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24 別れの夕餉
24 別れの夕餉
オルテガにエスコートされながら階下にある食堂へ向かうと、シガウスとレインは既に席に通されていた。
会食とはいえ、気軽なものなのでシガウスもレインも軽装だ。
「先に嫌な仕事を済ませてしまうか」
そう言いながら手を差し出してくるシガウスに苦笑し、抱えていた封筒を差し出す。その厚さに少しばかり目を見張ったのを見逃さなかった。
「全く、君は遠慮というものを知らないのかい」
「面倒をお掛けする。頼みたい事がたっぷりあり過ぎて。これでもだいぶ削ったんだ」
肩を竦めながらもシガウスは自らの執事に封筒を手渡す。
取り急いでやってもらいたい事と補佐官達への指示だけで結構な量になってしまった。ついでに直近の憂慮事項であるラソワ国使節団の訪問についてもあれこれと書いておいた。
シガウスの息子で筆頭補佐官だったルファスが見れば、ある程度の動きは出来るだろう。ただでさえ、国の中でゴタゴタしているのに、この上外交問題まで抱える訳にはいかない。
「ルファスにも働いてもらうことになるかと。内憂外患は出来るだけ避けたい」
「それは間違いない。特にラソワと拗れたら絹が手に入らなくなるだろう。そろそろデビュタントの者がドレスを注文し始める頃だ」
シガウスの言葉に俺は大きく溜息を吐く。目下のところ、一番の懸念事項がそれだ。
この国における正式なデビュタントは「祝夏の宴」の後、社交シーズンの中程に行われる「嫩葉の会」だ。その年に18才になる者が国王に面通しをして成人として認めてもらう儀式で、この会でデビュタントを迎える事で一人前の貴族となる。日本で例えるならば成人式にあたる式典だろうか。
この時ばかりはどんな貧乏貴族でもデビュタントを迎える子の為に質の高いドレスや衣装を用意するものだ。稼ぎの少ない男爵家や子爵家の中には借金をしてまで仕立てる者もいるという。そんな中で絹が手に入らないとなれば一大事だ。
宰相代理か、王太子か、ステラか。はたまたその全員か。いずれにせよ、使節団の一人としてやってくるであろうあの男の機嫌を損ねる様が容易に想像出来る。
「一番心配しているのはそれなんだ……。レイン、君から見てステラ嬢に外交が出来ると思うか?」
「そんなの、無理に決まっているじゃありませんか」
一縷の希望は無邪気な笑みと共に容赦なくぶった斬られた。王妃となるべく研鑽を積み、淑女の鏡と呼ばれたレインがこういうならまず無理だ。
ライドハルトもステラを婚約者にするのはいいが、王妃教育くらいはまともにやってるんだろうか。流石にやってるよな?付け焼き刃でも拙くても何でもいいからせめて努力の片鱗は見せて欲しい。そうすれば、まだ言い訳も出来るし、あの男も努力している人間の事は無碍にはしないだろう。
あー、でも日本で流行っていた転生ものでは悪役を追い出して好き放題してるのがテンプレだったな。……ダメだ、不安しかない。
「……サーレ殿、王都に戻ったらステラの様子も伝えて欲しい」
「承知した。気苦労が耐えんな」
「全くだ。まともに仕事をするなら宰相の座だろうが何だろうが譲ってやってもいいが、無理だろうな」
ふんと鼻で笑いながらも宰相に復職した後の事を思うと気が重くなる。このままレヴォネ領に引っ込んで隠居生活を送りたい……。
「これ以上は気が滅入るだけだな。食事にしよう。サーレ殿の為に今夜はレヴォネの幸を用意した。楽しんで頂ければ嬉しい」
「ありがとう。滞在は一週間程だったがここの食事は本当に美味しかった。また遊びに来たいものだ」
にこやかにそう宣うシガウスの顔に嘘は見えなかった。どうやら本当に気に入ってくれたらしいと安堵する。折角もてなすならば、満足してもらえたら方がやはり嬉しいから。
「いつでもどうぞ。貴方なら大歓迎だ」
ついほろりと零れたのは微笑みと歓迎の言葉だ。しかし、そんな俺を見てレインとシガウスが二人良く似た顔で驚いている。
「何か?」
「いや、君がそうやって笑っていれば政治も人も、もっと簡単に転がせたろうになと思ってな」
「不意打ちは卑怯ですわ、お兄様」
首を傾げながら訊ねれば、シガウスには不穏な事を言われ、レインに言い掛かりを付けられた。なんなんだ、全く。
「お兄様はご自身の事をもっとちゃんとご理解するべきですわ。何人の方がお兄様に人生を狂わされている事か……!」
拳を握りながら力説するレイン。その横で頷くシガウス。身に覚えがなくて俺は困惑するしかない。いや、全く覚えがない訳ではないが……。
父の跡を継いで宰相として仕事をしているうちに不正を正す為に家を断絶させた事もあるし、牢屋にぶち込んだり、領地変えをした事もある。そういった者達やその親族達は人生を狂わせたと言ってもいいだろう。だが、笑って歓迎したくらいでそんな事を言われる筋合いはない。
「もっと言ってやってください。彼には危機感が足りない」
不意に背後から声が掛かって振り返る。そこには使用人に混じってワインボトル片手に給仕の支度をしているオルテガが。食堂に俺を連れて来てから姿がないと思ったら何してるんだ。
「……何をしてるんだ?」
「俺は今休暇中だ。好きに過ごしていいだろう?」
いや、それはそうなんだが何でまた給仕を?
「一度やってみたいと思っていたんだ」
俺の疑問に答えるように甘い声音で言うと、オルテガが俺の頭にキスをしてきた。だから、二人の前ではやめろと言っているのに!ほら見ろ、レインがソワソワし始めた。
いや、これはわざとやってるな。オルテガは俺とレインとシガウスの反応を、二人は俺の反応を楽しんでいるんだろう。皆して俺で遊ぶのはやめて欲しい。
「あまり悪ふざけが過ぎるようなら暇をやろうか。ついでに奉公構いを出してやる」
奉公構いというのはいわゆる追放刑だ。主人から奉公を差し止められて追放されるだけではなく、他家に仕える事も出来なくなる。
「それは困るな。国王はどうでも良いが、お前に触れられなくなる」
「っ……! おい!」
明け透けに国王を蔑ろにする言葉に慌ててオルテガを咎める。しかし、オルテガもシガウスも楽しそうに笑うだけだ。
その様子に、俺は深く溜息をついた。二人してユリシーズを見放したのだろう。軽い頭痛を覚えて手を額に当てながら再び俺は小さく溜息を零す。
ライドハルトは自業自得とはいえ、ユリシーズの評価がここまで下がるのは少々頂けない。仕事が出来ない訳ではないのだ。ただちょっと自信がなくていつも何かに追い詰められているような焦燥感に追われて疲れ果てていただけで。って、なんで俺はユリシーズを庇っているんだ。
……いや、これは「私」の感情だな。ユリシーズとは五年ほど仕事を共にしたが、お互いにシンパシーを感じていたようだ。
今回の追放劇で最も落胆しているのはユリシーズかもしれない。セイアッドがそうであったように、ユリシーズもまたセイアッドに対して歪みながらも仲間意識があったようだったから。
リンゼヒースに良く似たオレンジの混じった金の瞳は時折セイアッドに信頼の眼差しを向けてくれた。
「……悪い方ではないんだ。陛下の事を悪く言うのはやめて欲しい」
「意外だな。君は陛下を庇うのか」
シガウスがにんまりと蒼色の瞳を細める。嫌な笑い方だ。
「私にとっては戦友のような方だ。あのお方にはあのお方の考えがちゃんとある。だから、私は戦ってこれたんだ」
実際、あらゆる法案も刑罰も最終的に国王の裁決がなければ実行は出来ないのだから。
セイアッドの考えを一番理解していたのは国王であるユリシーズだったのではないだろうか。互いに何も言わなくとも仕事でやり取りする事柄の内容を見ればある程度やりたい事がわかったはずだ。
だからこそ、やろうとした事に対して先んじて便宜が図られていた事が幾度かあった。そして、セイアッドの政敵達も易々と手出しが出来なかった。
黎明のように淡く紫がかった銀の髪と夜明けの太陽のような金色の瞳を思い出す。きっと、セイアッドとユリシーズはお互いに対して口や態度には出さずともそれぞれ大きな感情を抱えていた。時折垣間見た、何とも言えないユリシーズの寂しそうな表情が脳裏を過ぎる。
為政者というのは孤独なものだ。そして、ユリシーズはリンゼヒースのように幼い頃から自由に振る舞う事は許されなかった。そう思うと、頼りなくともユリシーズの事を憎み切れないのだ。
「勘違いしないで欲しいんだが、私はユリシーズ陛下の事を糾弾しようとは思っていないよ。あの方は間違いなく私にとっての王なのだから」
セイアッドにとって唯一忠誠を誓った方。だが、シガウスとオルテガにとっては既に違うのだろう。
「甘い事だ。息子の独断とは言えこれ程の大事を起こしてのうのうと王座に座り続けられる訳があるまいに」
「それは承知している。……きっと、陛下もご理解されている。だから、何も言ってこられないんだ」
侮蔑するようなシガウス、硬い表情になるオルテガ。
今ならわかる。
ユリシーズもまた疲れ果てていたのだ。
王として生きる事しか許されなかった。才ある弟が生まれてもずっとずっと、突然父王が亡くなって王座についても、その生き方しか赦されなかった。
そんな生き方をしてきたから妄執しているだけで、彼自身何か切っ掛けを探していたのかもしれない。あの断罪劇の日、ほんの僅かに垣間見えた夜明け色の瞳は諦めに満ちていたが、どこか安堵したようにも見えたから。
彼は既に覚悟を決めているのだ。ただ、その日を静かに待っている。
「それでも……私はあの方を嫌いにはなれないよ」
俺の言葉に二人は苦笑する。この先の未来がどうなろうと、ユリシーズの事はあまり悪い方向に転がらないで欲しい。これは「私」の我儘なのかもしれないが……。
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