十四 夏祭り

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十四 夏祭り

「お疲れ様です。どうでしたか?お祭りの準備は」 「今年は特に盛り上がっていますね」 夏の結城の里。蝉の声がうるさい紬問屋の相崎の店先で打ち水をしていた千波は、店に帰って来た彦三郎を涼しい店内へ誘った。 少しずつ腕が治って来た彦三郎であるが、まだ腕は布で吊っていた。この布が宣伝になると言い出した深留の命により、今、この布には相崎と記されていた。 「はい、麦茶です」 「生き返りますよ……ふう」 祭りのための協賛金を収めてきた彦三郎を千波は団扇で扇いていた。そこに彼が顔を出した。 「なんだ。千波さんに扇いでもらうとはだらしのない」 「旦那様、外は恐ろしい暑さですぞ。少しは私の年も考慮してくだされ」 「ハハハ」 涼し気な白地の紬に紺の帯を締めた深留はそういうと帳場の定位置に座った。 「旦那様。麦茶をどうぞ」 「ありがとう」 そんな深留に彦三郎は説明を始めた。それは今年の祭りの話だった。 結城の里の夏まつりは鎌倉時代から行われている祭りである。老舗の相崎も祭りに協力せねばならない決まりであったが、今年は喪中ということを彦三郎は関係者に伝えてきたところだった。 「今年、わが相崎では実質的な手伝いはありません」 「よかった……」 「ですが。従業員で参加したい者があればぜひ、との事でした」 「まあね。僕は喪中だけれど、みんなは関係ないからね」 「あの、私、奥の部屋で仕事をしていますね」 話の最中であったが、千波は奥に部屋に向かった。 ……お祭りか。去年は賑やかだったな。 嫁として在籍した去年の夏、相崎の義父はまだ元気で祭りに参加していた。そして義母も張り切っていたことを千波は思い出していた。 当時も日陰の身で祭りなどもってのほかであったが、義父がりんご飴をくれたことが懐かしかった。 その空気の中、相崎の事務員の男達や、織場の女工達さえもどこか浮かれていたが、千波は奥の部屋の襖を開けた。 ……そんなことよりも!仕事よ、仕事。 相崎と関係のない千波は、祭りも関係ないと思っていた。そして彦三郎の代わりにそろばんで計算仕事をしていた。 翌日、食堂の昼食の支度をしていた千波は、一緒に飯を炊く女工達と祭の話になった。 「私。この日のためにお小遣いを貯めていたの」 「私もよ。それに今年こそ素敵な人に出会いたいな」 「千波さんも楽しみでしょう?」 「え?ええ」 最近仲良くなった女工は、織場の奥にいた娘達で嫁時代に接点がない女工だった。祭りを楽しみにしている娘達に千波は話を合わせた。 「お祭りは華やかだものね」 「そうよね!楽しみだわ」 ……去年は行っていないから何もわからないけれど。 しかし、彼女達が純粋に楽しみにしているため、千波はそれを微笑ましく思っていた。 その数日後、結城の町は大変な騒動が起こっていた。 「私、ぜったい出るわ」 「私もよ!」 女工達の騒ぎを千波は一緒に織場へ荷物を運んでいた国松に尋ねた。 「あの、どうしたの?みんな殺気立っているけれど」 「姉さんは知らないの?今年の祭りで『結城小町(ゆうきこまち)』を決めるだって」 「結城小町って、もしかして一番の美人ってこと?」 「そうみたいだよ」 国松はよいしょ、と荷物を床に置いた。 「今までにない試みで味噌屋の若旦那が言い出しって誰かが言っていたよ」 「達治さん……」 思わず彼の妻の茜の顔を思い出した千波は、それで女工達が騒いでいると納得した。そんな千波は荷物をまた運んでいたが、国松が不思議そうに見つめた。 「千波姉さんは出ないの?」 「うん、祭りも行くつもりないし」 「どうして?みんな、祭りに行って結婚相手を探すんだよ」 「……それで張り切っているのね……そうね、私はね」 今は結婚どころではない千波は、国松が納得する答えを考えた。 「今は仕事が大変だし、それに私は結城の人間じゃないから」 「そうなんだ」 「でもね、みんなには楽しんでもらいたいな。国松君も祭りは好きなんでしょう」 「うん!おいらは今年、神輿の手伝いをさせてもらえるんだ」 張り切っている少年に千波は目を細めていた。そんな結城小町は千波には無関係だと彼女は思っていた。しかし、それは起きた。 「千波さん!お願いがあるの」 「どうしたの」 「私の浴衣を見て欲しいの」 織物の女工の一人が廊下にいた千波に声を掛けてきた。 「どうして私に?」 「旦那様のお出かけの着物は千波さんが決めているって聞いたの。それよりもお願い」 休み時間であったので千波は鏡のある仕事の個室にて風呂敷包をそっと開き浴衣を確認した。 「素敵なものですね」 「これは母のお下がりなの。これでお祭りに行くつもりなのだけど、どうも私には大人すぎると思って」 「どれどれ……そうね」 鏡の前。千波は女工に浴衣を当てて様子を見た。 「似合うと思うけど……やっぱりこの帯だと大人っぽいかもしれないわ」 「やっぱり」 一瞬顔が曇った女工に気付かず千波は続けた。 「だからね。帯は、博多帯の黄色とか、あと赤の半帯だとお似合いよ」 千波はイメージに合う帯を口にした。 「それと、髪型は」 「私は癖っ毛だから恥ずかしくて」 「いいのよ。それが魅力なのだから生かしましょう。ええと、こうやってふんわりさせて……どうかな?」 これに女工は頬を染めた。 「そうですね。うん。帯もあると思うのでそうしてみます!」 「どういたしまして」 彼女が喜ぶ姿に千波も嬉しくしていた。しかし、この笑顔は続かなかった。 「彦よ。もう終了時間だよね」 「ああ。そうですね」 「でも、織場にまだ人がたくさん残っているようだが」 「あ?ああそれですが」 柱時計を見た彦三郎は呆れたため息をついた。 「女工達の祭りの支度なので、私が特別に許可をしました」 「祭りは三日後だろう?もう支度をしているのか」 「……見学してくだされば分かりますので、どうぞご自分で見て来てください」 ……なんだろう?今から化粧でもするのかな。 そんな深留は女達の声がする織場に向かった。そこはなぜか行列になっていた。 「なんだ、これは?」 「旦那様、順番を守ってください」 「え。これは何の順番なんだい」 驚きの深留は女工の列を掻き分けて前へ進んだ。 ……あれは千波さんか。 そこでは千波がおり、国松がどこからか持って来た小太鼓をドン!と鳴らした。 「お次の方!」 「私です!千波さん。これは以前、亡き祖母が縫ってくれたものなんです」 女工が広げた浴衣を千見た千波は即座に答えた。 「確かに素晴らしいものですけど。貴女には着丈が短いですね」 「やっぱりそうですか。着たかったので残念です」 落ち込む女工を千波はじっと見た。 「悲しむのはおかしいわ。だって御婆様はあなたを思って縫ってくださったんでしょう?」 「え」 「あなたの健康と成長を祈って縫ってくれたはずよ。だからその気持ちはその体に入っていると思いますよ」 「体に……私の?」 「そう。だから今のあなたに一番似合う浴衣を着て欲しいと思っていると思うわ」 「千波さん……ありがとうございます!出直してきます!」 ここで国松は太鼓をドン!と鳴らした。 「お次の方!あの時間がないので浴衣を広げてお待ちください」 ……もしかして、みんなの着付けの助言をしているのか。 そんな深留も知らずに千波はどんどん意見を出した。 「ええと。白地に金魚の柄……これは子供っぽいと思います。こっちの紫が年相応ね」 「紫にします!」 「お次の方!どうぞ」 「これは気に入っているんですけど。ここにシミが」 「……出かけるのが夕刻なら見えませんよ」 「お次の方!ですが、時間の関係であと三人です!」 これを聞いた番が来ない娘達はがっかりしていたが、明日に賭けようと燃えながら帰って行った。そんな娘達の背を深留は驚きで見ていた。 「ええと、最後の方ですね。うん、この浴衣はお似合いですよ」 「帯で悩んでいます。こっち、とこっちで」 最後になった娘は時間に余裕があり、千波に熱心に相談していた。 「こういう時は下駄の鼻緒の色に合わせるといいですね。何色ですか」 「鼻緒は赤です」 「赤ならこっちの帯かな。でもこっちの帯でも十分素敵です。こっちだと可憐で、こっちだと大人っぽくなりそうですね」 そんな千波に彼女は真剣に尋ねてきた。 「髪型はどうでしょうか」 「……今よりも上で結んだ方がいいと思うな……うなじが綺麗だし。そうね。もし(かんざじ)があったら後ろにさして、うなじを強調すると……うん!色っぽくて素敵です」 「ありがとうございます。さっそく髪型を練習します」 「どういたしまして、どうぞお気をつけて」 そんな千波はやっと深留の存在に気が付いた。 「旦那様、いつからそこに」 「結構前。それよりも千波さんってすごいんだね。みんなの助言をして」 「旦那様がして下さっても良かったんですよ……」 ……美術の勉強をしてきたんじゃなかったの? のんきに傍観していた深留に怒りの拳を抑える千波であるが、彼は真顔で向かった。 「できないよ、僕にはあんなこと」 「なにを言うのですか。天下の相崎の旦那様が」 「本当だよ」 ……千波さん、もしかして、自覚が無いのかな。 確かに美術の勉強をしてきた深留は、色彩や図案の観点から千波の助言が適格だと見抜いていた。しかしそれと同時に、彼女独自の美的感覚に感嘆していた。 ……きっと、その人全体を見ているんだな。 体格の良い女工に似合う柄や動きやすいもの、身が細い女工にはふくよかに見える柄や着方を彼女が勧めていたことに深留は感心していた。 「ねえ。千波さんは何を一番大切にして助言しているの」 「何って。その人が浴衣を着て祭りを楽しめるように、ですよ」 「え」 ……『綺麗に見える』とか、『美しく見せる』とかじゃないの? 「でも、その、女の人はやっぱり綺麗に見られたいと思うものだろう」 「まあ、そうですけれど」 千波は疲れた様子で片付けていた。 「それを言うなら、みんな高級な浴衣を着ればいい話ですが、それはできないでしょう?」 「まあ、そうだけど」 「だから。今持っているものを最大限に使って、それで行くしかないじゃありませんか」 「今持っているもの」 「そうですよ、そこ退いてください」 「あ、ごめん、僕も手伝うよ」 ……やっと動いたか。 少し空気を読んだ深留に千波はちょっと満足した。その時、国松も室内を確認してくれた。 「千波姉さん、こっちの戸締り完了です」 「ありがとう。あの旦那様、申し訳ないですが。そこの鍵を締めて下さい」 「え?ごめん。僕、やったことない」 これに国松と千波は呆れた。 「いいです、おいらがやります」 「いいえ、旦那様にもできます。いいですか?旦那様、そのつまみが縦になっているでしょう」 「ああ」 恐る恐る見た深留に千波は指した。 「そう、それです!それを横にするんです」 「……こう?あれ、堅いよ」 しかしおぼつかない深留に国松は我慢できずに代わりにやろうとした。 「それは逆!もう、おいらが」 「いいのよ国松君!旦那様もやればできるの!やったことがないだけなのよ。旦那様、いいですか?それを時計回りに回して、水平にしてください。そう、そう」 「回った……よ」 「カチって言ったかい?旦那」 「言った、と思う」 この時、千波と国松は顔を合わせた。 「やった!旦那にもできた!」 「ほらね、できたでしょう!」 やった!やったと手を合わせた二人に深留は恥ずかしそうに頭をかいた。 「ご心配かけました……ハハハ」 こうして祭りの前、問屋の相崎には平和な笑顔がこぼれていた。 その後、千波は深留の許可を得て、浴衣の助言をすることになった。この話を聞きつけ相崎の女工の振りをしてやって来た娘や、男性従業員やその家族までもがやってきた。 しかし、千波は時間の許す限り助言をしていった。 そして当日の夕刻になった。 「旦那様、本当にここにいていいのですか」 「喪中だし、僕はそもそも人が多いところが嫌いなんだ」 「そうですか。あ、焼き鳥が焼けましたよ」 「美味しそう!ねえ、千波さんも座りなよ」 祭りに行かない千波は泥棒避けで相崎の中庭にいた。この夕刻、千波は七輪を出し、彼に食べさせていた。 鈴虫のなく夜の庭。道路からは祭りのお囃子が賑やかに聞こえていた。そんな祭りの結城の里の奥庭で、二人はひっそり食事をしていた。 「お味はどうですか」 「おいしい!味噌味最高」 深留はニコニコで食べていた。 「よかった。達治さんのお味噌って美味しいですものね」 「ああ」 「こっちの焼きおにぎりも達治さんのお味噌を塗ってみましょうか」 「……うん」 なぜか急に深留の気持ちが下がったが千波は彼に食べさせていた。 「そして。こっちのイカには勝太郎さんのお醤油をたっぷりと」 ……達ちゃんと勝っちゃんのことばかり。 面白くない深留は、気になっていたこと尋ねた。 「それよりも千波さんはさ。どんな人が好きなの」 夜風、深留は心を飛ばしてきた。 「ねえ、どんな人」 ……やけに絡むような気がする。あれ? 見ると酒が減っていた。そんなにお酒に強くない深留は千波に向かった。 「教えてよ」 「旦那様、飲みすぎですよ、もう休みましょう」 「教えてくれないと寝ないよ」 しかし、深留は半分眠っていた。そこで千波は彼を立たせ寝床の部屋まで案内した。 「教えて」 「さ、ゆっくり横になってくださいね」 「千波さんは僕が嫌いなんだ。しっかりしていないから」 彼は寝床でしくしく泣きだした。 「軽蔑しているんだ、僕の事を」 ……そこまでは。 確かに少しそう思っていた千波であるが深留の悲しみは続いた。 「僕だって不安で大変なのに」 「旦那様、落ち着いてください」 千波は思わず子供をあやすように頭を撫でた。 「そんなことありません。旦那さまは頑張っています」 「うう」 「……千波は、頑張っている旦那様が好きですよ」 「本当?」 「ええ」 「どれくらい」 涙と汗の彼に架かる髪を彼女は優しく解いた。 「空と海を足したくらいですね」 「空と海、か。あのね千波さん」 「何ですか」 深留は千波の手を握り口づけた。 「僕はそれに大地を足したくらい好きだよ……千波さん……スースー」 そんな深留の寝顔に千波は微笑んだ。 ……ゆっくりお休みください。 そして千波は立ちあがり、そっと部屋をでた。 彼は元夫、自分は元妻、彼はその事を知らずに自分に優しくしてくれている今の状況は千波の胸を熱くし、そして傷つけていた。 ……私の事が好きなのは、仕事上なのよ、奥さんとしてじゃないもの。 優しい彼、純粋な彼。そんな彼に離縁されている自分は世界で一番、彼の奥さんになるはずのない娘であった。 遠くで花火の音が聞こえていた。多くの人が空を見上げている時、千波は相崎の戸締りを確認していた。 夏の夜の風だけは千波を想いを知るかのように、静かに優しく流れていた。 十四話「夏祭り」完 第一章 紬の里 完
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