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41 翼を持つ友
41 翼を持つ友
食事を終えた俺はグラシアールに厚着をするように言われて急遽引っ張り出した上着を着て庭に出ていた。そんな俺の元へ月明かりの湖畔をグラシアールについて歩いてくるのは漆黒の竜だ。
月光を浴びて輝く漆黒の鱗は艶かしく、グラシアールと同じ薄青色の瞳の瞳孔は猫のように縦に細長い。
「俺の相棒、カルだ」
小型のバスくらいの巨体をした黒い竜はその体を地面に伏せると長い首を下げながら頭をそっと俺の方へと近付けてくれる。どうやら怖がらせないように配慮してくれているらしい。
「触れても大丈夫なのか?」
「ああ。触られたくなかったらそもそも近寄りもしないさ」
肯定するようにぐるると小さく唸る竜は上目遣いで俺をじっと見ている。その視線に促され、恐る恐る手を伸ばした。指先が竜の頭に触れた瞬間の感想は外気で冷やされたのかひんやりとしている、だ。しかし、掌全体で触れてみると硬いと思った体は思いの外しなやかな感触がして鱗はつるつるして触り心地が良い。
うん、これは癖になるやつだ。そっと掌を滑らせて首の方へと移れば、頭よりも更に弾力を感じる手触り。てっきりガチガチの岩のような触り心地だと思っていたが、ずっとしなやかで柔軟な感触に「俺」だった頃に動物園で触れた蛇の感触を思い出す。
あれは誰と行ったんだったか。就職してからだった気がする。動物園でニシキヘビを首に巻く体験が出来るというのでついでに触らせてもらったんだ。あれが巨大化した感じ。
撫でているうちにカルは気持ち良さそうに目を細めながら俺の体にそっと鼻面を擦り寄せてくれる。ぐぅ、これは可愛い。動物が大好きな俺的にはこんな風に甘えられるのはやばい。やっぱり良いかもしれないマイドラゴン。
「カルからの謝意だ。遠慮なく触れると良い」
「いいのか?」
カルの顔を覗き込めば、再び黒竜がもっと触れと言わんばかりに小さく唸りながら顔を擦り寄せてきた。どうやら、こちらの言っている事を正確に理解しているらしい。ファンタジーでありがちな設定だと思うが、竜は高い知能を有しているというし、カルも賢い種族なのだろうか。遠慮なく触らせてもらう事にしよう。
「思ったより柔らかいんだな。それに、美しい鱗だ」
「竜はこの世で最も美しく素晴らしい生き物だからな」
得意げなグラシアールはカルの首筋を撫でると体の横へと回った。しっかり装備を見るのは初めてだが、基本は馬に乗る時とそんなに変わりはないらしい。
鞍と手綱は革製のようで竜の体に沿うように作られていて全てに精緻な刻印が施してある。流石王族の馬具、いや竜具か? なんかカッコいいな、竜具って。
グラシアールは慣れた様子でカルの背に装着された鞍に跨り、俺に手を差し出してくる。ん? 待てよ、これは二人乗りの苦悶再来なのでは?
「……前と後ろ、どちらに乗るべきだ?」
「前だな。鞍の前部に持ち手があるからそれをしっかり掴んでおけ」
ちらりとオルテガを見遣れば、にこにこしているもののなんか雰囲気が不穏だ。これは後が怖い。しかし、ドラゴンに乗って飛ぶ誘惑には勝てなかった。
少し下がって俺の分のスペースを開けながら差し伸べてくれるグラシアールの手を取って恐る恐るしゃがんでいるカルの背に足をかけながら登り、鞍に跨る。ヴィエーチルよりも更に体の幅があるから足で体が上手く固定出来なくてしがみついていないとちょっと怖いかもしれない。
首を曲げて俺が鞍の前にある持ち手をしっかり握ったのを見るとカルが一声吼えてから体全体を躍動させながら大地を蹴って走り出した。大きく揺れる動きに必死でしがみついているうちにどんどん速くなり、一際大きく強くカルが大地を蹴る。
同時に左右でばさりと大きな羽音がして浮遊感が体を包み込む。ドキドキしながら周囲を見れば、黒い翼が力強く風を捉えて徐々に高度が上がっていく光景が目に飛び込んできた。
疾風のように後ろへと流れて行く景色は徐々に斜めになっていき、直ぐに森の木立すらも失せて視界が開けた。飛行機で空を飛んだ事はあるが、それよりももっと臨場感に溢れている。冷たい風が頬を撫でる中、どんどん高度が上がっていくのは爽快だ。
これが竜の見る光景。そう思うだけで気分が高揚する。後ろにいるグラシアールがしっかり体を支えてくれるから思ったよりも恐怖感はないし、むしろ揺れが無いから馬より快適だ。……やっぱり欲しいかもしれないマイドラゴン。問題は俺ではドラゴンを倒せない事だろうか。
地上がずっと下になった頃、カルが水平飛行の体勢を取る。時折翼を動かしながらもそのままの状態を維持するようなのでどうやらこの高度を保ちながら飛ぶようだ。
眼下には月明かりに照らされたレヴォネの大地が広がっていて、見上げればそこには満点の星空。風は強く冷たいが心地良く、空を飛んでいる事を実感させた。昼間に見たらまた壮観だろう。
「どうだ、竜の背は!」
「最高だ!」
背後からグラシアールに尋ねられて思わず声を上げれば、俺の体を支える腕が小さく揺れる。どうやら笑っているらしい。
「少しは気が晴れたなら良かった」
「……気を遣わせたみたいだな」
「構わんさ。それに少しくらいフィンに当て付けたっていいだろう」
……あー、やばい。すっかり忘れていたが、昼間にこいつから求婚されたんだった。このままラソワに飛ばれれば俺には逃げる術がない。内心で慌てていれば、そんな俺の心情を見越したのだろう。グラシアールがカラカラと笑い声をあげる。
「本当に残念だ! お前を嫁にして帰ると豪語して飛び出してきたんだがなぁ! ……まあ、何かあれば俺の国に来い。ラソワはいつでもお前を歓迎する!」
グラシアールの言葉に響応するようにカルが一声咆哮をあげると口から勢い良く火炎を吐いた。頬に感じる焔の熱の力強さ。一気に真紅に染まる視界。ちらちらと舞う火花は幻想的だ。こんなに幻想的で美しい光景は初めて見た。
「……ありがとう」
これはグラシアール達なりの激励なのかもしれない。ああ、こんなに頼もしい味方はそういないだろう。
翼を持つ友に支えられながら、俺は少しだけ滲んだ視界で前を向いた。
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