衝突

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 営業フロアの端にある、女子社員用の休憩室にて。  室内には二人掛けのソファーと、中央に長机が並んでおり、壁際には簡素な水回りや冷蔵庫が設置されている。  昼の休憩時間には何人か出入りを繰り返すが、最近は決まったメンバーが長机に飲食物を広げていた。  冷蔵庫にしまっていた荷物を取りに何人かがやってくるが、とたんに感じる異様な空気に気まずい表情で通り過ぎる。しかし中央にいるメンバーたちは気にも止めていない様子だった。 「もうほんとムカつく!」 「清水ちゃん、荒れてるね」 「まあ、あれはね……」 「ね、営業さんたちが出払ってるタイミングでよかったよ」  清水と呼ばれた女性は怒りの表情を露わにしながら、先ほどから同僚への愚痴が止まらない。早々に聞き手を離脱した何人かがヒソヒソと囁き合い、距離があり状況を把握していない者へ先日の様子を説明をしていた。 「早く辞めればいいのに!ね、彩さん!」 「もう終わったことだから……」  清水は隣にいる妊婦に同意を求めたが、彼女は眉を下げるのみで話に乗らなかった。  それが不満だったのか、室内にいるものの最近の営業部内のゴシップを理解していない人間へ演説でもするかのように清水の声は大きくなった。 「あの花田主任のアシスタントの森田さんってば、彩さんと仲良さそうな顔してたくせに裏では不倫して、彩さんの旦那さんにも手を出してたなんて信じられない。引くわー」  あぁ、なるほど。と、最近の営業部の異様な空気に気付いていても関わらないように遠巻きにしていた人たちは理解した。  ”あの花田主任”で誰が話題の中心だかわかってしまうのは、花田主任が人目を引きやすい容姿だからだろうか。それとも、イケメンで仕事が出来る花田主任に少しでも”個人的に”近づこうとするとキツイ対応を受けるのは有名なのに、森田というアシスタントになってから上手くやっている様子を見ていてそもそも気に食わなかったのか。  誰しも一度は思ったことがあるんだろう。『なぜ彼女は許されるのか』と。  本人と話してみても特段変わった人柄でもなく、容姿も華やかな方ではなく、整ってはいるが地味な部類だった。  だから、今回の噂が出始めた時は予想外な登場人物に余計に話題に上りやすかった。  そして、内心プライドが傷ついていた彼女たちにとって噂は格好の”慰め”だった。彼女たちがキツイ対応を受けたのは自分に問題があったのではない。彼女たちより地味で冴えない森田が勝っているわけではない、と。   「でも『既婚者だって知らなかった』って言ってるの聞いたって人いたんでしょ?」  「そんなの不倫女の常套句ですよ!普通わかるでしょ(笑)」  土日会えない~とか、記念日に会えない~とか。家に行ったことないとか、洋服から家庭的な匂いがするとか。清水が意気揚々と語る、やけに細かいディテールに休憩室の中で小さな苦笑いが起きた。  ヒートアップする清水に、まぁまぁと人好きのする顔をした佐田がいつものように落ち着けと諭した。 「清水ちゃん、もうやめといた方がいいよ。放っておきなよ。無理して関わらなくていいんだから」 「でもー、私許せないんですー。芸能人の不倫ニュースとかもありえないなって思ってたのに、身近にいたなんて。不倫を肯定するみたいで嫌悪感でちゃうんですー」  最近そういうニュース多いわねー日本は平和ねーと気の抜けた佐田の相槌に、気まずそうにしていた面々からほっと安堵の笑い声が聞こえてきた。  正直、同僚の私生活なんてどうでもいいと思っている人間もいるし、森田の人柄を知る人は『本当に知らなかったんじゃないの』と見解を変えた人間もいる。しかし、ヒートアップしている清水にそんなことを面と向かって言う人間もいなかったのだ。  普段の佐田は少々天然が過ぎるところもあるが、こうして殺伐とした空気を穏やかな空気に変えるムードメーカーとして貴重な人材である。 「はぁーあ。さっさと部署異動でも転職でもすればいいのに」 「……そういえば、聞いちゃったんですけど。森田さん、昇格試験受けたらしいですよ」 「えーーー。なにそれ」 「森田さん、最近すごいもんね。もうバリバリ、モーレツ社員!」 「モーレツってなんですか……?」 「最近の子はモーレツって言わないの?じゃあ今はなんて言うのよ」 「だから、モーレツってなに……」  すっかり佐田さんの空気に和んだ休憩室では、何度かの話題を経て皆散り散りに休憩を終えていった。  終始穏やかに座っていた彼女の感情の読めない笑顔に何人が気付いたか。
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