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act.1 のぼうの花
タンポポは考えた。
といっても所詮は雑草の身、人間のように複雑な物思いに耽ることはできない。
太陽を浴び雨に濡れ、根を張り花を咲かせる。その真っ直ぐな営みに入り込む雑念は命のことに他ならない。
可憐に黄色い花はもうすぐ綿毛となる。自分のかけらである綿毛は風にのって何処かへ飛び、そこで根を張る。
その営みにふと虚しさを思ったのだ。
自分もまた何処かからここへやって来た。命のまま根を張り、育ち、種を成すために。
なんと単調で不自由な運命だろう。
例えば我が葉の下をゆく蟻はどうだ。
根の脇をかすめるミミズは。
花のはるか上で歌うヒバリは。
皆、どのような命を生きているのだろう。
立ち尽くすだけの我が身に比べて彼奴らのなんと自由でおおらかなことだろう。
ここは海辺の土地だ。
高台に育ったタンポポは運良く眼下に海を見ることもできる。
遠く水面にきらめく魚影は何だろう。
マグロかサバか。タイやイカ、あるいは海底を彩る貝、なんてこともあるかもしれない。
あの大海原を自由に泳ぎ回る命とはどんなものだろう。
海に出たい、とタンポポは思う。
あの水平線の先には何があるのかを見てみたい。海風はいつも沖から浜へとそよぎ、たとえ綿毛となっても大海原までは行かれない。
ああ海よ、果てしなきその懐よ。とるに足らないこの命をあなたは知っているだろうか。
雑草ごときも夢を見るとあなたは知っているだろうか。
がんじがらめに縛られた根を波間に漂わせ、葉を櫂にして、ここではない何処へ。
そんなささやかな夢をひっそりと紡ぐことを知っているだろうか。
はかない物思いはしかし突然遮られる。
無残に手折られたタンポポは小さな熱い手に持ち上げられた。
「あら、きれいね」
微笑んだ母親に幼い子供は神妙に頷き「お父ちゃんにあげゆの」と言った。
「無事に帰ってくるように、たんぽぽ、おまもり」
「そう。お父ちゃん、喜ぶね。明日からまた遠くで漁だもの、タンポポ、きっと喜ぶね」
微笑みあう親子は手を繋ぎ、丘を降りる。
湿った丸い手の中でタンポポは静かに目を閉じた。
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