28 銀狼の来訪

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28 銀狼の来訪

28 銀狼の来訪    そのまま昼過ぎまでダラダラとベッドで過ごした俺は体力回復用のポーションも服用してある程度は動けるようになっていた。  流石ゲームの世界というかなんというか、この世界には栄養ドリンクとかエナジードリンクの代わりにポーションが存在している。エナドリと同じで乱用は体と精神に宜しくないので本当に必要な時だけしか使えないが。過剰摂取すると健康を害するのは薬でもポーションでも同じらしい。  昼食を摂った後、オルテガにはレインの相手を頼み、俺は普段ロアール商会を任せているヒューゴと話す事になっていた。自分の書斎で待っていれば、程なくして執事のアルバートがヒューゴの来訪を告げた。  茶と菓子を頼んでヒューゴを俺の部屋に通してもらう。入ってきたのは軽薄な雰囲気を纏う若い銀髪の男だ。  細い目の隙間から覗く瞳は真紅、長い銀髪は後ろで緩く三つ編みに編んでいる。カラーリングはファンタジーな感じだが、アジア系の顔立ちをしているせいか、俺には親近感があった。 「来てもらって悪いな」 「いやいや、ご主人サマがお呼びなら尻尾を振って馳せ参じるのが飼い犬の仕事でしょ?」  にんまり笑いながら言うヒューゴの態度に僅かに眉を顰める。こういう卑屈な物言いはこの男の悪い所だ。身分の差はあれど、「私」は彼を友人だと思っているし、数少ない心から信頼出来る人間だから。  ヒューゴは本名をイン・ダーランという。海を越えた遥か東方の国が出身らしい。「俺」の世界でいうアジア圏の人間に近い雰囲気を持つ男だ。名前も中国語っぽいのでこの世界にはそういう国があるのかもしれない。 「……私はお前の事を犬だなんて一度も思った事はないぞ」 「分かってるってー。俺が勝手に言ってるだけだから」  ころころ笑いながら手をひらりと振ると、直様ヒューゴは纏っていた軽薄な雰囲気を打ち消した。こうなると貴族と接するのとはまた違う圧がある。 「それで、俺の大事なご主人サマのお願いは?」  デスクに手をつきながら身を乗り出してくるヒューゴ。獣のような男だが、忠誠心も義理人情も厚いから信頼出来る……と思う。少なくとも「私」の記憶では信頼出来る者だ。  あまりにも雰囲気が胡散臭いが。 「はぁ……。レインから話は聞いているな?」 「ああ、出版のやつ?」 「それだ。頼むから変な話には」 「あれだったらとっくの昔にうちで一番人気のセンセイに依頼済みだよ」 「は?」  待て、今なんて言った? とっくの昔に一番人気の作家に頼んだって言ったか? 「ご主人サマが王都から追放になった翌日には依頼済み。状況を逐一報告してるお陰か筆が乗りに乗ってもう直ぐ初稿が出来上がるってさ」 「……なんでそんなに話が進んでるんだ?」 「そりゃセンセイに聞かないと分かんないけど、場面設定が好みだったんじゃない? 大丈夫だって、変な話にはしないようにちゃーんとお願いしてるから。あ、オルディーヌ嬢から提供してもらったネタも送っといたよ」  からから笑うヒューゴは懐から長キセルを取り出し、火魔法で火をつける。一息に吸い込んでからスパーと煙を吐く姿は旨そうだ。  ああもう、違う言いたいのはそれじゃない。なんで小説を書くように勝手に依頼してるんだって話だ。そもそもその段階じゃオルテガもこちらに来ていなかった筈だが? 全く、どいつもこいつも勝手に話を進めてくれるな。  そこまで話が進んでいるなら今更止める事も出来ない。堪え切れずに深い溜息を零すとヒューゴは再びからからと笑ってひらりと手を振る。 「……なあ、リア。俺達にとってアンタは大恩のある愛すべき主人だ。そんな大事な大事な主人を貶められて俺達が大人しく黙っていられると思うか?」  普段の軽薄な口調をかなぐり捨て、獰猛な本性も露わにヒューゴが再び煙を吐く。こちらを見る真紅の瞳はギラギラしており、それだけで彼が深く静かに怒っている事が伝わってきた。  ああもう、こうなると厄介なのがこの男だ。  ヒューゴは……ダーランは元々貧民街を取り仕切っていた者の一人で、「銀狼」というあだ名で商会やレヴォネ領の連中から慕われている。今でこそ商人としてセイアッドの手足となってくれるが、昔は随分と後ろ暗い事もしてきたらしい。  そんな彼と「私」が出会ったのは今から十年程前の事になる。  当時のセイアッドはロアール商会を立ち上げたばかりだった。父に出された課題の一つとして商会運用をしてみろと言う難題があり、試行錯誤をしている真っ最中に王都でとある事件が起こる。  それが貧民街で発生した大火災だ。  火の不始末なのか。故意の放火か。火元は未だに不明のままだが、貧民街の一角から出火した焔は瞬く間に貧民街を呑み尽くした。流れ者達が勝手に建てて住んでいた小屋は古い木材が使われている事が多く、更には冬場で空気が乾燥し、強風が吹いていたから火の手は激しくなるばかりだった。  結局丸一昼夜燃え続けた焔は貧民街を焼き尽くし、多くの者が家を、家族を失くした。しかし、彼等を待ち受けていた不運はそれだけではない。  兼ねてから王都にとって貧民街は悩みの種であった。勝手に住み着いた者達のせいで治安も景観も悪くなる。放置は出来ないが、そこに住む者達をどうするのか解決策がない。  それに下手に手出しが出来ない理由は他にもあった。貧民街には貧民街の社会があり、表沙汰にならない薄ら暗い仕事は主に彼等が請け負っていたのだ。  現代で言えばマフィアやダークウェブみたいなものだろうか。暗殺や諜報、違法薬物の取引、人身売買……。ありとあらゆる悪事が渦巻いていたと聞く。  貴族の弱味を一番握っていたのは貧民街の上層部に位置した人間だ。下手につつけば逆に喰い殺される。そんな弱味のある者達には手出しが出来ず、事態は膠着状態になっていた。  そんな時に発生したのがこの大火だ。これ幸いと街を管理していた者は彼等を追い出し、その混乱に乗じて殺された者も幾人かいたらしい。  もしかすると、火事は故意に引き起こされたもので、貧民街にいた特定の者を殺す為に仕組まれていたのかもしれない。だが、被害を受けた者の大部分は関係のない、ただの一般人だった。   傷付き、行き場を無くした者達を当時の宰相だったセオドアはありとあらゆる手を打って救おうとした。彼等とてなりたくて貧民に身を落とした訳ではない。特に幼い子供達は尚更だ。その救済措置の一環として、また怪我人の治療にセオドアは息子であるセイアッドをも利用した。  「私」は父の命を受けて現場へと駆け付けて怪我人の救援と治療を行ない、そんな最中にヒューゴと出会ったのだ。
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