才能がひとつだけあるとしたら

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腑に落ちた。 すべての仕事で才能を生かせなかった私は、今まで経験した職業のすべてを自分の内側に宿して、今の仕事に生かしている。 もちろん内面に宿っているのは褒められたことだけではない。 叱られたときの記憶や失敗したときの罪悪感が記憶の中にあるから、私は誠意をもって、時に忍耐強く仕事をすることができるようになった。 ライターなので文章を書くのがうまいのはたしかだろう。 それは高校のころ、現代文の成績が良かったことと同じで才能でもなんでもない。ただ日常的に読書をしていることが役立っているだけだ。 私にはライターの才能すらない。 自分の才能を生かした仕事をしている人たちに、いまだに憧れている。 だけど才能がないならないで、経験さえ積めばなんとでもなる。 信じている自分の才能はひとつだけあるとしたら、自分らしい小説を書けるということである。 いつか小説執筆が仕事になれば、私も「才能を生かした仕事をしている」と言えるのかもしれない。 ただ仕事にならなくても、私はその才能だけは信じ続けたい。 春がきて、来年の春のことを考える人が増えた。 15年前の私のように、多くの人がこれから仕事を選ぼうと行動している。 どの職種が良いのか迷っている人も数えきれないほどいるはずだ。 職業をどんどんと変えた私に、アドバイスをする権利なんてないけれど。 贈る言葉があるとすればどんな内容が良いだろう、と考えてみた。 いま自分がいちばんしたいと感じている職業を選んでも良いし、その職業に就くのが難しいなら、今まで考えてもいなかった分野にチャレンジすると思いがけない出来事に巡り合えるのではないだろうか。 つらくなって退職したとしても、仕事によって得た経験や能力、そして「職業病」は、遅かれ早かれパワーになる。 いま、私は専業ライターとして生計を立てている。 好きなことを仕事にしていてうらやましいと言われるので、私は「新卒のころの私は自分の才能を生かせる仕事に就きたかった」と答える。 挫折を経て、今、ライター10年目になったのだ。 どの職業を選んでも、10年後、15年後、20年後、どうなっているかは誰もわからない。 今は未来の見通しが経たない時代なのだから、激流のような時代に自ら乗り込み、そこで見たこと、感じたことを思い切り利用すればいい。 午前中の4時間、執筆作業に没頭していた私は、ふと「ごはんを食べないとな」と思い、大きく伸びをした。 そして、深呼吸をした。 携わる仕事に必要な才能が、あってもなくてもかまわない。 後天的に身につけた経験のおかげで、今の私になれた。 社会人何年目になっただろう。 今も新卒のころと変わらず、5年後、10年後、20年後の「働く自分」に期待している。
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