第9話 一日遅れの乾杯

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第9話 一日遅れの乾杯

 夕食の席に向かうために部屋を後にしたエリーヌは、少し歩いた廊下でつまづいた。 「あっ!」  危うく転びそうになったところをなんとか踏ん張って耐える。  何か石でも転がっているのか、と思ったが廊下は隅々まで綺麗にされており、そのようなものは見当たらない。 (何かが引っかかったような気がしたんだけど……)  足に違和感を覚えたエリーヌは辺りをよく観察してみる。  すると、廊下の壁にわずかなズレがあり、そこに足を引っかけてしまったようだった。 (壁の継ぎ目?)  年季が入った屋敷でもあったため、何かの拍子に壁にガタがきてしまったのかもしれない。  そう思っていた矢先、後ろから声をかけられる。 「エリーヌ様、どうなさいましたか?」 「ディルヴァール」  アンリの研究室のほうからやって来たディルヴァールは、両手に何冊もの本と分厚い書類の束を抱えている。 「お仕事お疲れ様です」 「ありがとうございます。夕食に向かわれる途中でしたか?」 「はい、ただ、ここの壁が壊れているのが気になって……」  そう言いながら先程つまづいた壁を指さす。 「ああ、そういえば壊れておりましたね。業者に依頼しようと思っておりました。お怪我はございませんでしたか?」 「あ、私は大丈夫です!」 「それはよかったです。エリーヌ様、夕食のお時間ではございませんか?」 「あっ! そうでした! いってまいります」 「今日は先程アンリ様も向かわれましたので、ぜひお楽しみください」 「本当ですか?! 行ってきます」  そうしてエリーヌは礼をした後にディルヴァールに背を向けて行く。  ディルヴァールはエリーヌがダイニングに向かったのを見届けると、先程の壊れた壁を見つめる。 「いつかあの方が外に出られる日が来るといいのですが……」  彼の呟きを聞く者は誰もいなかった──  エリーヌは急いでダイニングに向かうと、ディルヴァールが言っていたように窓際の席にアンリの姿があった。 「アンリ様」 「エリーヌっ!」  お待たせいたしました、と謝りながら席に着く。  二人が揃ったのを確認すると、シェフとロザリアが連携して料理を準備していく。  今夜は魚がメインの食事で、その他にもスープやサラダなどが並んでいる。 「それではいただこうか」 「はい!」  二人は魚介メインのあっさりとした食事に手を付け始める。  夏も本格的になってきたため、スープも冷製でひんやりと冷たい。  ふとアンリのほうへと視線を向けると、彼は白ワインを口にして楽しんでいた。 「お酒、お好きですか?」 「ああ、普段はあまり飲まないんだけどね。仕事ばかりで最近は特に」 「そうでしたか」  すると、アンリはシェフに何か合図をして持って来るように依頼をした。  しばらくしてテーブルに運ばれてきたのは、透明なノンアルコールのシャンパンだった。 「もしよかったら、一緒に乾杯してもらえないだろうか?」 「ええ、私でよければ」  そう言ってそれぞれグラスを持つと、コンと合わせて乾杯する。 (あ、美味しい……)  ブドウ風味の味わいでほんのり甘いが、すっきりとしていて今日の食事に合う。 「遅くなったけれど、エマニュエル家の当主として君を歓迎するよ」 「ありがとうございます。お世話になります」  律儀に挨拶をする彼女にアンリはさらに好感を持つ。  そして、今叶えられない将来の夢として問いかけた。 「いつか君が大人になった時に、一緒に付き合ってくれるかい?」 「もちろんです。お酒のこと、たくさん教えてください」 「なんだか……あ、いやっ! なんでもない!」 「……?」  アンリは何かを飲み込むように酒を一気に飲み干す。 (『教えてください』に下心を感じたなんて、言ったら絶対嫌われるっ!!!!!) 「──??」  不思議そうに見つめるエリーヌの瞳がまた純真そのもので、何か自分が穢れたもののように感じたアンリだった──
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