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誤魔化すようにチビチビとレモンサワーに口をつけていると、ガヤガヤとした騒がしい空気の中、花田さんが顔を寄せるように前のめりになった。
「お前、アレいつも持ち歩いてんの?」
アレとはアレだろう。私の印籠である、三山夫人と交わした書類の件だろう。
「あーまぁ、必要になるかなって」
さすがに原本は持ち歩かないが、コピーはカバンの中に入れている。
最近の営業部での嫌がらせに我慢できなくなったら、アレをひかえひかえ!とズバーンと出そうと思っていたのだ。皆、全然聞いてこないし、私個人の話なんて披露する時間が業務時間内にある訳でもなく、誤解を解く機会もなく、ずるずると今になっているだけだ。かなしい。
「やっと役に立ってよかったです」
「なんで俺に言わなかったんだよ」
花田さんはもうアルコールに反応しているのか、目元が赤くなっている。意外とお酒に弱いのかもしれない。ここでギャップを出してくるとは抜け目ない男である。
目元を赤くし、拗ねたように恨み節を言う花田さん。レアすぎる。
「えっと……昇格試験を受けたいってことですか?」
「それじゃない。あの、詐欺師のことだ」
先ほどから頭の中でハテナが増えていく一方だが、これはわかる。きっと会議室で言っていた結婚詐欺うんぬんの件だろう。
「結婚詐欺って、別にお金を騙し取られたわけじゃないですよ」
「とられてるだろ」
「あれはしてしまったことの慰謝料です」
妙な沈黙が流れ、周囲のガヤガヤ声が先ほどより大きく聞こえた。
こんなに騒がしい店内だというのに、花田さんの次の言葉はなぜかハッキリと耳に届いた。
「三山って、●●物産の営業か」
「ん!?ッッゴフ!!」
驚きすぎてチビチビ飲んでいたレモンサワーが変なところに入り思いっきりむせてしまった。苦しいのと驚いて心臓がバクバクしているので私も顔が赤くなってきている気がする。
「なん、で、知り合いなんですか!?」
「……まぁ、前職の同僚だな」
ガーンと古臭い表現だが、何かに頭を叩かれたぐらいの衝撃だ。花田さんの前職は●●物産だったのかとか、辰己と同僚だったとか、なんかもう世間は狭いどころの話じゃない。
衝撃から戻ってこない私を尻目に、花田さんは苦い顔をして「ちなみに昔、三山の結婚式に参列した」と呟いた。
じゃあ私は花田さんが結婚を祝った男とのノロケや未来への展望を語っていたというわけか。アホすぎて力が出ない。久々に辰己の件でショックを受けている。いや、これはショックなのか?なんだろう。とにかく衝撃が大きすぎて身体が拒否している。
呆然と身体を支えるように机に腕を乗せて耐えていると、花田さんが手を伸ばして頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。もしかして慰めているんだろうか。それにしては手つきに優しさがない。たぶん、目の前で泣かれるのは迷惑なので泣かせないように誤魔化しているのだろう。きっとそう。泣きませんよ。
「本当に知らなかったんだな」
「知りませんでしたよ。マヌケにも」
まだぐしゃぐしゃと混ぜる手が止まらない。キューティクルが傷ついたらどうしてくれるんだ。でも、まだ顔を上げられない。
「知らないなりに、もっとやり方があるだろ」
「誠実に、清く正しく生きてさえいれば良いことがあると思ってたんですけどね」
徐々に手がゆっくりと止まり、なぜかグワシッと大きな手で頭蓋骨を掴まれた。思わずイタタタタ!と逃げるように顔を上げる。
非難がましい視線が正しく伝わったのか、またあの悪そうなにやり顔で手をにぎにぎしている。
警戒するような目で睨みながらぐしゃぐしゃにされた髪を手櫛で整えれば、店員さんが絶妙なタイミングで焼きめしを持ってきた。また花田さんは当然のような顔で小皿に取り分ける。マメな男である。
当たり前の顔で小皿を私の前にコトリと置いた。
「食え」
「……ありがとうございます」
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