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クリスマスはB級ホラー
ぱっと頭に浮かんだのは「牢屋」だった。だだっ広い畳に小さいテレビと机、布団しかない牢屋の中をドラマで見たことがある。
それくらいこの部屋には物や生活感がなかった。
「ほんとになにもないんだな」
「引っ越しには便利だよ」
引っ越しのプロみたいな顔で室谷は言った。まあ、五回も転校してればプロみたいなものか。
ばばあ降臨事件以来、室谷とは前よりもしゃべるようになった。昼休みにはおれたちと弁当を食べるし、卓球部が休みの日にはいっしょに帰ったりもする。
相変わらずテンのテンの助のようなおもしろさは隠してるけど、高橋たちとも楽しくやってると思う。
今日も高橋と吉井とポンちゃんの店にいこうという話になって、試しに室谷を誘ったら、意外にも「いく」と返事がきた。
放課後、ポンちゃんの店の前で集合なと言って、一度家に帰って店へ向かうと、そこには室谷だけで、二十分待っても高橋と吉井は現れなかった。
十二月の中旬、外でじっと人を待つのには向かない季節だ。
それでイライラしてきたおれに、室谷が「ぼくの家近くだから、ふたりがくるまでそっちで待ってる?」と家に上げてくれることになった。
家にいく途中、「なにもないけど」と室谷は何度も言った。
おれはまたこいつの自信のなさからきた発言だろうと聞き流した。
でも実際、室谷の部屋には、どこにでもありそうなベッド、どこにでもありそうな机、どこにでもありそうな低い棚、段ボール二箱しかなかった。
余計な物であふれてるおれの部屋とはえらいちがいだ。
「マンガとかゲームとかねーの?」
「それならここにあるよ。なんかやる?」
室谷は広げたのは、積まれてある段ボール箱のひとつだった。
「なんでそんなこと入れてんだよ」
「昔、引っ越す時に机の引き出しに入れたまま忘れてきちゃって。気づいたのしばらく経ってからだったし、その机、処分してもらうやつだったから、あきらめろって親に言われて。それから忘れないように段ボールにしまうことにしてるんだ」
「頭がいいのか悪いのかわかんねーな」
室谷は声だけで「ははは」と笑ってみせた。
この部屋はきれいだけど、なんとなく落ち着かない。きれいだから汚せないっていうプレッシャーを感じるからか、それとも持ち主がいつでも離れられる気でいるからか。
「ラジオもその段ボールに入ってんのか?」
ぐるりと部屋を見渡しても、ラジオらしいものが見当たらなかった。
「ぼくラジオじゃなくて、スマホで聞いてるんだ」
室谷はズボンのポケットからスマホを出した。
「え、おまえスマホ持ってんの!」
「便利だからって親が買ってくれたんだ」
「いいなあ~。おれんちは高校生になってからって」
「スマホならいろんな番組聞けるもんね。でもラジオ以外はそんなに使わないかな。ほんとはラジオもほしいんだけど」
室谷はそのあとを言わなかった。きっと「引っ越しの時に邪魔になるから」とでも続くんだろう。
こいつは引っ越しを嫌いながら、引っ越しのことばかり考えてる。
「なあ、スマホだったら聞き逃し配信やってるよな」
「うん」
「室谷、頼む。きのうの『ラジオ・デ・ショー』聞かせてくれ」
おれは手を合わせて頭を下げた。
「いいよ。真辺くんってラジオで聞いてるの?」
「そっ。ネタ送る時だけ母ちゃんのスマホ借りてる」
「いいなあ、ラジオ」と言いながら室谷はスマホをいじって、きのうの『ラジオ・デ・ショー』を流してくれた。
ベッドに座ってラジオを聞く。
「きのうのゲスト電波ジャックのカリンだっただろ。絶対聞こうと思ってたのに、いつの間にか寝ちゃってさあ」
〈生放送でお送りしてます。『ラジオ・デ・ショー』本日のゲストは、人気急上昇中のアイドルグループ電波ジャックからカリンちゃんがきてくれました~〉
〈はじめまして、あなたのハートにビビッと感電、電波ジャックのカリンです。よろしくお願いしまーす〉
〈お願いしまーす。今のはいつもするあいさつなの?〉
〈あ、はい、そうです。いつもやらせてもらってます〉
〈えーと、あなたにビビビ?〉
〈あなたのハートにビビッと感電、です〉
「このアイドルの人ってさあ」室谷が言った。おれはラジオに夢中であまり聞く気がなかった。でも、「藤岡さんに似てるよね」
おれはビビッと感電したみたいに顔を上げた。
「はあっ? どこが!」
なぜかケンカ腰になっちゃったけど、室谷は気にしなかった。
「えっと、顔の感じが。似てない?」
「似てねーよ!」
「そうかなあ」
「そうだよ! 全然似てねーよ! 人間ってことくらいしか共通点ねーだろ!」
「それは言いすぎじゃない?」
あぶねえ。もうちょっとでおれが藤岡を好きだってバレるところだった。室谷のやつ、いきなりなに言い出すんだ。確かに藤岡とカリンは似てるけど、だからって、おれはそんな理由で藤岡が気になるわけじゃないし、カリンを応援してるわけじゃない。
「でも、かわいいよね」
こいつ、まだ続ける気か! というか、かわいいって藤岡に対してか? もしかして室谷も藤岡のこと……。こたえによっては感電させるぞ!
「このカリンって人」
おれはほっとして、感電させようとかまえていた右手を下ろした。
でも、そのあとにまた右手を使わざるを得ないような事態が起こった。
ラジオを聞き終わり、ポンちゃんの店にもどると、店の前で高橋と吉井が駄菓子を食べていた。
「あ、真辺と室谷だ。どこいってたんだよ」
「室谷んちいってた。おまえらおせーよ」
文句を言うと、高橋と吉井は「だってなあ」とアホみたいな顔を見合わせた。もったいぶった態度が気に食わなくて、おれは「なんだよ」とにらみつけた。
すると、高橋と吉井はお互いが相手に言わせようとして小競り合いをして、結局、吉井が言った。
「ここにくる途中、藤岡とヤッチョンがふたりでいるところ見つけてさ。あいつらがふたりでいるのめずらしいじゃん。だから、なんかあるんじゃないかと思って見張ってたんだ。なあ」
吉井が高橋に助けを求める。
「そうそう。クラスでもあんましゃべってるとこ見ないだろ」
おれには聞きたいことが山ほどあった。でも、言葉がひとつも出てこない。
隣で室谷が言った。
「それでどうなったの?」
「ちょっとしたら、金本と男子が何人かきてたな」
「じゃあ、ふたりきりで遊んでたわけじゃないんだ」
「そうだな。みんなでどっかいく感じだったぜ」
室谷が肝心なことを聞き出してくれたおかげで、おれの心臓はどうにか動き続けた。
だからって、平気なわけじゃない。
藤岡がヤッチョンと……。ヤッチョンはクラスの中でも目立つやつだけど、あんな山猿みたいな顔を藤岡が好きになるとは思えない。
でも、美女と野獣って昔話があるくらいだ。万が一ってこともある。『藤岡と山猿』なんてベストセラーは笑えない。
おれはあせっていた。
冬の雨の日は、一年の中でも特にユウウツになる。
余計に寒く感じるし、朝から電気を点けなきゃ暗いし、登校してる間に制服濡れるし、曇った窓で外が見えない。
そして、こういう日に限って担任に呼び出されたりする。
放課後、なんかしたかなと思って職員室にいくと、話題は室谷のことだった。
「室谷が三年生に囲まれて苦しそうにしてるのをクラスのやつが見たっていうんだよ。真辺、最近よく話してるだろ。なんか知らないかと思ってさ」
おれたちのクラスには時々、室谷にばばあの幽霊を出してくれるよう先輩たちが頼みにやってきて、室谷がいやいやばばあの幽霊に苦しめられる演技をすると、ひとしきり笑って帰っていくことがあった。
だけど、それも少し前までのことで、十二月に入ってからは一度もない。
大人ってほんとにそういうところが遅れてる。母ちゃんと父ちゃんもそうだ。前にどっかのタレントが農業体験のロケにきてると聞いて、おれたちは自転車に乗って町中を探し回り、どうにかそのタレントが車に乗りこむ後ろ姿を見ることができた。ガムテープを三つも四つも持った、いかにも業界って感じの人も少し見えて、おれたちが盛り上がった三日後、「この前、池田さんちの畑にテレビ取材がきてたんだって」と母ちゃんたちが大騒ぎ。もうその頃には、おれたちはマンガの最新刊に夢中だった。
母ちゃんたちがラジオならだいぶポンコツだな。アンテナが短いか折れてるんだ。
おれは担任に心配はないと伝えた。
「室谷がモノマネ得意らしくて、先輩たちそれを見にきてたっぽいっす」
「モノマネ? ほんとかあ? 苦しそうにしてたって聞いたぞ」
「そういうやつなんで」
「そういうやつ?」
「えーと、こう、降ろす的な」
「おろす? おろすって、大根とかか?」
「えーと……はい」
「なんで室谷が学校で大根おろしてるんだよ」
そんなのこっちが知りたいと思いながら、「だから、モノマネですって」とおれは言った。
「大根おろしの?」
「はい」
「流行ってんのか?」
「……はい」
「流行ってる」は魔法の言葉だ。それを言うだけで大人は納得してくれる。おれも興味ないことでも「流行ってる」と言われたら、そういうものなのかと思ってちょっと気になって、覚えとかなきゃと思ってしまう。
先生との話し合いを終えて、職員室を出ようとすると横から藤岡に声をかけられた。
おれはとっさに返事をしようと思って、「お、おおう」とちょっとどもった。
やべ、キモくなちゃった。
変に思われてないか藤岡の表情を盗み見ると、特に気にしてないみたいだった。
一安心していっしょに職員室を出る。
「呼び出し?」
藤岡が言った。
「うん。でも、特になんもなかった。そっちは?」
「部活のことでちょっと」
藤岡は持っていた音楽の教科書を見せた。合唱部に入ってると前に聞いたことがある。
「今日、寒いねえ。この雨、雪になるかなあ」
「ああ、どうだろう。なるかなあ」
たぶん雪にはならない。ずっと雨のままだ。朝の天気予報で言っていた。でも、おれはそれを言わなかった。できるだけ藤岡と同じ気持ちでいたかった。
「そういえば、最近、室谷くんといい感じだね」
「え、室谷? ああ、そう?」
「クラスではあんまりって感じだけど、真辺くんたちといると楽しそう。いつもなんの話してんの?」
ぐるりと藤岡がこっちを向き、ばっちりと目が合った。
おれは一瞬パニックになりかけて、泳いでいく目玉を追いかけるように天井を見た。
「あー、えーと、ラジオの話とかかな」
「へえー、うちのお父さんも時々ラジオ聞いてるよ。競馬とか野球の中継とか」
「ああ、おれたちはそういうんじゃなくて、芸人とかアイドルがやってるやつ聞いてる」
「え、そんなのあるの?」
「結構あるよ。漫才もコントもやってるし、あと、ネタとかも送ってる」
「えー、すご~い」
「別にふつうだよ」とか言いながら、おれはとんでもなく浮かれていた。
「真辺くんおもしろいから、そういうの合ってるよね」
「そ、そう? 藤岡もすげー合唱って感じがする。似合ってる」
勢いでテキトーなこと言っちゃったけど、藤岡は「合唱の感じってなに」と笑ってくれた。
階段を上り終え、教室まではあとちょっとだった。
おれはちょっと歩く速度を落とそうとして、勇気が出ずにそのまま歩き続けた。
「もうすぐクリスマスだね」
そんな話の流れでもなかったのに藤岡が言った。
「真辺くんはなんかしたりするの?」
え、なんでそんなこと聞くんだ? いや、ふつうかもしれないけど、もしかして、これって……。
おれはごくりとつばを飲みこんだ。
「え、いや、なにもしないけど。そっちは?」
「わたし? わたしはみんなでイオンに映画見にいくんだ」
「みんな?」
いやな予感がした。
「リナとヤッチョンと……」
「え、ヤッチョン?」
聞き返すと、指を折って遊びにいくやつらの名前を上げていた藤岡の手が止まった。
「そう。ヤッチョンのお父さんが車出してくれるって言うから、みんなでいこうって話になったの」
それから藤岡は見にいく映画の内容について説明してくれたけど、まったく頭にはいってこなかった。
クリスマス当日、家族でチキンとケーキを食べたあと、おれはさっさと自分の部屋に閉じこもった。
考えないようにしてても、どうしても藤岡とヤッチョンのことが頭に浮かぶし、その日は『サラダボウル』の放送日だった。
〈まっしゅどぽてとがお送りしてます。まっしゅどぽてとのサラダボウル。えーと、ここで一応クリスマス的な話もしておきます?〉
〈なに一応って〉
〈だって、ほら、指示出てるから。「クリスマスの話して」って〉
〈自分たちはこんな狭いスタジオにおっさんだらけで集まってるのに?〉
〈ははは、ほんとだよ。さっき五十過ぎたおっさんが「有名店のケーキ買ってきちゃった」ってうれしそうにしてたよ〉
〈ホラーですね〉
〈そこまで言う?〉
〈だって、おっさんがケーキの前で包丁持ってにこにこしてんだよ。完全にホラーでしょ〉
〈B級ホラーね〉
〈年寄りのバトルロワイアル『五十六十よろこんで』〉
〈みんなやる気満々だな〉
〈二作目は『七十八十地獄まで』〉
〈もうみんな死んでんじゃねーか〉
ほんとだよ。藤岡とヤッチョンが付き合ったとして誰がよろこぶっていうんだ。B級どころかC級ホラーだ。
あーダメだダメだダメだ。全然ラジオに集中できない。藤岡たちはみんなで遊びにいっただけで、ふたりで会ってるわけじゃない。それに藤岡はヤッチョンと遊ぶことより、映画を見るのを楽しみにしてるみたいだった。うん、そうだった。そうにちがいにない。
でも、どうしてヤッチョンは藤岡を誘ったんだろう。
〈それではこのコーナーにいきましょう〉
〈とれたて「のでたら」作文!〉
ぐるぐると考えごとをしてたら、いつの間にか「のでたら」作文が始まった。
それでもうまくラジオの声が耳に入ってこない。
〈ラジオネーム・テンのテンの助さんです。寝坊をしたので、あきらめてもう一度寝たら、二度と起きなかった〉
〈ははは、悲しい。ただただ悲しい〉
……あれ、今、テンのテンの助って言ったか?
室谷のやつ、クリスマスにまで暗いネタ送りやがって。
ちょっと笑っちゃったじゃねーか。
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