、その人は口元を緩めながら見ていた。
「観てくれたんだ。ありがとう」
「……」
どうしよう。
やっぱり本物だ……!
僕は言葉を紡ごうと口を開く。けれど、出てくるのは乾いた息だけだった。
店内は、僕と彼のふたりだけ。
それを確認してから、彼はふっと帽子を取った。昨日、画面で観たままの顔がはっきりと僕の目に飛び込んでくる。
「改めて、松尾ミヤビです。よろしく」
そう言って彼……松尾ミヤビ、さんは右手を差し出してきた。反射的に僕はそれを握る。すると、松尾さんは完璧なくらい整った笑顔で僕に微笑む。
「これから、応援してくれると嬉しいな」
「……はい」
レンジを操作することも、コーヒーをドリップすることも忘れて、僕は目の前の眩しい人に、しばらく心を奪われていたのだった。
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