59 グラシアールの贈り物

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59 グラシアールの贈り物

59 グラシアールの贈り物    緩慢に動かした視線の先、窓の外には夕闇が迫っていた。  お互いに散々貪り合ったから深い疲労感と充足感、それから睡魔にトロトロと意識が溶けていく。  熱い腕の中でうつらうつらしていると眠りを促すように大きな手が俺の髪を撫でた。寝ている場合ではないんだが、今はこのまま眠ってしまいたい。 「リア、少し眠っておけ」  追い討ちを掛けるように耳元でそっと囁く低い声。この声がすると安心出来る。触れ合う素肌の熱さも鼻先をくすぐる匂いも、何もかもが俺を満たしてくれる。  このまま眠ってしまおうとオルテガに身を寄せ掛けた時だ。部屋のドアが控えめにコツコツとノックされた。  俺とオルテガの様子を見て暫くは出て来ない事を家の者なら察している筈だ。その上で部屋にやってきたという事はそれなりに緊急性があるものかもしれない。 「……眠りそびれたな」  愚痴を零してからのそりと体を起こしてベッドから降りると、その辺に引っ掛けてあったガウンを羽織る。体は痛いし、重いが、先日程ではないようだ。 「どうした」 「お休みのところ申し訳ございません。王都よりラソワの使者がおいでです」  ドアの向こうから答えるのはアルバートだ。ラソワからの使者という事はグラシアールに頼んでいた小型竜の件だろうか。 「すぐに行く」  そわそわしながら身支度を整えるために振り返れば、ベッドに寝転がりながらオルテガが恨みがましそうな視線でこちらを見ていた。 「お前は俺との睦み合いより竜を取るのか」  半ば冗談めかして文句を言ってくるオルテガに苦笑しながらベッドの縁に腰掛けて、拗ねた様子の彼の宵闇色をした髪を撫でる。不意に見せるこういう所が可愛らしくて狡いと思う。 「お前も大事だが、竜も大事だ」 「面白くない」 「ふふ、そう臍を曲げないでくれ。すぐに戻るから。フィンはゆっくりしていて欲しい」  髪を耳に掛けながら寝転がるオルテガにキスをする。四日間駆け通しで魔物との戦闘までこなしてきたんだ。オルテガには休んでいて貰おう。啄むように唇を離すとオルテガは機嫌を直してくれたようだった。  もう一度額にキスを落とすと、俺は服を着替えて部屋を出る。外で待っていてくれたアルバートに来客対応の話を聞きながら階下へ降りてリビングに向かうと、そこには見慣れた姿があった。 「ライネ殿」 「お久しぶりです、セイアッド殿」  立ち上がり、深くお辞儀をしてくれるのはまだ年若い女性だ。  乗馬服のようなパンツスタイルに淡い灰色の髪をこの世界では珍しくショートカットにしている為に快活かつ勝気な印象を受ける。やや吊り目気味の赤茶の瞳もまた彼女の強さを示していた。  彼女の名はライネ・ベンティスカ。  王都でラソワの代表として大使館に詰めていた者の一人であり、その中でも大使としてローライツ王国とのやり取りを取り仕切っていた人物だ。  ローライツ王国では女性が表立って政治に出る事は稀だ。  貴族社会の弊害なのか、男尊女卑の意識が根強くて本人が他の男共より遥かに優秀だったとしても大使のような要職には就く事はまずない。セイアッドの腹心に女性が一人いるが、彼女は学園や登用試験で優秀な成績を示し、実家である侯爵領でいくつも功績を立てて特例と言ってもいい出世をした上でやっと宰相付きの文官になっている。  対するラソワでは身分を然程重要視していないようで、本人の能力で出世が決まる完全なる実力主義社会だ。それ故、ローライツ王国と比べて政治の場に女性の姿も多い。その筆頭とも言えるのが、ライネだ。  彼女はローライツとラソワの国交が回復した当初から大使としてローライツに詰めている。  最初は女が政治に口を出すなどと馬鹿にしていたローライツ王国の連中は全員彼女に言い負かされていて、特に夜会の席で言い掛かりをつけてきたうちのバカ貴族子息達を十人斬りにした話は有名だ。それ以来ライネは我が国でも一目置かれた存在になっている。  ステラが絹の関税についての失言をかましたのはライネに対してだろう。どうせ女性だからと相手の立場が偉いとは思わずに侮り言い放ったのだろうが、とんでもない。彼女はステラが逆立ちしたって敵うはずも無い相手だ。 「グラシアール殿下より命を受けて参りました。微力ながらお力になれれば幸いです」  にこやかに告げるライネに座るようにすすめて俺もまた向かいのソファーに座る。……腰が辛いが致し方ない。  どうやら彼女が竜使いとして今回の事に協力してくれるようだ。  グラシアール達が王都へ向かってから四日しか経っていない。王都からこちらに来たにしては随分早い気がするが、竜を使ったのだろうか? 「ライネ殿、私が不在の隙に我が国の者が貴国に対して無礼な事を。本当に申し訳ありません」  本題に入る前に先に頭を下げておく。ライネとは会話をする機会が多かったからお互いにどういう人物か知り尽くしているが、こちらが迷惑を掛けたのは紛れもない事実なので謝っておくにかぎる。 「お気になさらず。グラシアール殿下からお話は聞いておりますし、事の次第も把握しております。それに彼女も今頃身の程を知っている頃でしょうから」  にこやかに告げられる言葉に背筋がゾッとする。ステラ達もグラシアールも頼むから大人しくしていてくれ。既に王都の様子を知るのが怖いんだが。 「ルファス殿より書状を預かっております。先にお渡ししますね」 「……ありがとうございます」  受け取った封筒の分厚さは見なかった事にしよう。苦労を掛けてすまない、ルファスよ。帰った暁にはたっぷり労うから不甲斐ない俺を許してくれ。  そして、本題だ。  俺の視線は彼女の隣で丸くなっている赤茶色の塊に釘付けになる。  長い首、小柄ながらしなやかな体躯、畳まれているが見るからに大きな翼。微かに上下する体を見るに眠っているらしい。サイズは中型犬より少し小さいくらいだろうか。  そんなミニチュアサイズの竜が俺の目の前にいるのだ。正直に言おう。触りたい。めちゃくちゃ触りたい。  そんな俺の心情に気が付いたのだろう。ライネが眠っていた竜の脇に手を突っ込むと抱き上げた。竜はまだ眠いようで首も尾も手足も無防備にだらんと垂れ下がる様子はぬいぐるみのようだ。 「セイアッド殿にも名前を教えていませんでしたね。彼が私の相棒、ピティスです」  名前を呼ばれた竜はやっと首を擡げ、薄く眼を開くとピィと高い声で鳴いてみせた。その声は鳥の鳴き声に似ている。 「可愛らしいですね。これで最大の大きさですか?」 「ええ。これ以上大きくはなりません。この子はパルウムテリクスという種類の竜で、私が育ての親として人の手で育てた個体になります」  グラシアールが言っていた人工繁殖だろうか。自分で竜を育てるなんてとても楽しそうだ。 「体躯は小さいですが、翼長が長く体力があるので速く長く飛ぶ事に長けています。賢く勇敢なので伝書竜としてラソワでは良く使役されている竜ですね。親だと思った者には全幅の信頼を寄せてくれますし、気性も穏やかで心を込めてお世話をすれば人にも良く慣れます」  ピティスの翼を広げて見せながらライネが解説してくれるのを聞く。なるほど、彼女が親代わりだから成すがままなのか。相変わらず眠いのか、特に抵抗もせずにライネにいじられているピティスの姿を見て小さい頃実家で飼っていた犬を思い出す。  良くある何が混ざったのかよくわからない雑種で柴ベースでちょっと毛並みの長い垂れ耳の犬だ。漫画に出てきそうな典型的な雑種犬だったが、彼女は非常に穏やかな気性で何をされても成すがままだった。  ちょっと懐かしい気分になっていれば、ライネは自らの膝にピティスを乗せる。当然のように膝の上で丸くなる竜の姿が羨ましい。俺もこんな風に竜と過ごせる様になるんだろうか。 「此度はこのピティスが王都との連絡役を果たしますが……それとは別にセイアッド殿にはお渡ししたいものがあります」  そう言って彼女は傍らに置いていた包みをテーブルの上に乗せた。  絹だろうか、光沢のある深い青色の布に包まれた物はどうやら箱らしい。一面が大学ノートくらいの大きさをした箱だ。 「グラシアール殿下からセイアッド殿への贈り物です」  ライネに促され、恐る恐る俺は箱を自らの方へと引き寄せて絹をほどいていく。  グラシアールからの贈り物だというが、一体中身は何なのだろうか。まさか人の首とかだったりしないよな……?  考え得る限り最悪の想定をしながら俺は布の下から現れた箱と対峙する。良かった、今の所生臭い臭いなんかはしないし、箱に血が滲んだりもしていない。  唾を飲み込み、覚悟を決めて箱の蓋に手を掛けてそっと開けてみる。  ……中にあったのはつるりとした質感の、淡いクリーム色をした楕円形の何かだった。
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