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60 贈り物の中身
60 贈り物の中身
「……卵?」
箱に詰まっていた予想外の物に困惑しながらライネに訊ねれば、彼女は穏やかな笑みを浮かべながら頷いて見せた。
「パルウムテリクスの卵です」
そう言うと、彼女は箱の中から卵を取り出して大切そうに抱き締める。つるりとした光沢のある卵はダチョウの卵より少し小さいくらいのサイズだろうか。淡いクリーム色の卵殻は見るからに強靭で硬そうだ。
「これを、私に?」
自分の竜が欲しいと言った俺に対してグラシアールが贈ってくれたのだろうか。てっきり成長した竜をくれると思っていたから、まさか卵を渡されるとは思わなかった。
「ええ。パルウムテリクスを手懐けるなら卵からお世話をするのが最も簡単ですから」
差し出される卵を、恐る恐る受け取る。思ったより重量のあるそれは、抱き締めると仄かに暖かかった。
「此度は王都との繋ぎの役目とセイアッド殿に竜の扱い方をお教えするように、とグラシアール殿下からは言付かっております。わからない事があれば何でも聞いてください」
「ありがとう、ございます」
腕の中にあるものの存在がいまだに信じられなくてどこか上の空で返事をする。
だって、ドラゴンの卵だぞ。ファンタジーのゲームだってそうそう出てくる事のないものが俺の腕の中にある。信じられなくてまじまじと見つめてしまう。
「卵は親元から離しても大丈夫なんですか? 温めたりとかは……?」
鳥などの卵は孵化させるのに温度管理や転卵など様々な世話が必要でデリケートだと聞いた事があった事を思い出して慌てて訊ねる。そんな俺の慌てた様子が面白かったのか、ライネは小さく笑みを零した。
「心配いりません。竜の卵は親が魔力を注ぐ事で育ちますから。セイアッド殿が常に傍らに置き、愛情を込めて魔力を注いであげれば一月程で孵ります。そうする事で竜は親である貴方の魔力を覚え、貴方の魔力を込めた物を目指して飛び、貴方の許へ帰ってきます」
ライネの話を聞いてホッと息を零す。
どうやらこのパルウムテリクスという竜は魔力を辿る事が出来るようだ。伝書鳩が帰巣本能を頼りに飛ぶように、彼等は魔力を頼りに飛ぶらしい。
「育て方もお教えしますから、沢山可愛がってあげてください」
グラシアールといい、ライネといい竜に関する事が手厚い。彼等にとって竜とは生活の一部であり、共に生きる盟友なのだろう。
掌でそっと硬い殻を撫でてみる。つるつるとした感触、ほんのりと暖かい。この卵からはどんな竜が生まれてくるのだろうか。
「一月とはなかなか長いな……早く会いたい」
「こればかりは竜も生き物ですからね」
ご尤もだ。最強生物がぽんぽん生まれても困るだろう。
「血統は国内でも最上級の子ですから、きっと速く良く飛んでくれる子が生まれると思います」
人が繁殖に関わるという事はそういうことも出来るのか。優秀な血を掛け合わせていく事でより優秀な個体を生み出すのだろう。
そういえば、この卵は一体どこから来たのだろうか。ローライツで繁殖しているとは聞いていないし、そもそも竜は彼女が連れているピティスしか見た事がない。国と言ったからにはラソワで生まれたものなんだろうけれど、王都にいた筈のライネが四日で王都からラソワに行き、更にラソワからこのレヴォネにきたというのか?
「ライネ殿は王都から直接こちらに?」
「いえ、この卵を選びに一度本国に戻りました。シュアンのツァガーン……ええと、白竜を借りて飛んで参りました」
そうか、あの白い竜か。半日で王都とレヴォネを往復出来る程の速さならば可能だろう。つくづく竜の能力の高さを思い知らされる。
ラソワは強大な国土を誇るが、戦争に竜を持ち込む事は殆どない。伝書竜くらいは使っているんだろうけれど、戦場に大型種が出てくる事はまず無かった筈だ。こんな高い身体能力の生き物がいれば、敵の本拠地を攻め落とす事など容易だろうに。
その辺の話も是非聞いてみたいものだ。ラソワの考え方や風習は「私」の常識から考えれば奇怪な事ばかりだ。だが、「俺」からしてみれば共感を覚える事も多い。
「ライネ殿もお疲れでしょう。滞在中はどうぞごゆっくり。客間を用意させておりますからそちらにご案内を……」
「その……滞在についてなんですが、お願いがありまして」
長旅をさせてしまった上に時刻も時刻だし、と客間に案内しようとすると、彼女がおずおずと切り出した。
「何でしょうか」
「シガウス殿からオルディーヌ嬢がレヴォネ領に滞在なさっているとお聞きしたのですが……宜しければ彼女と一緒に別荘をお借りしたいなと。シガウス殿の承諾は得ております」
予想外のお願いにびっくりした。全然知らなかったが、一緒に滞在したいと申し出てくるなんて何かしら縁でもあったのだろうか。
「私は構いませんが……。失礼ですが、レインとはどの様なご関係で?」
「友人というか同好の志というか。王都でも仲良くさせて頂いてまして」
同好の志という言葉に若干の嫌な予感を覚えつつもアルバートにレインの了承を取ってくるように指示を出す。
使者がレインの了承を取って戻るまで少し時間が掛かるだろうと夕食を提案すると、ライネは嬉しそうに表情を綻ばせた。聞けば、グラシアールがレヴォネでの食事をベタ褒めしていたそうだ。そこまで気に入ってもらえたのは素直に嬉しい。
このゴタゴタが片付いたらグラシアールを招待してゆっくり食事をしたいものだ。
暫し竜の育て方について歓談しているとアルバートが食事の支度が整ったと呼びに来た。卵は一度箱に戻し、大切に抱きながら食堂に向かう事にした。片時も手放したく無い。
そして、ライネを食堂までエスコートしてドアを開ければ待っていたのはラフな格好をしたオルテガだ。
グラスの乗ったトレイとワインボトルとを持っているのを見る限りまた給仕ごっこをしているらしい。
「……休んでろと言わなかったか?」
半ば呆れながら訊ねれば、無精髭も綺麗に剃ってすっかり綺麗に身繕いしたオルテガは悪戯が成功した子供の様に笑って見せた。
「この程度でへばるようでは騎士団長など務まらないさ。ライネ殿、こちらの席へどうぞ」
「は、はい!」
オルテガの姿に呆けていたのか、ライネは彼女らしくもなくやや上擦った声で返事をするとオルテガの勧めた席に座る。僅かに頬が赤く見えるのは気の所為じゃないだろう。
……なんだかちょっと面白く無い。
いや、分かっている。オルテガに他意がない事も、オルテガを見てライネがこういう反応を返す気持ちも大いに分かる。それはそれとして面白く無い。俺の我儘でしかないんだが!
「リア、座らないのか?」
柔らかく声を掛けられて箱を抱えたまま座れば、今度はオルテガが俺の抱える箱に気が付いた。途端にすぅっと細くなる夕焼け色の瞳が大人気ない。
「それはどうしたんだ?」
「先程受け取ったアールからの贈り物だ」
「ほぉ……」
大切に抱き締めて見せれば、オルテガが不機嫌そうに唸る。だが、その不機嫌さも俺が抱えている箱の中身を覗き込むまでだった。
「……卵か?」
「そうだ。伝書竜の卵を貰ったんだ」
改めてその存在を噛み締めて思わず声が弾む。対するオルテガは面白くないようで眉間に皺が寄っていた。
「また俺を構う時間が減る」
「卵にすら妬くなんて随分と心が狭いな、騎士団長殿は」
拗ねた様子にくすくす笑い声を零した所でライネと目が合って我に返る。そうだった、今は二人きりじゃないんだった。
「どうぞ、私の事はお気になさらず」
慌てて取り繕おうとするが、それより早く満面の笑みでそう言われて確信した。
彼女はおそらくレインと同類なのだ、と……!
「どこまで拡がってるんだ……」
心底げんなりしながら軽く絶望する。まさか国外にまで話が広がってないだろうな。その状況であの本が流行ったら俺は羞恥で死ぬぞ。
「やはりダーランに言って出版を止めるしかないか」
「何故? 売れるんだろう」
何の事か分かってるのか、分かっていないのか。オルテガが問う。いや、この余裕の笑みは分かって言ってるな。なんならもう内容も知っているのかもしれない。そういえば、レインがダーランと本にする事について話した時に一緒にいたんだったな。
「お前は私が羞恥で死んでもいいのか?」
軽く睨み付けてやってもオルテガはどこ吹く風と言った様子で俺の方へと歩いてくる。
「言いたい奴には言わせておけ。俺はお前が俺のものだと喧伝出来ればそれで良い」
座った状態で後ろから抱き締められて顔が熱くなる。ライネが小さくあげる黄色い悲鳴が更に追い討ちを掛けてきた。なんなら今直ぐ羞恥で死にそうだ。
「……お前は、人前でそういうを事するのを止めろ」
「嫌だ。言っただろう? もう何にも遠慮はしない、と。お前は俺の愛の重さを思い知るといい」
顔を掌で覆って隠していれば耳元で低く囁かれたのはある意味死刑宣告のような言葉だった。
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