32 『恋風の雫』

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32 『恋風の雫』

32 『恋風の雫』   「さて、良いお知らせと悪いお知らせどっちから聞きたい?」  執務室に入った途端、ソファーに座る間も無くダーランが口火を切った。どうやら状況はあんまり宜しくないか、よほど火急の用件か。 「……良い方から頼む」  少し悩んでからこちらを選んだ。多分悪い話の方が長くなるだろうからな。とりあえず、ダーランに座るよう促して応接用のテーブルを挟んで向かい合った。 「じゃあ、良いお知らせから。頼まれてた黒斑病に効く薬草の確保なんだけど、向こうの協力もあって予想よりも量が確保出来て、感染予測範囲分は用意出来そうだ。生産者もかなり頑張ってくれたみたいだから、リアからもしっかりお礼言っといて」 「そうか……。直ぐにお礼の手紙を書こう」  ダーランの報告にほっと息を零す。頼んでいた事の一つが今年の冬に起こるであろう黒斑病への備えだ。  セオドアが命懸けで行った検証の結果、黒斑病に薬効のある薬草を見つける事が出来た。この数年間、様々な領地に掛け合って生育してもらったものは無駄ではなかったようだ。 「これで父も浮かばれるだろう」 「……そうだと良いね。もう一つ良いお知らせ。頼まれてた探し物がやっと見つかったよ。これで良かった?」  ダーランが懐からテーブルの上に出したのは小さな香水瓶だ。淡いピンク色の造花が取り付けられた香水瓶の中には同じ色の液体が揺れている。 「私」に見覚えはないが、「俺」には嫌という程見覚えのあるものだ。ずっと探していた物を前に、俺は思わず笑みを浮かべる。 「……流通路は?」 「そっちはまだ絞ってる最中。すぐ分かると思うよ。作った男は家族もろとも保護して身柄預かり中だから、新規にこれが流通する事はないから安心して。……それにしたってやばい物だよなぁ、コレ」  にんまり嗤いながらダーランが指先でつつくソレ。淡いピンクの液体の名は『恋風の雫』という。ゲーム内において使用すると一定時間ではあるが傍にいるだけで好感度が上がる、所謂「攻略お助けアイテム」だ。  ゲームは一日毎に進むシステムで、決められた日や好感度によってイベントが発生する。朝、学園の寮からスタートして、学園の寮の自室に戻る事で一日が終わるというのがルーティンとなっていた。その間にプレイヤーは様々なミニゲームや選択肢を以ってヒロインであるステラのステータスを上げたり、攻略対象者達の好感度を上げていく訳だ。  発生させたいイベントによっては「この時期にこれくらいの好感度がないと発生しない、しかし現状ではどんなに頑張っても期日に間に合わない」なんて事が起き得る。そんな時に『恋風の雫』を使うのがプレイヤーのセオリーだった。  ゲーム内でもそれなりに高額のアイテムで、攻略難易度の高いキャラルートのデバッグ中にはこれを買う為に必死でお金稼ぎの内職ミニゲームをした、なんてスタッフもいた筈だ。ただし、その効果は絶大であり、一度使用して対象者と接するだけで好感度が跳ね上がる。  特に本格的な攻略が後半からしか出来ない年上組には使用される頻度が高かった。だからこそ、俺はこのアイテムの流通を止め、奪ってしまいたかった。ダーランには領地に来る前から探るよう頼んでおいた物で、やっと彼も尻尾を掴んだようだ。 「リアから話を聞いた時は半信半疑だったんだけどな。……御伽噺でもあるまいに、人の心を惑わし、自分に惚れさせる香水が実在する、なーんて普通は思わないでしょ」  ダーランが指先で弾けば、香水瓶はコトンと音を立ててテーブルの上に倒れた。ゆらゆら揺れる淡いピンク色の液体は確かにそこに実在している。 「あるだろう、そこに」 「そーゆー話じゃなくてさぁ。あーもー、忌々しい! どうせあの女がこれを使ったんでしょ?」 「わからん。確証はないからな」 「……何でそう冷静なのかねぇ」  激昂したかと思えば俺の態度にダーランは不服そうに顔を顰める。もっと怒れば良いのにとでも言いたそうだが、「俺」にとってステラがこれを使っているのは予想の範囲内だ。なんならコイツはどうでもいい。  大事なのはこれから。 「作った者を捕らえたと言ったな」 「言ったけど」 「話がしたい。会えるか?」  俺の言葉にダーランが困惑した顔をする。 「いや、まあレヴォネ領で軟禁してるから会えるし話せるけど……まさか自分用に作ってもらうとか? これ以上人をたらし込んでどうすんの!?」  ダーランのセリフに思わず脱力をする。お前の方こそ何を考えてるんだ。  まるで俺が節操無しみたいだろうが。 「そんな事するか。そいつが作ってる別の物に興味があるんだ」 「別の物?」  怪訝そうな真紅の瞳に笑みを浮かべながら小瓶を手に取り弄んで見せる。 「便利だよな。こんな物で人の心が弄べるなんて。だが……人を好きにさせるなら逆もまたあり得るだろう?」  小瓶に口付けながら横目でダーランを見れば、彼は一瞬目を丸くするが、すぐににんまりと楽しそうに笑みを浮かべた。どうやら俺の意図を理解してくれたようだ。 「悪い人だねぇ。でも、俺もそういうの大好き! 早速話出来る様にしておく」  楽しそうに話すダーランの様子を見ながら内心で酷く安堵する。  セイアッドにとって歳上攻略対象者の三人は幼馴染で親友だ。特に、オルテガはゲーム内でも屈指の攻略難易度だったが、このアイテムを使えばそれも容易になる。  これ以上奪われるのだけは避けたかった。  あの夕焼け色の瞳に拒絶されたら、きっと生きていけない。 「……リア」  名前を呼ばれていつのまにか落ちていた視線をあげる。ダーランを見れば、何とも言えない切なげな表情で笑っていた。 「流通分は見つけ次第回収して処分してる。あの女に売った分も使用頻度からすれば残り僅からしいから」 「……顔に出てたか」 「がっつりね。こんな物程度であの人が揺るぐ事なんて無いと思うけど」 「分からないぞ。元より人の心なんて秋の空より変わりやすいんだ」  香水をテーブルに戻しながら皮肉を込めて呟くとダーランが呆れたように肩を竦めて見せた。 「なーんでそう自信がないのかねぇ。あの人がアンタの事裏切るなんて起きた日にゃ天変地異で大陸が割れるよ」 「大袈裟だな」 「いんや、リアはそろそろちゃんと自覚しろ。あの人がどれ程アンタの事好いてるのか。アンタが思ってるより、ずっと陰湿で粘っこくて重たいぞ、あの人」  ダーランの話に心当たりがなくて首を傾げる。  セイアッドの前ではオルテガはいつも穏やかで紳士的で包容力に溢れている。時折意地の悪い態度を取ったりもするが、それもまた格好良くて好きだ。確かにセックスは激しくてしつこい事もあるが、そもそも俺も「私」もそれ自体嫌じゃないというか大歓迎というか……。  いや、話が逸れたな。とにかく、陰湿なんて言葉はオルテガには合わないと思うんだが。 「うわー、マジか。自覚無し?」 「自覚も何もオルテガはいつも紳士的だろう? まさに騎士の中の騎士だ」  ゲーム内でもオルテガは高潔な男だ。御伽噺に出てくる騎士そのものの姿はプレイヤー間でも人気が高かった。  しかし、俺の言葉にダーランは生暖かい目でこちらを見る。なんだよ、その眼は。 「はー……リアが鈍いのかあの人が隠すのが上手いのか。いや、これは両方だな」  呆れたような声音に困惑する。そんなに俺の前とそれ以外ではオルテガの態度が違うのか。  俺の前では常にオルテガは甘い。甘過ぎて溺れそうなくらいに。溺愛という表現が似合うその声音に、対応に大事にされているのだと否応にも思い知らされる。そんなオルテガに俺も「私」も弱いのだから。  塩対応のオルテガ。うーん、想像が出来ない。それはそれでめちゃくちゃ見てみたい。体験するのは御免だが。 「言っとくけど、リアが想像してる何百倍も恐ろしいからね? 俺は思い出しただけで冷や汗出るんだけど」 「そんなに?」  まあ、あの美形に凄まれたらそれだけで凄い迫力だよな。  黙って立っているだけで自然と目を惹きつける美丈夫は、この大陸でも屈指の強さを誇る。それであの性格と容姿だ。他国からの人気も高いと聞いていた。稀に参加する夜会ではハイエナのように婚約者の座を狙う者に取り囲まれているのが常だった。  幼い頃から見知った「私」だってオルテガは格好良いと思っているし、「俺」だってキャラデザのラフを見せてもらった時からセイアッドを抜けば一番好きなキャラだ。  ああ、そうだ。また一つ思い出した。名前も顔も思い出せないあの同僚は俺と話をしながらオルテガのキャラを作っていた。そうか、彼がオルテガを生み出したのか。  あれ、そう考えるとオルテガにはそもそも俺の好みが結構反映されているんじゃないか? 気のせいかもしれないけど。  致してる時だって間近にあの端正な顔が在るだけでドキドキしてしまう。耳を擽る低くて穏やかな声を思い出すだけでそわそわする。いや、また思考が飛んでるな。どうにもオルテガの事を考えると思考が逸脱しやすい。  好き過ぎる自覚があるからこういう風に振り返るのがなかなか小っ恥ずかしいんだよ。  ふと気が付けば、ダーランがにやにや笑いながらこっちを見ていた。
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