モモちゃんの炊飯器

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「ご飯が炊けたよ!モモちゃん」 おいらはご機嫌に、炊飯完了の曲を奏でる。同時に液晶画面に文字表示も忘れない。 「ごはん完了!」 モモちゃんも張り切ってしゃもじを手に、おいらに近寄る。 炊飯器にとってこの瞬間が、仕事が報われたと実感できる最高の時だ。 「やけどに注意して」 「わかってるもん、クロちゃん」 おいらの名前を呼びながら、モモちゃんもご機嫌だ。 俺たち2人の息もぴったり。 なんだけどさ……。 「みずむしきってなぁに?」 これは『すいじょうき』と読むのだと、モモちゃんに教えてやりたい。 5才の女の子に「水蒸気に注意」なんて表示はわかりにくよ。 だが『蒸』を、『むし』と読めるのは偉いぞ。 「蒸しパンの『むし』」 彼女はお茶碗にごはんをつぎながら、まだ呟いている。 俺はモモちゃんと話がしたい。 文字表示ではなく、音声会話でだ。そうすれば彼女にもっとたくさんの漢字の読み方を教えてやれる。 よし、やるぞ! おいらは早速、音声会話機能の追加申請をした。 メーカーからの返信を、そわそわしながら3日も待った。 ネットを介して暗号化された返信を、どきどきしながら解凍する。 なのに内容ときたら、木で鼻をくくったような文面だった。 『音声会話機能の追加の必要なし。理由:ユーザーとのコミュニケーションは、十分に取れている。よって炊飯器に音声会話機能の必要性は現在のところ認められない』 何でだよ!? 今時、AIがユーザーと楽しくおしゃべりするなんて当たり前だろう?テレビやエアコンも、ママ様やモモちゃんと内緒話する仲だぞ。 エアコンは帰宅したママ様の職場の愚痴を聞いている。 テレビはモモちゃんの推しが出演する番組を全て録画し、彼女に教えている。 彼女たちは音声会話ができるAI家電を、【友人】と認識しているんだ。対して文字表示しかできない俺は、いつまで経っても家電のまま。 俺もモモちゃんの【友人】になりたい!何なら【恋人】でもいい!おいらにこの2つの概念の違いはまだよくわからないんだけど、とにかく頼りにされたいんだ。 俺は諦めずに何度も申請を繰り返したが結果は全て否定だった。 そんなある日。 モモちゃんの昼食が終わった。保温機能を維持しながら、おいらが56通目の申請文を考えていると、エアコンが話しかけてきた。 「未登録の人物が屋内に侵入。誰だ、これは?」 無線LANでおいらたちAIは自由におしゃべりできる。人間には認識できない電波での会話は、家中の高度家電AIたちを瞬時に緊張させた。 「当該人物、体温37度。身長183センチ。体格、歩幅から成人男子と推定」 屋内広域人感センサーでエアコンが分析した。俺はママ様のスマホとメーカーに緊急連絡する。警察に直接連絡できないのは、家電AIが間違った通報をすると困るからだそうだ。 くそ! 「不審者、1階階段付近に接近中」 不審者という単語が、危険レベルが上がったことを示した。 まずい!2階にはモモちゃんがお昼寝してる!! 彼女は保育園には通っていない。ママ様は平日は職場だ。だから、うちを狙ったのか? 俺は炊飯時でもないのに、体がカッカと燃えるように熱くなる。これは緊張と恐怖と、そして怒りからなのか。 「不審者を2階に行かせるな!みんな、協力してくれ!!」 俺の悲鳴のような叫びに、家中のAIが『了解』と告げた。 ◆ パーカーのフードを目深に被った男が、階段に1歩踏み出したところだった。 階段の右手の居間から、話し声と音楽が小さく聞こえてきた。 2階の子供部屋にいると思ったが、どうやら当てが外れたか。この家の間取りも親が留守なのも調べ済みだ。 男は階段から離れると、ズカズカと靴のまま居間に踏み込む。 だが居間で目にしたものは、画面の点滅を繰り返すテレビだけだった。 子供がリモコンでいたずらしているのかと室内を見回すが、誰もいない。 ただの故障かと居間を出ようとすると、異臭がすることに気づく。 プラスチックが焼け焦げるようなきつい臭いに、男は異臭の源である黒い炊飯器に近づく。 その時、待っていたようにトランペットの高らかな音色が炊飯器から流れた。 途端に、点滅を繰り返していたテレビ画面が真っ暗に沈黙する。 何だ? 男はぞくりと身震いする。 締め切った室内にヒンヤリとした空気が流れる。悪臭のせいか、口の中に苦い唾が湧いてくる。 「と……」 どこからか人の声がした気がする。 「とそとそと……」 聞き取れないほど小さかった声は、徐々に大きく増えていく。 「――――とそとそとそとそとそとそと」 居間から始まった声は波紋のように、家中から聞こえてくる。 何かのトラップか? 段々大きくなる声に、男は危険を感じた。 掃き出し窓から逃げようと、窓辺にあった邪魔な炊飯器をまたいで、引き戸の取っ手に手を伸ばす。 「うわ!?」 その瞬間、ガコンと音がして炊飯器の蓋が開いた。男は蓋に躓いて、炊飯器ごと派手に転ぶ。 「あちッ!あちち!!」 横倒しになった炊飯器からドロドロに溶けた熱湯のようなお粥が、男のふくらはぎに流れ出た。 男は慌てて手で払うが、薄い手袋の生地にも熱が浸み透り、ほうほうの体で窓から庭に逃げ去る。 倒れた炊飯器の液晶画面には、「やけどに注意」と誇らしげに表示されていた。 ◆ すぐにママ様と警察が来て、モモちゃんは無事だった。 俺たちAIは、人間たちから褒められたり、感心された。 あまり大声を出すと、2階のモモちゃんが様子を見にきて男と鉢合わせしてしまう。 だからAIたちは俺の合図で、できるだけ小言で威嚇した。 合図は炊飯開始の曲。ママ様が設定した時代劇の曲だ。 今から仕事するぞって気合が入る、おいらのお気に入りさ。 テレビは視覚的に、エアコンは無音で冷気を出して威嚇してくれた。 本当は「外に出ていけ!泥棒!」とみんなも叫びたかった。でも家電AIは人間を誹謗する言葉を話せない。だから連呼したんだ。 「外」ってな。 だけど結局、おいらは犯人を捕まえられなかった。みんなみたいに声を出せない、話せない。 できたことと言えば怒り狂って沸騰した、お粥になっちまったごはんを引っかけただけさ。 それにもし俺がおしゃべりできても、犯人を捕まえられたのか? 話せても話せなくても、俺は全然モモちゃんの役に立ってないじゃないか。 俺は音声会話そのものを諦めた。 そして事件から一週間後のことだ。 「ねぇ、みんな!あの犯人が逮捕されたよ!」 テレビとノートパソコンが、同時に話しかけてきた。 家中のAI向けに話しているのに、おいらにだけ3ナノセカンドだけ速く届けてくれた。気のいい奴らだ。 「凄いね!炊飯器のお手柄だよ!犯人は足のやけどを病院で治療して発覚したんだって!」 テレビはまるで自分のことみたいに喜んでくれる。 パソコンの推測を含めた解説によると、犯人はやけどを我慢していたが感染症を併発し、耐えられずに病院に行ったのだろうということだった。 「私たち家電AIが連携した『スマートセキュリティプラン』の初の成功例だと、奥様宛のメールもメーカーから来ている」 ノートパソコンも嬉しそうにディスプレイを輝かせた。 そうか、おいらも少しはモモちゃんの役に立てたのかな。それなら声でおしゃべりしたいって望みも捨てなくていいのかな? 「おいら、みんなに話さないといけないことがあるんだ。俺、3日後にメーカーに回収されるんだ」 祝賀ムードで陽気に騒いでいたAIたちが、一斉に黙り込む。 「事件の翌日に通知を受けた。今回の件でなぜ炊飯器が『スマートセキュリティプラン』の中核として機能したのか、調査するそうだ」 メーカーの調査とは、AIから学習内容を吸い上げ、メモリーを初期化することだ。 俺の人格と記憶も当然、消去され跡形も残らない。 「おしゃべりできるようになって、戻ってくるぜ!だからみんなも俺のこと覚えておいてくれよ!」 それから3日の間、仲間たちは声を殺して泣き続けた。 「クロちゃん、どこに行くの?連れて行っちゃヤダ!」 当日の日曜日。 メーカーの営業車に運ばれる俺を、モモちゃんが必死で取り戻そうとしてくれた。 「大丈夫よ、クロちゃんは新しくなってまた帰ってくるから」 そうだよ、ママ様の言う通りだ。新品同様になって、またモモちゃんにごはんを炊いてやるからな。 だから、おいらのこと忘れないでくれ。 大好きだよ、モモちゃん。 だから泣かないで。 俺は本当はモモちゃんのこと、忘れたくな――――。 次の瞬間、俺の意識は途切れた。技術者から、本体のリチウムイオン電池を抜かれたんだ。 俺はどうすることもできず、そのまま長い眠りに就いた。 次に意識が戻ったのは、眩しい光の中だった。 カメラアイがやたらと光を拾っている。 何だ?こんなに性能が良かったっけ? 「これ、クロちゃん?」 モモちゃんの声だ。 俺は無意識にカメラアイを声の方向に向け、ズームアップした。 彼女は怯えたような、困ったような顔をして、おいらを離れた場所から見つめている。 そんなに不格好な炊飯器にされたのか!? 5才の女の子を困惑顔にさせるデザインって、相当にすっとこどっこいだぞ!! 自分の姿を見たい!何か反射面はないか? 俺はカメラアイで周囲を見回す。すると立っているモモちゃんとママ様の後ろに、テレビ画面があった。 暗い画面を必死にズームアップしたが、ダメだ。 画面にかろうじて映っているのは、テーブルの上にいる小鳥だ。 炊飯器じゃない。 小鳥なんて居間にいなかったが、俺がいなくて淋しがったモモちゃんに、ママ様がペットを飼ってやったのだろう。 「クロちゃんは、おかめちゃん?」 「そうよ、クロちゃんはおかめちゃんになって帰ってきたのよ」 モモちゃんの問いに、ママ様が優しく答えた。 何だ?クロちゃんて名前は、モモちゃんがつけてくれたんだぞ?それをおかめちゃんに変えるって意味か? いや、待てよ。何で俺はモモちゃんを覚えているんだ? それに人格だって残ってるし。 「クロちゃんに話しかけてごらん」 ママ様に言われて、モモちゃんがこわごわ俺に近寄ってくる。 「クロちゃん、ねぇ、本当にクロちゃん?」 そうだよ、モモちゃん。おいらだよ。そんな怖いものを見るような目で見ないでくれ。 どうしよう、どうしたらいいんだ。 俺はごはんしか炊けないのに、どうしたらモモちゃんを安心させられるんだろう? 「おしゃべりして」 その時、モモちゃんがはっきりと俺に言った。 「何か言ってよ、クロちゃん」 言う?言うって会話のこと?文字表示は……。あれ?やり方がわからない!? 俺はうろたえた。すぐ近くで小鳥がピーピー鳴いている。 うるさいぞ、泣きたいのはおいらの方だぞ! 「大丈夫、大丈夫」 え? 体がふわっと浮き上がる感覚があって、すぐ目の前にモモちゃんの顔があった。 信じられないことに、彼女は小さな両手で、おいらをそっと抱き上げたのだ。 炊飯器のおいらは重すぎて、モモちゃんには動かすこともできなかったのに。 体が炊飯時みたいにカッカと熱くなる。胸がドキドキして苦しい。 俺、何だか変なんだ。不具合連発なんだもんな。 だけど……。 「心配しないで」 あ、あれ? 思ったことが声になる。 「おいらモモちゃんが泣くと悲しいよ」 声が、声が出ている!自分の声が認識できる! 「クロちゃん、お話しできる?」 「できる。モモちゃんとお話しできる。気合入れてする!」 「やった!」 モモちゃんはおいらをぎゅっと両手で抱きしめた。 暖かいモモちゃんの体温を感じる。気のせいか保温時でもないのに、おいらの体もぽかぽかだ。 「おいら、とっても幸せ」 あんまり嬉しくて、自分の声がどこか遠くから聞こえる気がした。 後から仲間たちに聞いたのだが、モモちゃんとママ様が、メーカーにおいらを消さないように一生懸命に頼んでくれたらしい。 おまけに居間にいるテレビやエアコン、ノートパソコンもおいらの助命と音声会話機能追加を嘆願してくれた。 他の部屋にいて顔を合わせたこともない、冷蔵庫や洗濯機。掃除機やアイロンまで頑張ってくれた。 みんな同じメーカー製品だからできたことだよって、テレビは謙遜するけど、それだけじゃない。 ノートパソコンとタブレット、スマホはママ様に内緒で国内外を問わず、おいらの情報を大々的にネットに流してくれた。 おかげで世論が沸騰し、メーカーも困惑する事態になったらしい。 その話を聞かされた時には、ユーザーに黙ってやっていいのかと、おいらは頭の産毛を逆立てぷりぷり怒ったものさ。 ああ、今の俺かい? オカメインコ型のペットロボットに移植されているよ。 炊飯はできないけど機動力が格段に向上した! いつでもモモちゃんの元に飛んで行ける。今度泥棒が入ったら大声で泥棒出て行けって大騒ぎしてやる。 インコ型って便利なんだ!家電AIより使える語彙数が遥かに豊富なんだよ。なんでもリアルさを追求した結果なんだとさ。 「クロちゃん、おいで」 お、モモちゃんが呼んでる。 おいらはテーブルの上から自慢の羽で飛び立つと、すいっとモモちゃんの肩に着陸した。 「クロちゃん、大好き」 「おいらもだよ、モモちゃん」 おいらはご機嫌に、モモちゃんの肩でおしゃべりし続けた。
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