第1話 稀代の歌姫は裏切られる

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第1話 稀代の歌姫は裏切られる

 社交界の舞台で歌う”彼女”は、金色で長く美しい髪を揺らめかしている。  美しい碧眼を輝かせたその表情は、まさに歌の体現者となっていた──  数多の令嬢や令息、そして王子は、彼女の透き通った透明感のある歌声に耳を傾ける。 「やはり、エリーヌの歌声は素晴らしいわ」 「ええ……、透き通った繊細な声で音程も外れない……」  夫人たちがうっとりしながら、エリーヌの歌声に聴き惚れていた。  彼女の歌は流れるように人々の耳に届き、観客の心を捕らえて離さない。 「エリーヌの歌声はもう国の宝だ」  この国の第一王子であるゼシフィードもそのように告げる。  彼女──エリーヌ・ブランシェはこの歌声から『希代の妖精歌姫』と呼ばれていた。 「ふう……」  本日のコンサートの一回目の歌唱を終えて、エリーヌは裏庭で一人静かに休息をとっていた。  煌びやかな舞台に立ち、大きな歓声を浴びることが多い彼女は合間に自身の精神統一も兼ねて静かな場所で休憩時間を過ごすのが常だった。  何度か招待を受けているこの王宮での夜会でも、いつも一人で暗い場所で深呼吸して気持ちを落ち着かせていた。 「やっぱり綺麗だったわね~!」 「もううっとりしちゃうわよ、エリーヌ様の歌声は」  エリーヌの頭上にあるバルコニーにいるであろう令嬢たちが、歌姫のことを賛美していた。 「だって、あの歌声でしかも!」 「「ゼシフィード様の婚約者っ!!」」  ふふ、もう女の子の憧れよね~!なんてうら若き声が聞こえてくる。  その声を聞き、むず痒くて少し恥ずかしい。  自分のことを話されているのを盗み聞きする形になり、エリーヌはなんとなく彼女たちに申し訳ない気持ちになった。 「自信を持ちなさい、エリーヌ」  エリーヌはこれだけ名声を浴びながらも、毎日精進を続けており、もっと人々の心に響かせようとしていた。  なんとなくそれには『何か』が足りない気がしてならなかった。 (もっと、もっと素敵に歌いたい……)  そう彼女が思ったその時、エリーヌの視線に黒い影が映る。  誰かが来たのだ、と思って顔をあげた時に、すでに彼女の”それ”は奪われていた── 「ん……」  エリーヌはいつの間にか気を失っており、その場に倒れていた。  ひどい頭痛がして、喉がなぜか焼けるように痛い。  すると、バルコニーのほうからざわざわと声がするのが聞こえる。  耳を澄ませると、第一王子であるゼシフィードの声がした。 「エリーヌはどこに行ったんだ?!」  気を失ったまま休憩時間を過ぎていたようで、エリーヌは慌ててドレスの裾を持って舞台のほうへと走って戻った。 「はぁ……はぁ……」  身体が熱く、ひどい風邪を引いたような重だるさがエリーヌを襲う。  眩暈や頭痛も辛かったが、大事な舞台に穴をあけてはならないと彼女はひた走った── 「申し訳ございませんっ! 準備に時間がかかってしまいまして……」  ダンスホールの入り口に姿を現した彼女に、皆の視線が刺さる。  怒号を覚悟したエリーヌだったが、意外にも歓迎ムードの声がそこかしこからあがり、まるでアンコールを待っていたかのような盛り上がりようだった。 (よかった……)  ゼシフィードと目が合うと、彼はエリーヌにすぐに舞台に上がるように目で指示をした。  だが、珍しくその横には見慣れない人物がいた。 (ロラ……?)  彼女と同じ歌手であり親友でもあるロラがゼシフィードの横にいたのだ。  その光景を見てどうしてかエリーヌは胸がざわついた。  だが、今は目の前の舞台で精一杯皆に歌を届けるだけ。  それを思い彼女のピアノの演奏に合わせて、声を出した。 「────」  その瞬間、ホールにいた者たちが皆首をかしげて目を細めた。  違和感に気づき、驚いたのは観客だけではなかった。 (声が……出ない……)  ピアノ奏者も異変に気付き、自然に歌い出しの部分を再度演奏する。  それに合わせてもう一度エリーヌは歌った。  ──いや、歌えなかった。 (どうして……?!!)  ついに観客たちもざわつき始めて不穏な空気が漂う。 「なん…で……あー……あー……」 (声は出る、でもなんで歌えないの?!)  その瞬間、甲高い声がホールに響き渡った。 「神の怒りを受けたのですわ!」 「え……?」  まるで舞台役者のように大きな身振りと声で人々に聞こえるように言う。 「ああ、やはりロラの言ったことは本当だったのだな」 「ええ、ゼシフィード様、エリーヌは次の大舞台に立つわたくしに嫉妬して何度も嫌がらせをしていたのですもの」 「え……」  その言葉に聴衆は耳を傾け始める。  そして、ゼシフィードはゆっくりと舞台上にいるエリーヌの元へと歩み寄ると、彼は皆へと宣言した。 「聞けっ! このエリーヌは私の婚約者という立場でありながら、他の男と浮気をしていた。さらに、そこにいるロラに地位を奪われると危惧して嫌がらせの数々をした!」 (そんなこと、してない……!)  何が起こっているのかわからず、否定の言葉をなんとか紡ぐ。 「違いますっ! 人違いです! そんなことやっておりません!!」 「いいえっ! エリーヌはわたくしのドレスを破いて舞台に上がれなくしたり……」 (それは、ロラが仮病で私が代打に入った日……!) 「今日もわたくしの紅茶に毒を盛ったのです! 証拠は彼女が持っているはずです!」 「そんな、私そんなことしておりません!」  胸の前に手を当てながら潔白を証明しようとしたとき、小瓶がカランを床に落ちた── 「え……?」  その転がった小瓶をゼシフィートの細い指先が拾い上げる。 「チャール!!」 「はい」 「これは何の液体だ?」 「ちょっと失礼いたします……この色と刺激臭、おそらく……」  そうしてチャールは胸元から出した布にその液体を少し垂らすと、みるみるうちに布が解けていった。  その様子を見て彼は冷たい声で言い放った。 「毒です」  その声を聞き、聴衆が騒ぎ立てる。 「皆、静まれっ! この女は自らの嫉妬に駆られ、親友を手にかけようとした! そんな大罪人を許してはならぬ!」 「待ってくださいっ! それは私の持ち物では……」」 「ないと申すか?! 今ここで、この場でお前の胸元から落ちたというのに。ふふ、どうやら性根も腐っているらしい」 (違うのに……! なんで、なんでっ!!) 「ゼシフィールはこの愚かな女を婚約破棄し、新しくロラを婚約者とする!! 連れていけ」  エリーヌは衛兵たちに腕を掴まれ乱暴にダンスホールから連れていかれる。 「違いますっ! 私はしていませんっ!!」  衛兵に引きづられて行く最中にエリーヌの瞳に映ったのは、ロラのにやりと笑った顔だった──
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