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47 狩りの時間
47 狩りの時間
オルテガが出てしばらくしてダーランがやってきた。ベッドの上にいる俺に何か言いたげな顔をするが、見て見ぬふりをしてくれるらしい。
「リクオルの件だけど、原料の一つに少し時間が掛かりそうだ。何でも、植物系の魔物が持ってる蜜らしくてね。今派遣する傭兵を選定してる」
「よりにもよって魔物の素材か……」
ダーランの報告に臍を噛む。蜜と言うからにはそれが「サーデの蜜」なのだろう。そんなに簡単にはいかないだろうと思っていたが、予想以上に入手難易度が高いかもしれない。
「魔物自体はそう強くないらしいんだけど、生息域が遠くてね……。最速で行っても三日は掛かるし、ある程度量がいるなら討伐して天翔馬を使って戻ったとしても最短でも十日は掛かると思って欲しい」
「致し方ないな。それで話を進めてくれ」
極力早く欲しかったが、難しそうだ。『恋風の雫』の残りは少ないらしいが、他に何があるか分からなくなったからなるべく急いで手配したかったが……。
「今思ったんだけどさー、オルテガ様におねだりすればいいじゃん」
「はぁ?」
突然何を言い出すのかとダーランを見遣れば、奴はニヤニヤしながら俺を見ている。くそ、揶揄って遊んでやがるな。
「オルテガ様の天翔馬……ヴィエーチルだっけ? あの馬は天翔馬の中でも抜きん出た名馬だし、オルテガ様なら単独で魔物の討伐も出来る。最速で行って帰ってくるならそれが一番だ」
ダーランの提案は魅力的ではあるが、あまりにも我儘なものだ。休暇という名目でここにいる以上、オルテガに魔物討伐なんかさせられない。
「駄目だ。フィンにそんな事させられない」
「えー、最適解だと思うけど? リアは材料が早く手に入るし、オルテガ様はリアに良い所見せられる。悪い話じゃないでしょ。ねー、オルテガ様?」
声を掛けながらドアを開けるダーランの行動にびっくりするが、すかさずオルテガが入ってきた。どうやら外で聞いていたらしい。
「魔物の素材で欲しい物があるのか?」
近寄ってくるオルテガはどこか高揚しているようだ。なんなら楽しそうにしている。まるで狩りを前にした猟犬のようだ。
「俺がとってきてやろう。何を狩ってこれば良い」
「サーデっていう植物性の魔物の蜜が欲しいんだって」
「ほう、サーデか。どれくらい必要なんだ?」
「最低でもこれくらい。出来るだけ沢山欲しい。あ、詳しい資料はこれね」
「待てまて、勝手に話を進めるな」
嬉々として資料を差し出すダーランとそれを受け取るオルテガとであっという間に進んでいく話に慌ててストップを掛ける。途端にオルテガが残念そうな顔をするから思わず言葉に詰まった。
「リア、直ぐに狩ってきてやるから行かせてくれ。……俺もお前の役に立ちたい」
俺の手をとってすり、と頬を擦り寄せながら雨の日に捨てられた子犬のような眼で見て来るオルテガ。ぐぬぬ、甘えながらそんな風に言われたら拒否するわけにもいかない。
コイツ、最近俺の扱い方を心得てきたんじゃないか?
抵抗しても時間の無駄か、と諦めて深い溜め息を零す。
「……分かった。フィン、サーデの蜜を取ってきて欲しい。それも、出来るだけ早く」
「承知した。お前の為に狩り尽くしてきてやろう」
生態系が乱れそうな一言と俺の額にキスを落とすと、まるで風のようにオルテガが部屋を出て行く。おい、まさかこのまま行くつもりじゃないだろうな。
嵐のような展開といってらっしゃーい、なんて呑気に見送るダーランの様子に疲労感を覚えて再び深い溜め息をつけば、「言った通りだろう」と言わんばかりにダーランが俺を見た。なんでこうなるんだ。
「良かったね。これで早く手に入るんじゃない?」
「……お前な、フィンをたきつけるのはやめろ」
「だって、ねぇ? これだけデロデロに溺愛してるくせに一人だけリアの為に何もできないってヤキモキしてる姿見ちゃったら世話の一つも焼きたくなるでしょ」
によっと笑いながらダーランが揶揄ってくる。コイツから見れば、オルテガも三つ歳下の弟分みたいなものなんだろう。
俺としてはオルテガが傍にいてくれるだけで十分なんだがなぁ。まあ、好きな奴の為に何かしたいという気持ちは分かるので、今回は素直に甘えておこう。
「……ラソワの絹についてだが、グラシアールから好きにしていいと言質を取った。王都の方はどうだ?」
これ以上話すとまた揶揄われそうだ。話題を切り替えて商売の話にすれば、ダーランは懐から一冊の帳簿を取り出してくる。
「予想通り、うち以外の取引は全部止まってるみたいだ。その取引分がうちに全部回された感じ。他所の商会から卸して欲しいとは打診がちらほら来てるけど、どうなってるか分からなかったから一旦返事は保留にしてる。仕立て屋の方では混乱が始まってるみたいだから、そろそろロアール商会宛てにドルリーク男爵家から手紙でも来るんじゃない?」
「ドルリーク男爵か……」
久々に聞いた名前に小さく溜め息をつく。
ドルリーク家は何代か前に縫製業で功績をあげて名誉貴族になった。名誉貴族は功績を立てた平民が準男爵を名乗る事を許される事で、普通ならば一代限りの事が多いが、彼等の強かな所はそこで慢心せずに着実に功績を積み上げ続けた事だ。
ラソワや周辺国との小競り合いの際、軍服やテントなどの装備品を献上した功績を認められ、彼等はついに男爵として正式な貴族になるまで登り詰めた。最近ではもっぱらその技術を市民や貴族の服を作る事に使って更なる財を成し、今では王都や各都市にいくつも支店を構える大手の仕立て屋も展開している。
魔道具を使用した縫製技術は安定しており、フルオーダーの高級品からセミオーダーや既製品として安価に提供するものとそれぞれの顧客層に向けて作る工夫もなされているから嫩葉の会やこれからの社交シーズンで着る礼服の仕立てを貴族達から依頼されることも多いだろう。そうなってくると絹が手に入らないのは致命的な問題になる。ラソワとのトラブルが予想外の出来事とはいえ、注文を受けたのに、絹が手に入らないので作れませんでした、なんて事になれば信用問題だ。何が何でも絹を手に入れようとするだろう。
「問題は奴等が敵対派閥なんだよなぁ……」
そう、ドルリーク男爵は相手方に擦り寄っていた筈だ。対応を考えるだけでも面倒くさい、とうんざりしていればダーランは対照的に楽しそうに笑う。
「恩でも売ってやれば? ドルリークの連中は商売っ気が強いからすぐ転がると思うけど。今回の件なんてさぁ、ぴったりじゃん」
いつの間にか懐から長キセルを取り出していたダーランが美味そうに吸い始める。燻る紫煙を眺めながら思考を巡らせた。
まあ、確かに元々が商人だから損得勘定優先で動く家だ。だからこそ、今現在敵対派閥にいるのだから。
「でも、こういう連中はすぐに手の平を返すだろう?」
あの夜会の日の事は忘れない。擦り寄ってきていた連中のうち、何人かが相手方に行っているのも確認している。
「幾度も裏切りを許す程、私は優しくない」
思わず落ちた声は冷え切っていた。あの絶望感は二度と味わいたくない。
「……あーぁ、俺の可愛かったリアがすっかり捻くれちゃった」
肩を竦めながらダーランが嗤う。嗚呼、嫌な笑い方だ。彼はこれから様々な事を仕掛けにいくのだろう。
「俺に任せて。全てはリアの望む儘に」
俺の手を取ると額をくっつけながらダーランが宣う。こういう時の彼は止めても無駄だ。好きにやらせた方が被害も少ないだろう。
「……なるべく穏便に頼む。余計な敵は増やしたくない」
「わかってるって。悪いようにはしないからさ」
そう言いながら嗤うダーランの真紅の瞳はギラついている。それはまるで獲物を見つけた狼のような眼だった。
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