閑話 ギニョール達のバーレスク4

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閑話 ギニョール達のバーレスク4

閑話 ギニョール達のバーレスク4    ライドハルト・ルーイ・ローライツはほんの数ヶ月前まで、自分は幸せではないと思っていた。  幼い頃から決められたのは、美しく優秀ながらも顔を合わせれば苦言ばかりの婚約者。常に勉学と鍛錬に追われて他の者のように自由など無くて。  王太子という立場故に周囲の目は常に自分を吟味するものであり、近付く者のほとんどが何かしらの打算を抱えていた。  彼等が見ているのは「王太子ライドハルト」であり、誰も「ライドハルト」として自分を見てくれない。そんな窮屈な日々に辟易していたが、今思えばその時の方が幸せだったとライドハルトは思った。  初めは良かったのだ。  ステラの養父であるミナルチーク伯爵と結託し、悪政を敷くセイアッドを断罪して宰相という地位から追い出し、その事が物語となって流行った事で民の間でライドハルトの人気は上がった。  しかし、それは民の間の事であり、貴族達はセイアッドを擁護する者と非難する者とで真っ二つに分かれてしまった。ライドハルトの想定では、自分を支持する者がもっと多い筈だったのに、現実はセイアッドの冤罪を訴え処罰撤回を求める嘆願の手紙が毎日たくさん届き、やがては声高々にセイアッドの無罪を訴える者も現れ始める始末だ。  またこれまであらゆる政務を一手に引き受けていたセイアッドが抜けた事で政務の現場も混乱を極めた。宰相代理に据えたモーリス・シュー・ヴォルクンは激務に見る影もなく痩せ衰え、顔を合わせる度に恨み言をヒステリックに吐き散らし、ライドハルトの机にも行き場のない決済が積み上がっては塔を築く。  そして、側近であり親友である筈のダグラス・カイ・ノーシェルトは心変わりを起こして忠告めいた話をする様になり、それを鬱陶しがっているうちにいつしかライドハルトやステラから距離を取るようになっていた。  また、ダグラスとの仲がギクシャクするうちにマーティン・マーク・ガーランドも思い詰めたように黙り込む事が増えている。  良くも悪くもライドハルトの周りで変わらないのはステラだけだ。しかし、その天衣無縫っぷりがライドハルトの立場に危機を齎している。  特に数日前に引き起こした問題はこれまでの比では無い程深刻な状況になりつつあった。    事の始まりは数日前。  ライドハルトが他国の大使達と「祝夏の宴」に向けて話し合いをしている場に突然ステラが乱入してきたのだ。  大切な話をしている最中だから退席するようにやんわりと言い含めたが、「何で私の話を聞いてくれないの!?」と彼女はヒステリックに金切り声で騒ぐだけだった。その場にいた大使達が皆冷たい視線を向ける中、ライドハルトは早くステラを追い出したくて必死になる。  仕方無しに大使達に許可を取り、要件だけを聞いた所で彼女の口から飛び出してきたのがラソワとの絹交易における関税の増額だ。 「だって、関税も掛けずにこちらだけがお金を払って絹の取引をしているなんてうちの国が損するだけじゃないですかぁ。関税を掛ければもっとお金が入ると思うんですよ」  ステラの発言はラソワとローライツの関係を知っていればまず出て来ない提案だ。ライドハルトは自らの血の気が引くのを感じながら横目でその場に居合わせたラソワ大使であるライネ・ベンティスカを見た。  彼女は勝気な面立ちににこやかな笑みを浮かべながら黙って話を聞いている。彼女の機嫌を損ねるという事はこの大陸でも屈指の強国を敵に回す事と同義だ。 「……失礼ですが、税収を増やして何をなさるおつもりかお聞きしてもよろしいかしら」  誤魔化そうと口を開きかけたライドハルトよりも早くライネが口火を切った。  相手が女性と見て侮ったのか、ステラが小馬鹿にしたような目でライネを見、ライネの姿を上から下まで見て勝ち誇ったように鼻で嘲笑う。その日、ライネが着ていたのは非常にシンプルなドレスだった。しかし、デザインこそシンプルではあるが、使われている物は最上級の素材ばかりの贅を凝らした代物だ。  ステラはデザインだけを見て、ライネを格下の者だと判断した様だ。 「そんなの、この国に利益を齎す為に決まっているじゃありませんか。そんな事も分からないんですかぁ?」  小馬鹿にした様に訊ねるステラの言動にも、ライネはにこやかな顔を崩さない。 「ですから、具体的に何をなさるおつもりなのかとお聞きしているのです」  ぴしゃりと具体的な内容を聞かれたステラは言い淀む。流石に私利私欲の為にとは言えず、咄嗟に出て来たのは最近自分が行なっている炊き出しだ。 「炊き出しに使うのです。国民が飢えているなら救いの手を差し伸べるのが王太子妃である私の役目ですから」  勝ち誇った様に言うステラに対して、ライドハルトは苦虫を噛み潰したような顔をする。セイアッドを追い出して直ぐの頃にプロポーズした時は断ったというのに、最近では当たり前のように王太子妃を名乗るステラの態度にライドハルトは辟易していた。  父王であるユリシーズからも貴族達からも婚約の承認が取れていないというのに、彼女は既に王太子妃のつもりらしい。 「炊き出しがローライツ王国に利益を齎すと?」 「ええ、そうよ」 「その者達はどうして生活に困窮しているのですか? セイアッド殿が宰相であった時はそんな者達は王都にいなかったように思いますが。そして、対策をどうお考えなのです。まさか一時的に食糧を与えておしまい、だなんておっしゃいませんよね?」  矢継ぎ早に告げられる言葉にステラはたじろぐ。  どうして彼等が貧乏になったのかなんて知らないし、仕事なんていくらでもあるだろうから勝手に見つければいい。なんなら庶民の生活なんて私には関係ない。そう思っていたからだ。  質問に答えられないと見ると、ライネはこれ見よがしに頬に手をやりながら大きく溜め息を零す。 「ライドハルト殿下、同盟国の次期王妃がこのような愚か者では我が国にも不利益を齎しかねません。差し出がましいようですが、早急に王妃教育に力を入れるべきだと思いますわ」 「なっ……! 何よ、この女! ルーイ様ぁ、この女を早く追い出して!」  ライネの言葉に、憤慨したステラが甲高い声でがなり立てる。品性の欠片もないその所業に、各国の大使達は眉を顰め、ライネは静々と席を立つ。 「お望みとあらば私は退席致しましょう。……ライドハルト殿下、このお話はラソワ本国に報告し、ローライツ王国とは今後のお付き合いの仕方を考えさせて頂きますわ」 「ま、待ってくれライネ殿!」  ライネの宣告に、ライドハルトは真っ青になって慌てて取り縋ろうとした。しかし、ライネはライドハルトを軽く躱すとコツコツと靴音を立てながら退席してしまう。  残された者達に落ちるのは重い沈黙だ。各国の大使達は互いに軽く目配せをするとそそくさと立ち上がり、上辺だけの挨拶をしながら足早に退室していく。  残されたライドハルトは蒼白のまま彼等の背を見送る事しかできなかった。  ライネ・ベンティスカは女性の身でありながらラソワの代表としてこの話し合いに参加している。そんな彼女が各国の大使が集まるこの場でローライツ王国との付き合い方を考えると言ったのは大陸全土にラソワとローライツの国交が危うくなった事を報せるようなものだ。 「何なの、アイツら!」  一人憤慨しているステラは自らが招いた惨事に気が付いていない。今この瞬間、ローライツ王国はその足下が大きく揺らいだというのに。  呆然とするしか出来ず、ライドハルトは虚空を見つめながらほんの少し前の自らの行動を心の底から後悔した。  セイアッドを追い出さなければ、オルディーヌと婚約破棄しなければ、ミナルチークの口車に乗せられなければ、せめてステラの王妃教育にもっと口を出していれば、ダグラスの言葉に耳を傾けていれば。たらればは脳裏に無数に浮かんでは消えていく。  しかし、今更後悔してももう何もかもが遅かった。    ラソワからその日中に寄越された沙汰は「ラソワ側が指定した商会としか絹の取引をしない事」だった。それ以外は近く来国する王太子グラシアールが決めるという正式な書簡を受け取り、ライドハルトは自らの執務室で項垂れるしかなかった。  これから社交シーズンが始まり、ドレスや礼服を仕立てる者達が増えるから絹が手に入らなくなるのは致命的だ。ラソワとの交易が活発になり、比較的安価にラソワ絹を使えるようになった事でラソワ絹の衣類を身につける事は貴族にとって一種のステータスとなっている。  特に社交シーズン中にある「嫩葉の会」はデビュタントを迎える子の為に借金をしてまでラソワ絹で礼服を仕立てる者も居るという。その者達に影響が出るのは避けられないだろう。そうなれば不満はこの事態を引き起こしたステラに、ライドハルトに向く。 「どうしてこんな事に……?」  何とかしようとここ数日手を打ち続けたが、碌な人脈もないライドハルトにはどうしようもなかった。唯一、ラソワとの縁があるルファスはセイアッドの味方であり、助力は期待出来ない。  頭を抱えながら零れ落ちた質問に答える者はいない。近衛兵ですら以前であれば、室内にも待機していたというのに、今現在では人数が足りなくなったせいで部屋の外にしかいないのだから。  その原因もまたステラだ。  彼女が見目麗しい近衛兵に次から次へと声を掛けるから誇り高い彼等の多くは自ら近衛兵を辞して別の団へと異動していった。今残っている者はステラに対して過剰に好意的な者かその真逆の者だけだ。  独りきりの執務室でライドハルトは自らの行いを後悔する。このままでは自らの地位すら危うい。  これまで王太子である自分の立場は決して揺るがないと思っていた。されど、近頃貴族達の間で密やかに噂されるのはライドハルトの廃嫡と王弟リンゼヒースの立太子である。  本来であれば、リンゼヒース派の貴族との繋ぎがその筆頭であるスレシンジャー公爵家令嬢、オルディーヌ・レイン・スレシンジャーとの婚約だった。スレシンジャー公爵家はリンゼヒースを後継として推していたから、ライドハルトが後継者として内定するのと同時に彼女との婚約が結ばれた。その事でライドハルトの立場を確固たるものにする筈だったが、その繋がりをライドハルトは自ら断ち切ってしまった。  スレシンジャー公爵は婚約破棄が言い渡されたその日のうちに王都を離れて「娘の療養の為に」とオルディーヌと共によりにもよって北方にあるレヴォネ領へと奔る。最近父親であるシガウスだけ戻ってきたが、密かにつけている見張りの話ではリンゼヒースと頻繁にやり取りしているらしい。そのやりとりを隠すつもりもない様だ。  じわじわと忍び寄っていた崩壊の影はすぐ後ろにまで迫っている。そんな絶望感に打ちひしがれながら、ライドハルトはすっかり艶の失せた自らの髪をグシャリと握り乱した。  そんな折に、誰かが部屋をノックする。入れとだけ短く告げれば、入ってきたのは自らの副官である男だ。 「……今度は何だ」  うんざりしながら訊ねれば、彼は淡々と書簡をライドハルトの机の上に置く。 「西方へ遠征に出ておりました魔術師団が帰還致しました。人的被害はなし、無事に西方に巣食っていた魔物の群れを討伐したとの事です」 「随分と時間が掛かったな」  厄介事ではなかった事に安堵しつつ書簡を改めながら呟けば、補足する様に副官が口を開く。 「近場にいくつか発生していた魔物の巣を退治しながらの帰還だった様です。第二騎士団だけでは手が回らぬ所もありますから」  昨今の魔物が活発化しているのは承知していたが、そんなに差し迫っていたのだろうか。知らなかった事を気不味く思いながらもふと疑問に思う。 「ノーシェルト団長はどうした。彼が報告に来るのが筋ではないのか?」  ライドハルトの問いに副官は気不味そうな顔をし、それを見たライドハルトの胸を嫌な予感が襲った。 「……サディアス・メイ・ノーシェルト団長は休暇申請をされるとそのままお帰りになりました」 「何!?」  思わず声を荒げながらも話を聞けば、「ガーランド騎士団長が休暇を貰っているなら働き詰めの僕だって休暇を取る権利がある!」と言い放ち、その場で書類を書くと副団長に押し付けて飛び出して行ったのだという。 「最後に目撃した者の話では北へ向かったとの事です」 「……」  サディアスが向かったのはオルテガと同じくレヴォネ領だろう。そう考えながらライドハルトは頭を抱えた。  追い遣ったとはいえ、未だ宰相の座に座る者の元に総騎士団長、魔術師団長という権力が一気に集中してしまう事になる。それに、彼等は王弟リンゼヒースの学友でもあった。  自らの足元が崩れていくような錯覚に襲われながら王太子ライドハルトは絶望する。  どうにか足掻こうとしても、その足掛かりすら見つからない。  ライドハルトの手元に在るのはただただ足を引っ張る癇癪持ちの恋人だけだった。
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