33 トラブルの気配

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33 トラブルの気配

33 トラブルの気配   「んんっ、悪い知らせの方は?」  軽く咳払いして話を逸らそうとするが、ダーランはにやついたままだ。軽く睨んでやるが、ダーランが気にした様子は見せない。 「はいはい、悪い知らせね。ラソワの絹の件なんだけど、結論から言えば買い付けの量は増やせた」 「ん? それのどこが悪い知らせなんだ?」 「最上級の絹を、いつもの五倍の量で用意してくれるらしい。しかも、値段は相場の六割だ」 「…………」  ダーランからの報告を聞きながら嫌な予感を覚える。シガウスから何も報せがないからラソワとのトラブルはまだ起きてないと思うんだが……。いや、これは既に何かしら起きたと思っておいた方がいくらか気が楽だな。  ラソワにはうちの国にはない強力な情報伝達の手段がある。それを使えば即日で動く事も出来るだろう。 「ついでにこれは今朝王都から戻った連中から聞いたばかりの噂話なんだが、王太子が在国してるラソワの大使に向かって関税増額を言い渡して、それに対してラソワ側が激怒したそうだ」 「あー……それは多分噂じゃなくて事実だろうな」  商人達は行き来する中でお互いに情報共有をしている。なので、実際に起きた出来事の大筋の話が噂話として流れてくる事は結構多い。ただ、多くの人を介して伝言ゲームをしているうちに内容がめちゃくちゃになっている事もしばしばあるので信用しきれないのが難点だ。  今回の場合、言ったのが本当に王太子なのかどうかは知らんが関税の話をした奴がいるのだろう。頭痛を覚えて軽くこめかみを揉む。誰だ、そんな事を言った大馬鹿野郎は!  何で使節団が来る前にトラブルが起こせるんだ。流石に予想外過ぎる。この取引は多分というか、絶対そのトラブルの余波だな。  ラソワとうちの外交の窓口はある男が取り仕切っている。視察に来るのもそいつとその側近が中心だ。なまっじかそいつらの立場が高いから厄介なんだよなぁ……。「私」時代に味わった諸々のトラブルを思い出して思わず遠い目になる。四年前の飢饉がきっかけとはいえ、仲良くなるのは本当に大変だった。 「……とりあえず取引はそのまま進めてくれ」 「りょーかい。流通には直ぐ出す?」 「いや、一旦倉庫に置いておいてくれ。向こうの真意がわからない以上、下手に流すと後が怖い」 「わかった。いつでも出荷出来るようにはしておくから」 「任せた」  元よりローライツ王国内でもラソワの絹を扱える者は限られていた。その中でも最大の取引量を誇っていたのはロアール商会だ。  この取引はセイアッドに恩を売ろうとしているのだろう。ラソワの絹を独占販売出来るとなれば利益はとんでもない事になる。  だが、俺にはそのつもりはない。詳細が上がってこない事にはなんとも言えないが恐らく、ローライツ国内でラソワの絹を取り扱えるのはロアール商会だけになっているだろう。  そうなると、嫩葉の会に出る者達が礼装を仕立てられずに困ってしまう。無関係の者が不利益を被るのは俺の主義に反する。一生に一度のデビュタントで着る物が用意出来ないなんて流石に気の毒だ。  彼等の父母は何かしら関係しているかもしれないが、その子らにまで罪を被せようとは思わない。生まれる場所は選べないものなのだから。  あの男もこちらの気性を知り尽くしているから俺がそう動く事を見越しての取引なのだろう。まったく回りくどい事をしてくれるな。  途端に何もかもが面倒になってソファーの背もたれに背中を預けてずるずるとだらし無く座る。 「あー、面倒くさい。絶対絡んでくるぞアイツ。なんならラソワから直接こっち来そうだ。面倒くさい」 「香水いじってた時のかっこいい雰囲気台無しなんですけどー。俺のときめき返して」 「五月蝿い、面倒なものは面倒なんだ。いっそコイツでも使うか。私の奴隷にしたら多少はマシになるんじゃないか」  テーブルの上に鎮座する香水瓶をチラリと見遣れば、ダーランが細い目を見開いてギョッとした顔をする。 「あの人なら奴隷になる前に理性ぶっちぎってアンタのこと自分の国に拉致るって! そして、オルテガ様がそれにブチギレて戦争一直線になりそうだし、色んな意味で後が怖いから絶対やめといた方がいいよ」 「そうか……」 「なんでちょっと残念そうなんだ。マジでやめてよ?」  いやな、実は興味あったんだよな。ファンタジー世界にありがちな惚れ薬と聞いてちょっと試してみたいって思うのは俺だけか?知的好奇心が疼いてしょうがない。  そんな事を考えながらじっとテーブルの上にある香水瓶を見ていたら横からダーランの手が掠め取っていった。 「これは没収!!」 「あっ! 少しだけ! 少しだけだから!」 「ダメに決まってるでしょーが!! 痴情の絡れで開戦なんて醜態晒してみろ! セオドア様が泣くよ!」  こんな風にセイアッドを容赦なく叱り付けるのはダーランくらいなものだろう。三つ歳上のダーランにとってセイアッドは弟分でもあるのだと彼は言う。だからこそ、こういうじゃれ合いが出来るのだ。 「ちょっとだけだ。悪用はしないから」 「信用出来るか!」  ダーランの手から香水瓶を取ろうとするが、彼は伸びをするように手を伸ばして逃れてしまう。なので、テーブルの上に手をついて身を乗り出しながら更に手を伸ばした所でドアが軽くノックされた。 「リア、紅茶を……何をしているんだ?」  入ってきたのはオルテガのようだ。ドアに背を向ける形の席にいる俺には声しか聞こえないが、初めはいつもの調子だったのに途端に低くなる声音に思わずびくりと体が跳ねた。おっと、これはまずい。何でか知らんが、超絶不機嫌だ。  正面に座っているダーランが青い顔をして「やばい、俺死んだ」と呟いている。 「ええ、と……商会の話を少々?」  慌てて言い訳しながら恐る恐る振り返ればオルテガは俺とダーランの様子を見て目を細める。咎めるような夕焼け色の瞳は冷たい。これが噂の塩対応か……!! 「随分と楽しそうだな」  俺が振り返ったと見るとオルテガがにこりと笑みを浮かべる。いや、これは笑って見せてるだけだな。 「話は終わったから俺はお暇するな! 香水の制作者は明日にでも会えるようにしとくから!! じゃ、後はごゆっくり!」 「あっ、逃げるな!」  一瞬の隙をついてダーランは香水瓶を持ったまま脱兎の如く部屋から飛び出していく。残されたのは中途半端な体勢で固まる俺と笑顔のオルテガ。 「リア」  低い声が俺を呼ぶ。近付いてきたオルテガはテーブルに紅茶を乗せたトレイを置くとそのまま俺を抱き寄せた。  途端に、前にレインが作ったという香りがして心臓が跳ねる。何でまたこの香水をつけてるんだ。気に入ったのか。これまで香水なんてつけた事なかったくせに。 「アイツと仲が良いのは知っているが、じゃれ合いも程々にしてくれ」 「何故? ダーランなら悪さなんて……」 「俺が妬けるからだ」  抱き締められたままオルテガがソファーに座るから必然的に彼の膝に座る体勢になり、香水を身に付けていていつも以上に良い匂いがする上にトドメの一言。  無理、キャパオーバーだ。  思わず両手で自分の顔を覆いながら悶絶する。「俺」も仕事でオルテガルートも散々やってきたからそれなりに耐性があると思っていたというのに。お前、そのゲーム本編よりも甘いってどういう事だ……!! 「……お前は私を殺す気か?」 「それ程まで俺の愛に溺れてくれるなら本望だな」  顔は隠しているが耳まで熱いからそっちは隠せていないだろう。オルテガの声が機嫌良さそうに弾み、頭や顔を隠している手に幾度もキスを落とされる。  オルテガのご機嫌は直ったようだが、俺が無理。恥ずかしくて死にそう。  ゲーム内のオルテガはもっと大人っぽかった。オルテガルートでステラとくっついてもこんな風に触れる事は少なかったし、キスのスチルも一枚くらいしかなかった筈だ。そんな所がストイックで良いと世の乙女ゲープレイヤー達にうけていたと思うが、「俺」の知るオルテガと今俺を抱いているオルテガのギャップが凄い。  実際に触れる事も交流する事も出来る事が大きいのかもしれないが、それを差っ引いたってゲーム内のキャラとの乖離がある。セイアッドの人格が「俺」に成り代わっている実例もあるし、オルテガも現実世界の何かしらから影響を受けているのかもしれない。 「リア」  低い声が耳を擽る。ぞわりと背筋に甘い痺れが走り、胎の奥が疼いた。抱き締めてくれる腕の強さも、鼻腔に満ちる香水と混ざるオルテガの香りも全部が俺の理性を融かしていく。 「んっ、ダメだ。まだやる事が……」 「少しくらい良いだろう?」  唇で耳介を喰まれ、甘い声で誘惑される。大好きな相手にこんな事をされて反応するなという方が無理だろう。  オルテガとこの香水の組み合わせは本当にダメだ。元々薄弱な俺の理性を容易く壊してしまう。もしかして、『恋風の雫』と同じような効果がある香水だったりしてな。まあ、そんな物がほいほい存在する訳だろうけど。  オルテガの匂いに包まれながら時計をチラリと見て、ついつい少しくらいなら良いかと考えてしまう。 「……一時間だけだぞ。それに、最後まではしないからな?」 「わかった」  食い気味の返事と同時にソファーに押し倒される。身動ぐたびに香る香水とオルテガの匂いにくらくらしながら俺は逞しい背に腕を回した。
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