13 腹の探り合い

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13 腹の探り合い

13 腹の探り合い    屋敷に上げて、案内するのは応接室。ソファーを勧めて使用人に合図を出して茶を頼む。  程なくしてカートに乗せて運ばれてくるのは隣国で採れる高級茶だ。希少種の植物を使用しており、産出量も少なくてあまり流通していないもので、王都でもロアール商会しか取り扱っていない。  スレシンジャー公爵家となれば、普段使っている物も品質は段違いだろうが、満足してもらえるだろうか。内心ドキドキしながら茶と菓子を勧める。  カップを手に取る公爵の様子をさりげなく窺いながらも、アルバートに公爵家の使用人を別荘へ案内させるように伝えた。ある程度整えてはおいたが、恐らく普段使いの日用品を持ってきている筈だ。その辺の支度をする時間が必要になる。  さっさと別荘に行ってもらいたいがそうもいかないだろう。若干胃が痛むのを感じながらも、笑みを作る。 「この度はとんだ災難でしたね」  俺の言葉にシガウスの眉が一瞬だが、ぴくりと跳ねた。レインの方は気にも留めず、メイドに茶の事を訊ねている。どうやら気に入ってくれたらしい。 「全くだ。誰かが手綱をしっかり握っていれば話は違ったのだろうが」  やり返されて苦笑する。これに関しては返す言葉もない。今の俺なら王太子達が何かやろうとしている事を察する事が出来るかもしれないが、ほんの数週間前には無理だっただろう。それだけ「私」は疲れ果てていた。 「これは手厳しい。返す言葉も御座いません」 「まあ、あの状況では致し方もないが。自己管理も職務の内だ」 「ご鞭撻痛み入ります。肝に銘じましょう。……ご迷惑をお掛けした代わりと言ってはなんですが、滞在中はどうぞゆるりとお寛ぎください。ご要望がありましたら何なりと」  俺の言葉に満足そうにシガウスは小さく笑う。ふむ、どうやら掴みは悪くないようだ。俺の失脚が一因とはいえ、やらかしているのは王太子達なのをシガウスもわかっている。シガウスの様子に今のやり取りで迷惑をかけたことに関しては手打ちにしてくれるようだと安堵した。 「要望、か。レヴォネ卿はロアール商会の長をしていると聞いたが、事実だろうか」 「ええ。尤も王都を追い出されてしまいましたが。お陰で商売上がったりです」  大仰に肩をすくめて見せれば、シガウスが鼻で笑う。この国を治める貴族の中でもスレシンジャー家は王家に次ぐ権力を持つ。国の裏も含めて情報には精通しているだろうから俺がしていた事なんてお見通しだろう。 「何を言う。ここぞとばかりに付加価値をつけて荒稼ぎするつもりの癖に」 「輸送費やら委託料やら何やらの諸経費が掛かりますから。王都より値段が上がるのは致し方ありません」 「……まあ良い。レインがロアール商会を贔屓にしている。良かったら使わせてやって欲しい」 「承知致しました。後程、商会の者を別荘に遣りましょう」  にこやかに話を続けながらアルバートに視線を遣る。小さく黙礼したので直ぐにでもロアール商会の人間に伝えてくれるだろう。人選の方は商会の連中に任せるとしよう。  ロアール商会はセイアッドが学園在学中から興して取り仕切っている商会だ。取り扱う物は貿易港経由で入る輸入品を中心に、うちの領地で取れる農作物や海産物の加工品。輸入品を扱えば必然的に珍しい物や海外で流行りの物も多くなるし、食糧品は王国に暮らすあらゆる者の生活に直結している。  目新しい物が好きな貴族から庶民まで幅広く利用者がいるからこそ、王都から追い出されたのは少々痛手だ。まあ、懇意にしている別の商会長とは既に話を付けあって販路は確保してあるから嗜好品についてはかなり値段は上がるがどうしても欲しい者はそちらから買って貰えばいい。  人間という生き物は一度生活の質を上げてしまうと落とすのはなかなか難しいものだ。それに、4年前に大陸を襲った冷害と飢饉の爪痕は深く、景気は上向いてきてはいるものの完全に良くなっているとは言い難い。  そこに今まで買えた物の取り扱う店が無くなり、あったとしても値段が跳ね上がっているとなればどうやったって不満は出る。初めのうちは商会長である俺に対してマイナス感情が向けられるだろうが、そんな状況で好き放題に浪費する王侯貴族や新たな王太子妃候補の姿を見れば世の中はどう思うだろうか。  これから王太子たちを待ち受けるであろう状況を想像して思わず笑みが浮かぶ。 「……全く、可愛げのない」 「何の話でしょう?」  小首を傾げて見せれば、シガウスが苦笑する。やはり、彼は全て分かっているようだ。 「遊ぶのも程々にしておけ。迷惑を被るのは民だぞ」 「その辺は心得ております。民に迷惑を掛けるのは私も本意ではありませんから」  民以外は知らん。貴族も一度痛い目を見ればいいんだ。そんな俺の真意を悟ったのか、再びシガウスが笑みを浮かべる。  実際、食糧品や薬用品に使う材料なんかは他の商会を通じて流通を維持しているが、ほとんど値段を変えていない。他の商会を挟むから少しばかり上乗せしているが、今すぐ大きな影響は出ないだろう。それでも積み重なれば負担は増えるし、これからの王太子の動き次第で変わる可能性は十分にあるけどな。  実際、ロアール商会が使えなくなって一番困っているのは貴族の連中だろう。売れ筋の化粧品や香水といった女性向けの商品や煙草や茶葉などの嗜好品は遠慮なく値上げさせてもらっているし、流通量もこれからかなり絞るつもりだ。  既に王都では手に入らなくて色々な店に問い合わせが殺到していると仕入れついでにうちに立ち寄った別の商会長から話は聞いた時には笑いが止まらなかった。噂ではステラも随分ヒステリックに騒いでいるらしい。 「ねえ、リアお兄様。わたくしも周りのお友達もロアール商会の化粧品を愛用しておりましたの。わたくしの紹介でお友達にお譲りして差し上げる事は出来ますか?」  カップを置いてにこやかに訊ねてくるレイン。深い蒼色の瞳は吸い込まれそうな程美しく、浮かべる微笑みも無垢なものだ。そんな彼女の無邪気なお願いに俺も笑みを浮かべて応えよう。 「勿論。新作もあるから是非感想をお聞きしたい」 「わあ! ありがとうございます、リアお兄様」  一見無邪気に見えるこのやり取りだが、レインもこの状況を利用する気満々のようだ。まあ、いきなり婚約破棄されたら腹も立つよな。  「私」の目線から見ても、レインは非の打ち所がない素晴らしい淑女だ。幼い頃からいずれ国を背負う王妃になるべく研鑽を積み、勉学に励んできた彼女は博識で話し上手であり、国内の者のみならず諸外国からの評判もすこぶる良い。  才女であるが、それを鼻にもかけず、誰にでも平等に優しく接するレインは未来の国母として完璧だった。だが、それ故に婚約者である王子ライドハルトは彼女に対して鬱屈とした感情を抱いている、というのがゲームでの設定だった筈だ。ゲーム内での流れでは何をするにも比べられ、劣等感すら抱いていたライドハルトは婚約者と接するのもうんざりしていた矢先に学園で主人公のステラと出逢う。  ステラは平民の両親の間に治癒魔法と聖魔法の素質を持って生まれた。成長し、彼女の才能が世間に知られるうちに「聖女」として祭り上げられ、その噂を聞いたミナルチーク伯爵家によって養女として迎え入れられる事になる。  そして、ミナルチーク家から物語りの舞台でもある王立グロワール学園に入学し、攻略対象者達に出会う……。  庶民出身で飾らないステラの言動や態度は鬱々としていたライドハルトの日々に束の間の光を齎す。凝り固まっていたライドハルトの価値観をステラは庶民の感覚でぶち壊していき、ライドハルトはそんな奔放で純粋なステラに惹かれていった。  必然的に本来の婚約者であるレインとの距離が出来、代わりにステラと親密になる。そんな状況にレインは勿論忠告をする。 「婚約者のいる男性にみだりに近付いてはいけない」 「婚前の女性が男性の体に気安く触れてはならない」 「王太子殿下には敬意を払って接するように」  こうして振り返ってみればレインは貴族の常識としてごく当たり前の事を注意しただけにすぎない。思う所もあっただろうに、この世界の彼女は忠告だけで留めていたようだ。王都にいる者に調べさせた限りではレインがステラを害したという証拠はなかったから。  しかし、そんな彼女の忠告を曲解したのがヒロインだ。権力を盾にした暴論だと王子達に泣きついたのだ。そして、大馬鹿共はその妄言を鵜呑みにしてレインや他の婚約者達にきつく当たる。  婚約者であるライドハルトに邪険にされたレインは嘆いた。そして、それを見たレインの周りにいた者達は身の程を知らせてやろうとステラにごくささやかな嫌がらせをし、断罪劇に繋がった……という訳らしい。  こうして考えるとレインも巻き込まれただけだな。つくづく王子達の浅慮に腹が立つ。 「……レイン、ここには温泉くらいしかないが、ゆっくり体と心を休めて欲しい。足りない物、欲しい物があったら何でも言ってくれ」  いずれ王妃になる身だったとはいえ、まだ稚い少女だ。ずっと支えてきた男に一方的に悪役にされ、婚約を破棄されたばかりとなれば、心に傷も負っているだろう。  俺の言葉にレインとシガウスがそれぞれ良く似た瞳を細くする。表情の動き方も瞳の色もそっくりだ。 「……お心遣いありがとうございます、リアお兄様」  柔らかく微笑む姿は女神のようだ。本当にあんな女の何が良いんだ、馬鹿共よ。 「わたくし、本当はこのレヴォネ領に来られてこうしてお兄様とお話出来るだけで十分ですの」  胸元に手を置きながら嬉しそうにそう呟く彼女の言葉にも表情にも嘘は見えない。何故そんなに懐かれているのか理由が分からず内心で首を傾げる。  「俺」も「私」も記憶にある限り、彼女と面と向かって接した回数なんて数える程しかない筈だ。それに、王都にいる間のセイアッドは幽霊だの骸骨だの言われていた酷い容姿の状態だった。令嬢達からは忌避されていたと思うのだが。 「……一つ聞きたいんだが、レインは何故そうも私を慕ってくれるんだ? そんなに交流もなかったように思うが」  引き摺るのも気持ち悪いし、遠慮もいらないと言われたので直球で質問を投げ掛けてみた。質問を受けたレインはにこやかに笑みを浮かべる。 「叔母様からいつもリアお兄様のお話を伺っていたんです。とても優秀で美しい方だと。ガーランド騎士団長やリンゼヒース王弟殿下とも親しくて、学生時代には随分ご活躍をされていたとか」 「よし、この話はやめにしよう」  パンと手を打って話を強制的に打ち切る。これ以上話をされると学生時代のやらかし黒歴史を芋づる式で晒し上げられそうだ。  学生時代の「私」達はそれはもうヤンチャだった。正しく言えば、行動力の権化リンゼヒースと今とは大違いの悪ガキオルテガに、「私」とサディアスが巻き込まれるというのがお決まりの流れで、色んな事をやらかしたものだ。  レインいう叔母というのは、彼女の母親の妹の事だろう。何人かいるうちの一人が同級生だった筈だ。何を話してくれてるんだ、ちくしょう。 「特にガーランド騎士団長とは幼馴染で親しいのですよね? 是非お二人のお話を聞いてみたいです」  にこにこしながらもぐいぐい圧を掛けてくるレイン。蒼い瞳をキラキラさせながら俺を見ている姿はまるで噂好きの近所のおばさんのようだ。 「聞いても面白い話なんて」 「そんな事ありませんわ! お兄様と騎士団長と王弟殿下のお話でしたらどんなに些細な事でも何でもお聞きしたいのです!!」  ガシッと手を握られて詰め寄られ、思わず言葉に詰まる。先程までの淑女の鏡なんて何処へやらといった様子だ。なんだなんだ、めちゃくちゃグイグイ来るな。そして、サディアスのことを忘れないでやって欲しい。 「んんっ」  レインの勢いにたじろいでいれば、シガウスが小さく咳払いした。その音にはっと我に帰ったレインは恥じらいながら俺の手を離してソファーに戻る。 「レイン。興奮するのも程々にしなさい。レヴォネ卿に本性がバレて距離を取られたら元も子もないだろう?」 「申し訳ありませんお父様。はしたない真似を。以後気を付けます」  待て待て、何の話だ、何の。身の危険を感じてじり、と身を引いていれば、スレシンジャー父娘が俺を見て揃ってそっくりなにこやかに笑みを浮かべる。  胡散臭いその笑みに嫌な予感しかなかった。
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