12 来訪者

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12 来訪者

12 来訪者    スレシンジャー父娘がレヴォネ領へとやって来たのは早馬を出してから一週間程後だった。比較的近い領地だからと馬車を飛ばしてやってきたらしい。  先触れを受け、到着した彼等を出迎える為に屋敷の門まで出れば、公爵家の紋章をつけた立派な馬車が停まっていた。周りには既に数人の公爵家の使用人がいて主人が降りる支度をしている。  「俺」になってから高位の貴族と話すのは初めてだ。幸いな事にセイアッドの記憶は引き継いでいるから相手の人となりや礼儀作法やらは覚えているものの、咄嗟にそれが出てくるかどうか一抹の不安はある。  内心ドキドキしている俺を他所に、馬車のドアが開かれる。先に降りてきたのはプラチナゴールドの髪をした長身の美中年。記憶の中にある容貌と照らし合わせれば、彼がシガウス・サーレ・スレシンジャー公爵だ。  スレシンジャー公爵は自らが降りて直ぐに馬車の方へと手を差し出す。エスコートするのは一人の可憐な少女。彼女の方には「俺」にも見覚えがあった。  「俺」の記憶にある彼女はいつも厳しい表情で婚約者である王太子やヒロインと対峙していたが、こうして見ればこの世界の基準で庸劣なステラよりもずっと上品で美しい。全く、王太子もあのまな板女の何処が良いんだか……。  そんな俺の疑問を他所に、プラチナゴールドの髪と濃い蒼色の瞳をした少女はふんわりとした薄いブルーのワンピースの裾を摘んで優雅にカーテシーをしてくれる。 「スレシンジャー公爵、オルディーヌ嬢。ようこそおいでくださいました。領主のセイアッド・リア・レヴォネです」  彼女のカーテシーに返すようにボウアントスクレープをして見せれば、公爵家の使用人達がほうと息を吐くのが聞こえた。  たっぷり取った休養とバランスの良い食事、それから庇護欲が爆発しているオルテガの世話焼きによって俺の容姿はこの1ヶ月で見違える程改善している。自画自賛になるが、国でも一番の美青年だと思う。  遅れてやってきた王都の屋敷に勤めていた使用人やロアール商会の者にすら驚愕された変貌ぶりにオルディーヌ嬢は驚いているようだが、公爵の方は顔にも出さないのだから恐れ入る。 「領主直々のお出迎え痛みいる。それから急な申し出にも関わらず静養先まで用意してもらったようだが」 「我が家の別荘で恐縮です。ですが、設備の方はこの領内でも随一ですのでご満足頂けるかと」  一見お互いににこやかなやり取りだが、冷や汗が出そうだ。生粋の貴族の圧とでもいうのか、ただ話しているだけなのに妙な迫力があって気圧されそうになる。 「それは楽しみだ。……娘のオルディーヌだ。レイン、こちらは領主のセイアッド殿だ。ご挨拶なさい」  父親に促されて一歩前に出たオルディーヌは先程よりも深いカーテシーをしてくれる。ワンピース自体はシンプルなデザインだが、滲み出る高貴さは隠せないようだ。 「お世話になります、オルディーヌ・レイン・スレシンジャーです。どうぞよろしくお願い致します」  オルディーヌは柔らかな笑みを浮かべながら丁寧に挨拶してくれる。本当にこんな良いお嬢さんの何が気に入らないんだ王太子よ。 「何分田舎なので大したおもてなしは出来ないかもしれませんが、御用命の際には何でも遠慮なく申し付けてください」 「お気遣いありがとうございます。……早速ですが、お願いがあるのです」  顔は笑みを浮かべ、申し訳なさそうに言いながらもオルディーヌの瞳は真っ直ぐに俺を見てくる。その瞳の鋭さに公爵家の恐ろしさを垣間見た。  やはりただの静養が目的ではないのだろう。婚約破棄の原因の一端に俺の失脚もある。どんな難癖をつけられるのだろうと内心で戦々恐々しながらも顔には笑顔を作った。 「何でしょうか」 「わたくしの事はどうかレインと気軽にお呼び下さいませ」  ドキドキしながら告げられた彼女の要望は予想外のものだ。一瞬理解が追い付かず、視線だけでちらりとスレシンジャー公爵を見れば、彼はただ静かに笑みを湛えている。  ……ああくそ、これは拒否権のないやつだ。 「承知致しました、レイン様」 「いいえ、是非レインと。レヴォネ様からは敬称も敬語も必要ありませんわ」  きっぱりと言い切る彼女の言葉に流石に困惑が隠せずにもう一度スレシンジャー公爵を見れば、今度は小さく苦笑を浮かべている。 「無茶を言ってすまない、レヴォネ卿。この子は貴殿と話がしたくて仕方がないようでな。良ければ暇な時にでも話し相手になってやって欲しい」  オルディーヌの言葉を否定や咎めたりしないという事は父親公認でタメ口呼び捨てを許すという事らしい。これは拒否するだけ時間の無駄だろうと諦めて、改めてオルディーヌに…レインに向き合う。 「……わかった。私の事はリアと呼んで欲しい」 「ありがとうございます! では、リアお兄様と」  はしゃいだように声を挙げるレインは本当に嬉しそうで、その様子に困惑する。レインとは王城で多少顔を合わせる機会はあったが、ここまで懐かれるような事をした覚えはない。 「リア、立ち話も程々にして中に入って頂いたらどうだ」  密かに混乱していた俺は背後から聞こえてきたオルテガの声にはっと我に帰る。振り返れば、屋敷の玄関で軽装のオルテガが苦笑していた。  逞しい二の腕を晒した腕まくり姿に不覚にもときめきを覚えてしまう。素材が良ければ服装がシンプルでも格好良く見えてしまうのが悔しい。これが惚れた弱みとでもいうものだろうか。  シャツやズボンが土で汚れている所を見るとまた庭師を手伝って薬草畑にでもいたらしい。 「ガーランド騎士団長?」  流石に驚いた様子のスレシンジャー公爵に名を呼ばれると近付いてきたオルテガが胸に手を当て優雅に礼を取る。 「ご無沙汰しております、スレシンジャー公爵。このような格好で申し訳ない」 「いや、それは構わないが……貴殿はここで何をしているんだ?」  詰問というよりも純粋な問い掛けをする公爵の問いに、オルテガは笑みを浮かべて俺の腰をこれ見よがしに抱き寄せた。予想していなかったオルテガの行動に俺はカッと顔が熱くなるのを感じ、レインは口元を隠しながらも黄色い声を挙げる。 「ははーん? これはこれは……。どうやらレヴォネ卿も隅に置けない方のようだ」 「なっ……!! 違います! コイツは!」  先程までの取り繕ったような笑みを消すと揶揄うように宣うスレシンジャー公爵。そのによによとした笑みに更に顔が熱くなるのを感じて慌てて言い訳しようとするが、横からするりと顎を取られてオルテガの方を向かされた。 「公爵閣下は理解が早くて助かる。なあ、リア」 「煩い、いい加減に離せ。大体お前はここで何をしているんだ!?」 「この屋敷に来るよう誘ったのはお前だろう?」  噛み付いて見せるが、散々イチャイチャしてきたオルテガにそんな強がりが通用する訳もない。ぐいと更に腰を抱き寄せられ、耳元で低く囁かれて思わずびくりと体が跳ねる。  意図して行為の真っ最中みたいな甘い声を出してくるから危うく膝から崩れ落ちる所だったのを必死で踏ん張ってオルテガの胸を押し、何とか体を離した。公爵が何を考えているのか分からないから、醜態は晒せないというのに。クソ、後で覚えてやがれ。 「とにかく! お疲れでしょうからまずは屋敷の方へ……!」  オルテガの腕と公爵家の方々が向ける好奇の視線から逃げるように先導して歩き出す。顔が熱くて仕方ないのを冷ますのに必死だった俺は、背後の連中が微笑ましげにしているなんて気が付きもしなかった。
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