5 滲む想い

1/1

213人が本棚に入れています
本棚に追加
/69ページ

5 滲む想い

 5 滲む想い    領地に着いてから一週間経った。  オルテガと過ごす日々は思いの外快適かつ平穏なそのものだった。  うちの使用人以上に過保護なオルテガはあれこれと俺の世話を焼き、俺はそれを受けながら少しずつだが領政に関わり始めていた。とはいえ、普段領地を任せていたウィリアムが非常に優秀でレヴォネ領はまさに順風満帆といった経済状況だ。その上、まだ休めと言われて仕事は最低限以下。たまに書類にサインをしてハンコを押すくらいしかしていない。そろそろ退屈になってきたが、使用人もオルテガも許してくれないだろう。  レヴォネ領は街道整備にも治安維持にも力を入れているおかげで商隊の行き来も多く、寝転がっているだけでも情報は入ってくる。案の定、王都は随分混乱しているようだ。  情報に通じているとはいえ、商隊の口から口へと伝聞されたものだから大いに尾鰭背鰭が生えているが、大体共通しているのは不穏な噂ばかり。曰く、王太子は今の婚約者を追い出してステラを新たな婚約者に据えようとしており、大きな宝石がついた婚約指輪も頼んだらしいだとか、結婚式のために絢爛豪華なドレスやらアクセサリーを仕立てようとしているだとか。  その話を聞きながら俺は内心でほくそ笑む。これまで王族の買い物はロアール商会を通して行う事が多かった。それにはとある理由があるのだが、王太子サマ達は俺の商会が関わっている事も俺が私腹を肥やす為に行ったものだとしての罪の一つだと宣ってくれた。なので、俺が領地に引っ込むのに合わせてロアール商会にも王都から引き払うように通達を出している。王都の商会を任せている男からは王都を出たという手紙が昨日届いたから早ければ明日か明後日には第一陣が引き揚げて来る頃だろうか。  商売をする上で王都に店を出せないのは少々痛手だが、なに、やりようはいくらでもある。うちでなければ取り扱っていないものも多いし、王都には支店がいくつもあったから少なからず王都で暮らす者達への影響はあるだろう。  小さな布石でもおけばいずれは大きな影響を齎す。真実を知った時に、王太子達がどんな反応するのか間近で見られないのは残念だ。 「リア」  不意に甘い声が掛けられて顔を挙げれば、いつの間に入ってきたのか俺の執務室にオルテガがいた。 「少し休憩しろ」  そう言って有無を言わせずに手にしていた書類を取り上げられる。文句をつけようかと思ったが、やめた。文句を言った所でオルテガも絶対に譲らないからだ。  俺が諦めた事で機嫌を良くしたオルテガはすっかり慣れた手付きで俺のデスクに紅茶を支度する。 「……すっかり使用人が板についたな」  嫌味を言ってやってもオルテガは楽しそうに口元を吊り上げるだけだ。正直に言って調子が狂う。  デスクに着いた肘に顎を乗せながらお茶の支度をするオルテガの様子を窺えば、今日の出立ちはまた一段とラフだ。黒いスラックスにシャツ一枚にカマーベスト。しかも、そのシャツを腕捲りして逞しい二の腕が見えている。前世で言うところのいわゆる絶対領域というやつだ。「俺」にはそういった性癖はない筈だが、ついドキドキしてしまう。  そもそも攻略対象でもあるオルテガの容姿は整っているのだ。声だって良いし、スタイルも良い。顔良し声良し体良しの三拍子揃っている。そんな相手が自分に対してだけ甘い態度と声をしてみろ。耐性がない俺には効果抜群だよ。世の中の女性がこういうキャラにキャーキャー言っていた心理を今更ながら理解してしまった。 「どうした?」 「……何でもない」  紅茶の入ったカップを置きながら普段よりも甘い声が心配そうに問う。ぶっきらぼうに答えながらソーサーごとカップを持ち上げれば、セイアッドの好む紅茶の香りが鼻先を擽り、不覚にもまたときめいてしまう。  オルテガと過ごして思ったのだが、本当にこの男はセイアッドに甘い。甘いというか、過保護が過ぎるというか……。  いつも絶妙なタイミングで休憩のためのお茶を用意し、俺の好きな茶菓子を添えてくる。今だってデスクに置かれたのは砕いたナッツを混ぜて焼いたクッキーだ。素朴ながら美味いんだ、これが。  移動する時は必ずエスコートに来るし、さりげなくも凛々しく俺を守ってくれている。それでいて二人きりの時には甘やかしてくるのだ。ギャップに心臓がもたない。  「私」に引き摺られている部分もあるが、俺自身オルテガの事を憎からず思い始めている。抹消された筈の設定に俺の精神が影響を受けているのかもしれないが、それだけではないように思う。 「……まだ帰らないのか」  思わず零れた憎まれ口は懇願の裏返しだ。オルテガの傍は居心地が良い。蔑ろにされ続けた俺たちにとってオルテガが与えてくれるものはあまりにも甘美だ。だが、同時に毒でもある。  溺れてしまえば、計画が狂う。何より、オルテガの立場だって危うくなるかもしれない。そんな俺のざわついた心情を察しているのであろうオルテガは小さく笑みを浮かべて俺の方へと手を伸ばす。 「酷い言われ様だ。俺の献身を認めてくれないのか」  茶化すような声音に少し心が落ち着いてきてオルテガの方へと向き直る。口調とは裏腹に、オルテガが浮かべる表情は優しい。 「……献身もクソも私は望んでいない」  照れ隠しに再び憎まれ口を叩いても、オルテガは怒った様子もない。そういえば、オルテガルートは大人の包容力が魅力だった。 「俺は役に立つぞ。……少なくともお前の価値を理解していない愚か者共よりもずっと」  するりと俺の頬を撫でるオルテガの手は大きくて力強い。それでいて強請るような、懇願するような仕草と声音に彼が望むものに気が付いて、俺は小さく笑みを浮かべてオルテガを見た。 「対価には何が欲しい?」  俺の問いにオルテガが笑う。一見穏やかに見えるその笑みに潜むのは隠し切れない焔。その笑みを受けて俺は呆れて溜息を零しながら椅子に深く背を預けた。  ここ数日、共に過ごしているうちに声や仕草の端々に滲み透けて見えるオルテガの想いに絆されてしまった。  コイツが相手ならそれでも良いと思う。  「私」もまたそれを望んでいる。 「……全く、こんな草臥れた男の何処が良いのやら」 「お前は本当に自分の価値が分かってないよ、リア」  低く囁く声音は熱い。思わず小さく吐息を吐けば、太い腕が俺の方へと伸ばされる。オルテガが椅子の背もたれに腕をつき、微かな軋む音と共に囲われる形になった。 「分かっているさ。私を得た者が次の国王となる。私が傅く事こそ王者の証。そうだろう?」  それこそが生きたる王冠の所以。  当たり前の事を答えれば、今度はオルテガが呆れたような深い溜息を零す。その反応の意味が分からずに戸惑っていれば、熱い手に腕を捕らえられ、半ば強引に立たされて乱暴に抱き寄せられた。  厚い胸板に顔を軽くぶつけて文句を言ってやろうとオルテガを見上げて……その顔を見て俺は思わず言葉を飲んだ。  真っ直ぐに俺を見つめるオルテガは見た事のない顔をしている。幼い頃からずっと一緒にいた男だというのに、目の前にいるのは一体誰だ?  赤に近い濃いオレンジの瞳には色濃い情欲の焔が揺らめき、こちらを見つめる表情はまさに雄そのものだった。その目に、その表情に、背筋にゾクリと甘い痺れが奔る。  嗚呼、そうか。お前は本気なのか。  お前は忠誠を誓った国よりも、愛の為にセイアッドを選ぶと、本気でそう思っているのか。 「……お前のこの白い肌も、絹の様な黒い髪も、月のような銀の瞳も、何もかも愛しい。もう少し健康的な生活をすれば、お前はこの国で誰よりも美しい人間になる」  耳元で甘い声が囁きながら長い指が俺の髪をすく。それだけなのに、心臓が一気に暴れ出し、思わず零れた吐息が熱い。 「暗に不健康だとなじられているのか?」 「茶化すな」  居た堪れなくて茶化したら叱られてしまった。だが、それで緊張感は解けて消え、肩の力が抜ける。 「リア……」  強請るように甘い声が俺の名を呼ぶ。額に、頬に落とされる口付けは俺の愛を乞うものだ。  俺を抱き締める腕に応える様にオルテガの首に腕を回せば、濃い夕焼け色の瞳が驚いた様に丸くなった。おい、望んでおいてなんだその反応は。 「いいよ、フィン。お前に、私をやろう。代わりにお前を「私」にくれ。一生離れないと誓って欲しい」 「っ……! 言われなくとも離してなんてやるものか!」  がばりとデスクに押し倒されて角で強かに腰をぶつけ、痛みに顔を顰める。  しかし、オルテガの方は余裕がないのか、俺の腰を抱いたまま、器用に俺のシャツの首元を緩めつつ、噛み付くように口付けてきた。貪るような口付けは呼吸すら奪い、俺は状況についていくのに必死だ。 「ん……っ」  ぬるりと口腔内に侵入してきた熱い舌に思わずびくりと体が跳ねる。微かな水音と熱にくらくらする中でオルテガの服をぎゅうと握り締めた。しがみつく俺とは裏腹にオルテガは余裕そうだった。夕焼け色の瞳が笑みを描くのが腹立たしい。  舌に散々蹂躙され、やっと解放された時には息も絶え絶えだ。ぐったりした俺に気をよくしたのか、笑みを浮かべたオルテガがいつの間にやらはだけさせられた俺の首筋に食らい付いてくる。首筋を這う熱く濡れた舌の感触にゾクゾクしつつも、オルテガの胸を押すがびくともしない。体格差を小憎らしく思いつつ、俺はなんとかオルテガを止めようと必死だった。流石に夕方近くとはいえまだ明るい執務室で初体験は遠慮したい。  あと、心の準備する時間も多少は欲しい。 「ま、待て! 待てったら!!」  俺の肌にむしゃぶりついているオルテガの顔面に掌を当てて何とか顔を遠ざける。しかし、当のオルテガはお預けに対して不服そうな顔をした。 「……ここまで来てお預けはないだろう」  ぐるると唸る様な声に、自分の顔を抑える俺の手に舌を這わせる様子に苦笑しながら、満更でもない事をしめすために逞しい胸を指先でなぞる。 「私との初めてをこんな書斎なぞで済ませるつもりか?」  俺の言葉に目を丸くしたかと思うと、次の瞬間には体が浮いていた。予想外の動きに悲鳴を上げて思わずオルテガの体にしがみつけば、調子に乗っているらしい男は機嫌良さそうに笑う。 「その方が可愛いぞ」 「煩い。運ぶならさっさと運べ」 「はいはい、俺の月は我儘だな」  すっかり機嫌を直したオルテガは上機嫌で半ば蹴破るようにして俺の執務室から飛び出し、そのまま寝室の方へ俺を抱えて歩く。全く重さを感じさせないその足取りに腹立たしさを感じながらも俺の心もまた確実に高揚していた。  ゆめじゃないだろうか。  意識の奥底、「私」が呟く。安心してくれ、夢で終わらせたりなんかしない。
/69ページ

最初のコメントを投稿しよう!

213人が本棚に入れています
本棚に追加