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act.3 真夏の昼の夢
近所のお寺は月に一度だけカフェを開いている。
庭に面した縁台に赤い毛氈が敷かれ、ご住職の奥様が点てたお薄と季節の生菓子がいただける小さなカフェ。
奥様いわく、趣味でやっているのであまり賑わうのも、とのことで今日は私しか客がいない。
季節は夏、来る道すがらは灼熱で蝉もやかましかったけれど、ここはとても静かだ。
お薄と水饅頭をいただきながら、私はしばし海のように緑が溢れた庭に見惚れた。
渡る風が、そよと半袖の腕を撫でて気持ちがいい。涼しげに苔むした地面も夏紅葉の柔らかな木陰も本当にきれい。
染み入る緑にぼんやりしていたら素足の脇にクモがいて、思わず「あ」と声が出た。
「お嫌いですか」
不意に声をかけられた。
見ると少し離れた席から私と同い年くらいの男性がニコニコとこちらを見ている。
「すいません、驚いてしまって」
「良かったです。あなたがクモを殺さないで」
「え?」
「殺していたら、畜生道行きでしたよ」
畜生道行き。
何だかわからないが、わからないなりに嫌な感じのことを言う人だ。
身構える私をよそに彼は話しつづける。
「輪廻転生ですよ。死んだらみんな生まれ変わる。でも必ず人間に生まれ変わるわけでもない。生前の行いによって畜生にも虫けらにもなる」
「植物はおろか、無機物なんてこともある。そう、あなたがお抹茶を飲んだその茶碗も前世は人かもしれない」
「例えばキリシタンはね、死んだら終わりと考える。神を信じれば死後は天国へって。でも生まれ変わりはそうじゃない。何度でも生をやり直す。袖ふれあうも多生の縁です。そこでいくとそのクモはもしかしたら前世はあなたの恋人というのもあり得る」
へえ、とか、はあ、とか気のない相槌しか私は打たないというのに男は構わず喋っている。
変な人だな、新手のナンパかな、と思っていると、男が「では頑張って」と言った。
頑張ってって、何を?
私が首を傾げた次の瞬間、空気が抜けた風船のように男は縮み、しゅるりと貝殻に入り込んだ。ボッティチェリのヴィーナス誕生みたいな、内側が螺鈿に光る、白い貝。
ん?ていうか、ここ、貝殻なんてあったっけ。
そう思ったところで、はたと目が覚めた。
夢か。
ぼうっとする頭を振って私は辺りを見回す。
緑の庭は相変わらず静かで、もちろん男はいないし貝なんてない。
まさか寝てしまうとは。
にしても変な夢みた、と思っていると、足先を小さなクモが横切る。「あ」と思うけど、今度は声に出さず、身をすぼめて避けた。
「あら、おしぼり、お持ちしましょうか」
うたた寝から目覚めた私に気づき、奥様が声をかけてくる。
「ごめんなさい、気持ちよくて眠っちゃったみたいです」
「いいえ、ご覧の通りの閑古鳥だもの。ゆっくり寛いでね」
ほがらかに笑った奥様が裏へと引っ込んでいく。
再びの静寂。
見ている間は妙にハッキリした夢だったけれど、目覚めてみれば既に男の顔は霧散した。なのにどういうわけか彼の言葉は今も私の耳元で脈打っている。
輪廻転生。私たちは何度も生をやり直す。
それは頭にこびりつき、しっかりと私の中に根を張り始めている。
風が吹き、緑の海が揺れる。
では頑張って。
吹き抜ける風がそう囁いた気がした。
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