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52 独りよがり
52 独りよがり
意味のわからない言葉に俺の思考が止まっている間に、ヤロミールは陶酔したようにうっとりとした顔で語り出す。
「貴方が王都を追いやられたらすぐに籍を入れる筈だったのに、いつまで経っても貴方が来ないから迎えに来たんだ。やっと結婚の許しを得られたのに、これ以上は待てないよ」
「私は承知した覚えはないぞ」
切り捨てれば、相手が驚いたような顔をする。いや、それは俺の反応だよ。いきなり夜半に訪ねて来たかと思ったら迎えに来ただの、結婚するだの意味がわからない。
「何故? 俺達はあんなに想い合っていただろう」
「悪いが、私にその記憶はない。そもそも貴様とは初対面だ。結婚の約束どころか名乗った覚えもない」
そう言いつつも、ヤバい奴なのではと警戒心が強くなる。「私」の時分には時折こういう思い込みの激しい輩に絡まれた覚えがあった。それなりに親しくしていた者から時には全然面識もない者まで。付き合うように強要してきたり、今みたいに結婚を迫る連中もいた。絡まれる度に大抵オルテガかリンゼヒースに助けてもらっていたんだが、ここには二人ともいない。
部屋の隅に控えていたアルバートにちらりと視線をやってから対峙する。彼が頷いたから多分部屋の外には護衛がいるだろう。何かあれば彼等が踏み込んできてくれる、と思えば少しだけ安心出来た。
「何故? あんなに俺を見つめてきただろう?」
ヤロミールは必死に訴えてくるが、全く覚えがないな。「私」も困惑しているようなので100%思い込みだ。どう処したもんかと悩みつつ、必死に語る相手の言い分を聞く。
曰く、直接話した事はあまりないが学生時代からいつも貴方の視線を感じていた。王弟殿下の学友であり、宰相子息という立場があるから貴方はいつも俺に遠慮していたんだろう。宰相で無くなったならば、そのしがらみも無くなった。これで存分に愛し合えるのに、何故そんな事を言うのか。要約するとこんな感じの言い分だった。
合間に大量の美辞麗句が挟まるから、さっきまでぼんやり流し読みしていた小説を思い出した。3行でまとめろ、3行で。俺は眠いんだ。
「それで突然押し掛けてきた、と?」
「父上からはもう少し待つように言われたが、これ以上は待てなかった。貴方は俺のものなのに、ここにはガーランドがいるそうじゃないか」
オルテガの事を家名で呼び捨てにした事と俺自身を物扱いした事にイラッとして立ち上がる。
黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって。同じ侯爵家でも俺は宰相を、オルテガは騎士団長を務めているのだ。特に役職にもついていないただの侯爵家の、それも跡取りでもない年下の次男坊に呼び捨てされる筋合いはない。普段は身分の事なんてそう気にする事はないが、あまりにも身勝手で酷い言動に我慢も限界だった。
ソファーに腰掛けている相手の頭の横に足をつき、胸元のクラバットを引っ掴んで睨み付けてやる。いわゆる足ドンだ。
「……私が欲しいと言うのならそれなりに体裁を整えてから来い。先触れもなく真夜中に訪ねて来た上にいきなり真名を呼び捨てにするような無礼者を相手にする程、私は暇じゃない」
相手のクラバットを引っ張りながら告げれば、深い紫色の瞳が惚けたように俺を見上げる。チッ、ドM野郎か。喜ばせたんじゃ意味がない。
「旦那様、足癖が悪う御座いますよ」
静かに嗜めてくるアルバートの指摘に舌打ちを零してからクラバットから手を離し、足を退ける。
「この無礼者を外に放り出しておけ。今の季節なら凍え死ぬ事もないだろう」
「承知致しました」
深々と頭を下げるアルバートとうっとりした顔で俺を見ているヤロミールを置いて俺はリビングを出る。嗚呼、疲れた。すっかり眠気が吹っ飛んだだろうが。どうしてこううちに来る客は変な奴ばっかなんだ。
憤慨しながら階段を上がっていれば、階下が賑やかになった。明日はアルバートと今夜の護衛についていた者を労わないと……。
うんざりしながら自室に戻ってナイトガウンを投げ捨てるとベッドに倒れ込む。同時にほのかに香るのはレインからもらった「黄昏」の香りだ。……ああ、早くオルテガに会いたいな。
柔らかな夕焼け色の瞳と、大きな掌、熱い体、低くて優しい声を思い出して切なくなる。
折角オルテガの事を忘れて眠れそうだったのに。ヤロミールの奴は絶対許さん。
苛立ちながらも吐き出した零れた吐息は熱っぽく、じわじわと胎の奥に蟠るものは増すばかりだ。いっそのこと吐き出した方が眠れるようになるだろうか。
今夜も直ぐに眠るつもりだったから身に付けているのは薄手のパジャマだ。薄手の布の上からオルテガの手つきを思い出しながら貧相な自分の体をなぞる。
オルテガの大きくて熱い手とは比べものにならないが、それでも燻る体は直ぐに反応を返した。ゾクゾクと背筋を這い上がる緩やかな快楽。それを煽るように身動ぐ度に微かに黄昏の香水が香る。
自慰なんて久々だ。「俺」も「私」もオルテガに抱かれるようになるまでは性欲が強い方ではなかったから。
緩く兆し始めた自分に羞恥と呆れとがごっちゃになった感情に襲われる。やっぱりやめておけば良かった。しかし、後悔する心とは裏腹に火がついた体は止まらない。
つんと立ち上がった胸はパジャマが擦れるだけでチリチリと弱い快楽を齎す。オルテガがするのを思い出しながら胸に触れれば、思わずびくりと体が跳ねた。ああ、どうしよう。もう自分が止められない。
「ん……っ」
すりと布の上から自身に触れただけで小さく声が漏れる。
自慰ってこんなに気持ち良いものだっただろうか。以前は煩わしい生理現象でしかなくて、機械的に処理してきただけだから気持ち良さなんて感じなかったというのに。
ゾクゾクしながら下着の中に手を滑り込ませ、ゆっくりと自身を握り込めば既に涎を垂らしていた。その滑りを利用しながら上下に扱けば気持ち良さはあるものの物足りないし、上手くいかない。
オルテガにされる時のことを思い出しながら懸命に手を動かすものの、あの刺激には程遠い。やり慣れない行為で手つきも拙いせいなのか、なかなか達する事も出来ずに燻る熱が大きくなるばかりだ。
「は……あっ……」
もどかしさに身悶えながら時間を掛けて何とか達した時には色んな意味で疲労困憊だった。手を汚した白濁を拭うのも気怠くて嫌々体を起こしてベッド横に置いてあった布で手を拭う。
「あー、くそ……」
独特の青臭い匂いの中、射精後の気怠さと何とも言えない虚しさに襲われて思わず悪態が出た。ダメだ。やっぱりあの熱が欲しくて堪らない。
このままではオルテガが帰って来たらその場で押し倒してしまいそうだ。早くあの腕で抱きしめて欲しい。あの声で呼んで欲しい。あの熱に溺れさせて欲しい。
……嗚呼、どうやら待ての躾が必要なのは俺の方だったようだな。
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