脳内検索

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 入社三年目のことだった。  仕事を覚えることに手一杯だった一年目、自走できるようになった二年目、そして三年目には後輩の教育係も任されるようになった。  自分なりに充実した日々だったが、勤務時間外も勉強の時間に充てたりしてプライベートの付き合いが悪かったと思う。それに加え、伝え方が上手くなかったのかもしれない。 『そこまで頑張る必要ないんじゃない?』  そう笑って言ったのは、一年目に自分の教育係だった先輩の流川彩さんだった。 『───そこまで期待されてないでしょ』  頑張りすぎだから息抜きに合コンに行こうと明るく誘ってくれた彩さんに腕を組まれ、作り笑いで返した。その場では、なぜこんなモヤモヤした気持ちになったのか理由がわからなかった。だって彩さんは私を心配して声をかけてくれたのだ。 「で、非常階段で泣いてたわけだ」 「泣いてませんよね。花田さんは泣いてましたけど」 「上から森田さんが滑り落ちてきたから驚いてむせただけだけど?」 「社屋は喫煙スペース以外禁煙ですよ」 「……お互い、ここであったことは内緒にしよう」  ね? と、危険な雰囲気で笑っていた花田さんにときめいていたことは伏せておきたい。当時は猫を被っていると知らなかったので無罪である。  爽やか好青年が危険な空気を出したのでギャップにドキッとしただけで、今となっては”そもそも危険”な花田さんが「内緒」と言ったらそれはトキメキではなく不整脈だ。命の危機を感じて脈が挙動不審に動いただけ。  別に彩さんの言葉に傷ついたわけではないが、なんとなくモヤモヤモヤモヤ言語化できないレベルのわだかまりがずっと胸に残っていた。  気遣ってくれる彩さんに申し訳ないが、お昼を断ってしまった手前、誰にも顔をあわさず昼食を入手するため非常階段を使ったら滑って落ちたのだ。  痛みに声にならない声で踊り場を這って進んだら、階下で不良のごとく喫煙をしていた爽やかエース花田さんがいて。  ジャパニーズホラー的な登場に随分驚かせたらしく、むせて泣いていた。  私も痛みで少し泣いていたかもしれない。  さすが営業部の新星、花田さんは下っ端の私の名前まで覚えていたらしく、うっかりして悩み事?と、あれよあれよとお悩み相談が始まったのだ。 「うるせーって言っちゃえば」 「そんなこと言えないですよ……」 「それは嫌われたくないから?いい子ぶってるとナメられるよ。俺みたいに」 「いい子ぶってるんですか?だから隠れて喫煙と。なるほど」  クスクスと冗談を交わしているうちにだんだん心が軽くなってきた。  作り笑いが消えて、肩の力が抜けて、モヤモヤが抜けていった気がした。  そのタイミングで花田さんが視線を流した。   「うーん、それ言ったの彼氏?」 「違いますよ。いませんし」  急な視線に驚いて、聞かれていないことまで口が滑った。 「彼氏いないんだ、意外だね。モテそうなのに」 「モテの次元が違う花田さんに言われても響かないです」 「はは、次元ってなに。俺モテないよ、一緒だね」  ほらね。モテる人はこのくだりにも慣れてるからサラッと流しちゃうんだよ、という気持ちが顔に出ていたのか花田さんが吹き出して顔を伏せていた。  そういえば花田さんが入社してから営業部内外の女子社員は花田さんのご尊顔を拝みに集まるし、歓迎会なんて過去一の集客人数だった記憶がある。私は後輩の指導で忙しく、正直それどころじゃなかったんだが。  改めて会話してみて。花田さんは顔は良いし、話は上手いし、聞き上手で穏やか好青年とくれば文句のつけようがない。  ……と、当時は思っていた。当時は。
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