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46 疑問
46 疑問
オルテガにベッドに運ばれて直ぐに寝付いた俺は昼も遅い時間に目を覚ました。
頭痛も気持ち悪さもだいぶ良くなっていて、起きても大丈夫そうだったのでゆっくり体を起こす。
「あー……久々にやらかしたな」
長い黒髪をぐしゃりとかきあげながらため息を零す。
治癒魔法というものは他人に施す分には問題ないが、自分自身に掛けると魔力中毒を起こして体調が悪くなるのだという。宰相として働いている時にあまりにも辛くて自分に使った時にはもっと強い魔法を使ったから今回よりも魔力中毒の症状が酷くて結局仕事を遅らせてしまった事がある。
その際に王宮付きの典医に「治癒魔法は便利ですが、使い方を誤ると危険なものなのですよ!!」とめちゃくちゃ怒られた時の事を思い出した。今回は緊急事態だから許してほしい。
再び寝転がりながら窓の外を見る。日はだいぶ高くなっているから今は三時くらいだろうか。グラシアール達を見送ったのが八時くらいだから七時間くらい寝ていたらしい。そりゃ体も楽になる筈だ。
「ふぁ……まだ寝れそうだな」
大きく欠伸をながらベッドに寝転がる。ふかふかで手触りの良いシーツは石鹸の香りがして気持ち良い。
……冷静になれば、今朝方の惨状を誰かが片付けてくれたんだよな。今更ながらに恥ずかしい。よし、考えないことにしよう。
怠惰に過ごしたいが、そろそろ働かねば。結局半日も寝てしまった。
そう思いながらも起きるのが嫌でゴロゴロしていると、不意に自室のドアが開く。入ってきたのはグラスと水差しの乗ったトレイを持ったオルテガだ。
「気分はどうだ」
心配そうにベッドに腰掛けながらオルテガが俺の頬を撫でる。大きくて硬い手が気持ち良くて擦り寄って甘えてみせれば、ほっとしたようにオルテガの表情が緩む。
「水を持ってきたから飲んでおけ。昨夜から飲んでないだろう」
グラスに注がれる水は何か入っているのか僅かに濁っている。それに、水差しに結露がついている所をみると冷やされたもののようだ。
「至れり尽くせりだな」
体を起こし、グラスを受け取って一口含めば、柑橘の微かな酸味と共に優しい甘みが広がる。どうやら柑橘系の果汁と蜂蜜を加えた水のようで渇いていた体に優しく染み込んでいく。
グラス一杯を飲み干すと、直ぐにおかわりを注がれた。過保護な事だと思いつつも、心配してくれるのは素直に嬉しい。
「美味しい。わざわざ作ってくれたのか」
「俺の責任だからな。……もう大丈夫なのか?」
二杯目を飲みながら心配そうな表情に小さく頷いて返す。これだけ寝れば流石に回復するし、今回は軽いものだったから。王都にいる典医にバレたら絶対ドヤされるので黙っておこう。
「大丈夫だ。寝たら治ったよ」
「そうか……」
小さく安堵の息をつく姿を見ながら申し訳なく思う。そりゃいきなり吐いたら驚くよな。俺だって好きな奴に見られたくなかったんだが、背に腹は変えられなかった。
「もうやるなよ。俺も気を付けるから」
ぎゅうと抱き締められて髪を撫でられる。今日はあの香水の匂いがしないな。香水があるのも悪くないが、嗅ぎ慣れたオルテガの匂いは酷く安心する匂いだ。
さて、いつまでもこうしていたいがそうも言っていられないな。
「フィン、悪いがロアール商会の者を呼んでくれ」
「……お前、まさか仕事をするつもりか?」
体を離しながら怒ったような声で尋ねるオルテガに苦笑する。過保護なのは嬉しいが、俺には時間がない。
「時間がないからな。やれる事はやらないと。なに、進捗を確認するだけだ。資料を見る以外は大人しくしている」
まあ、嘘だけどな。こうでも言わないと仕事をさせてもらえない気がする。
少なくともダーランに『夜離れの露』についてだけは確認しておきたいのだ。あれの説明文には「サーデの蜜が原料。どこか物悲しい涼やかな香りがする」と書いてあった気がするが、そのサーデの蜜というものが何なのか分からない。
入手難易度の高い物なら手に入れるのに時間がかかるだろうし、その分完成も遅くなる。遠征に行っているサディアスは良いとしてリンゼヒースを攻略される危険性が出て来るだろう。そうなるとまたややこしい事になる。
「……わかった。くれぐれも無理はするなよ」
「ああ」
しっかり釘を刺しながらオルテガが部屋を出て行く。頼んだ通りにダーランを呼びに行ってくれるんだろう。
その背を見送ってから考えるのはオルテガが昨夜言っていた「何か」の存在についてだ。
「俺」がこの世界で意識を持ってから様々な事柄や人間関係を見聞きしてきたが、殆どのキャラクターがゲームのシナリオに沿った動きを取っているのに、オルテガだけが本来在るべき姿から大きく乖離している。
その原因に「何か」は大きく関係しているのだろう。だが、俺と同じく転生者にしてはオルテガの言い方が引っ掛かる。「何か」が転生者だとしたら「俺の中に在る何かがずっと叫んでいる」なんて言い方をするだろうか。
今現在、「俺」と「私」はセイアッドの体とお互いの記憶をシェアしているような状態だ。主導の意識は「俺」で時折深層に沈んでいる「私」が浮上してくる、と言えば良いのだろうか。馬車の中で泣いた時、「私」の方から話し掛けてくる事もあったから「私」も同じものを知覚していると思っている。
いや、待てよ。そもそも「私」からしてみれば「俺」は突然体に入ってきた異物だ。「私」から見た「俺」は一体何なんだろうか。
「……あー、訳わからん。そもそも何で俺はここにいるんだ?」
それこそ、今更ながらの疑問を抱く。やっぱりこの世界は俺の見ている長い夢なんだろうか?
──こえが、きこえていた。
「え……?」
不意に体の奥から響くような声がする。馬車の時と同じだ。これは「私」の声。
──わたしのことをおもってくれるこえだった。とおくて、ときおりしかきこえなかったけれど……それでもとどいていた。あなたのこえだ。
語り掛けてくる声に困惑しながら意識を集中させる。「私」に「俺」の声が届いていたというのか?
一体いつから……。
──わたしがさいしょうになったころ、かんしんたちにおいつめられていたときからだ。
そうなると比較的最近の話だろうか。
──あのひ、あのとき。だんざいされたわたしはあきらめとともにおもった。だれかたすけてほしい、と。そして、あなたをおもいうかべた。
「俺」の意識が覚醒したあの瞬間、「俺」は「私」に呼ばれたのだろうか。うーん、わからん。いずれにせよ、オルテガに似たような事が起きている可能性はあるのか。でも、オルテガがいうには物心がつく前からという話だったし、セイアッドとは状況が違うように思う。
……いや、待てよ。もしかするとオルテガの場合は逆なのかもしれない。
「何か」がオルテガを選んで呼び続けているのならばしっくりくる気がした。「何か」の正体は分からないが、ソイツがオルテガを選んで干渉するとすれば、目的は自ずと見えてくる。
それはセイアッドの救済だ。
幼馴染であり、親友であり、抹消された設定とはいえ深い関係を匂わせるような下地があった上に、地位も権力もある。オタクならあのインタビュー記事を見ていてもおかしくないし、何ならゲーム製作に携わった者達の誰かという可能性も考えられるだろうか。
ふと脳裏に浮かぶのは名前も顔も朧げな同僚の男だ。彼こそがオルテガの生みの親であり、オルテガの在り方を決めた張本人。
……とそこまで考えて緩く首を振る。この世界に意識が飛ばされる条件は良く分からないが、そんな偶然がある訳ない。そもそも俺が死んだ?時には彼はまだ健在だった筈だ。
「……いずれにせよ、俺と同じ転生者が関わっている可能性がある、か」
思わず深いため息を零す。オルテガがあの香水を使ったのも「何か」に影響されたんじゃないか? 俺の知らない裏設定とかありそうだな。
好感度を上げる為にはプレゼントという手もあるが、それぞれのキャラクターで好む物は違う。それに、俺の知る限りではゲーム内のセイアッドは俺の考えたものから外見は酷いものに改変され、攻略キャラからは外されていた。だから、好感度を上げるためのアイテムなんかは設定していない筈だが……。
それに、セイアッドの好みの傾向からして香水が好感度を上げるプレゼントというのにも違和感がある。
「もしかして、恋風の雫みたいなものが他にも存在するのか?」
個別のキャラクターを対象にした『恋風の雫』、あるいは『夜離れの露』のようなアイテムが存在するとなれば話がまた変わってくる。そして、ステラがそのアイテムの存在を知っていたら……?
そこまで想像してゾッと背筋が冷えた。設定を知り尽くしているが故に優位にあると思ったが、その前提がひっくり返る事になる。
もし、俺が知らないアイテムや展開があるとすればそれを利用して来られた時に対応が遅れる可能性が高い。多少猶予があるとのんびりしていた部分はあるが、そうも言っていられなくなってきた。
「……形振りなんて構うものか」
如何なる手段を用いても、「私」の平穏と幸福は守り通してみせる。
そのためならば、汚い手段だって取ってやるし、邪魔する奴は容赦なく潰してやろう。
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