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幼少時の事故で、たしかにジャスミンの身体には傷が残っている。服に隠れている部分が大半だが、ひとつだけ顔にもある。
右のこめかみにある縫い痕は、馬車の木材が刺さったときの傷だ。少しでもずれていたら血管を傷つけ、失血死していた可能性もあるということで、マクニールは自分のほうが死にそうな思いをしたらしい。祖父が丁寧に縫ってくれたとはいえ、傷は深く、数針も縫えば痕は残る。
ジャスミンは基本的には気にしていないが、こんなふうに侮蔑されると対処に困る。これに関しては、同情されたほうがマシだった。
なによりも怒るのだ、彼が。
言われたジャスミンではなく、彼がものすごく怒るから困ってしまう。
「ロベリア・カノーヴァ嬢、なんとおっしゃいましたか」
「グレン様!」
いつにもまして冷ややかで硬質な声色でグレンが現れて、ジャスミンの背には冷や汗が流れた。その声色をものともせずロベリアは喜色に満ちた声をあげてグレンに歩み寄り、甘えるように腕を引く。強者だった。
「お待ちしておりましたの。明日の舞踏会でのエスコートの件ですわ。時間ギリギリというわけにはまいりませんし、会場へ向かうまえにお父様に会って挨拶を。わたくしとの婚約について、きちんと書面で約束をし――」
「ジャスミンに何を言ったのかと聞いているんだが」
「え、なにって、つまりこの娘がグレン様に付きまとっているから、礼儀としてきちんと教えを」
「付きまとっているのはそちらだろう。俺は何度も言ったはずだ、寄るな、と」
そう言って腕を振り、ロベリアの手を払いのけた。ついでに彼女曰くの「冷酷で鋭い目」を向けて、淡々と告げる。
「聞こえていないのか。俺はジャスミンに何を言ったのかと訊いたんだが」
「……だ、だって、女の身で傷を作って平然と」
「傷なら俺にだってある。王宮で働いている者たちもそうだろう。生きていれば、そういうこともある。生きているからこそ傷が残るんだ」
気にすることない。この傷は、ジャスミンが生きている証。生きて、ここにいる証だから、がんばって生きのこった証なんだから、誇っていいと思う。
幼いころ、まだ生々しく隆起していた傷を見て、鏡の前で何も言えなくなったジャスミンに、グレンがたどたどしく告げた言葉は今も憶えている。
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