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人生はふ~ふふふ~ん
短い冬休みが終わり、少し経った頃、とんでもないことを聞いた。
「さっき金本に聞いたんだけどさ」
ピンポン玉を拾ったり、卓球台をたたんだり、部活の片づけをしてると、高橋がこそこそと話しかけてきた。
「ヤッチョン、藤岡に言ったらしいぜ」
「なにをだよ」
おれが聞き返すと、高橋はサーブをスカしたみたいに顔をしかめた。
「だから、告ったんだよ」
「誰に?」
「ヤッチョンが藤岡に」
「……は?」
「ヤッチョン、冬休みにわざわざ藤岡の家にいったんだって」
「なんでそれをおまえが知ってんだよ」
「だから、金本に聞いたんだって」
「どうしておまえにだけ?」
「おれだけじゃない。吉井も室谷も知ってる」
水道で給水ボトルを洗ってる吉井を見ると目が合って、吉井はあわてて顔をそらした。
高橋に目をもどす。
「おれは聞いてない」
「昼休み、おまえがトイレいってる時に教えてもらったから」
「どうして」
「どうしてってそりゃあ……」
高橋が改めておれをじっと見る。口にしなくても「おまえ、藤岡のこと好きだろ」と言っていた。
まさか、みんな気づいてんかよ! 誰にも言ったことなかったのに……。
「金本には「ないしょにして」って言われたんだけど、やっぱ教えた方がいいと思って。あ、でもでも、藤岡は断ったって言ってたぞ」
「それがなんだよ!」
おれは恥ずかしさでぶっきらぼうに言い返した。
たぶん、おれがよろこぶと思った高橋は戸惑って言葉を探した。
「いや……それだけだけど」
その時は、みんなにおれの気持ちがバレてた恥ずかしさで、話がうまく飲みこめず、夜、寝る前になってようやく「ヤッチョンが藤岡にフラれた!」と驚いた。
ほっとしたと同時に、自分がひどく情けなくなった。ヤッチョンはちゃんと言ったのに、おれは好きって思うだけでなにもしてない。おれもなにかしてやりたいけど、藤岡に好きなやつがいたり、もう付き合ってるやつがいたりするかもしれないと考えると、そんな無駄なことして傷ついてどうするんだと思えてくる。
望みがないわけじゃない。よく話しかけてくれるし、話してる間はよく笑ってくれる。ヤッチョンだって望みがあったから告白したんだ。でも、ダメだった。
なんだか味のないガムをずっと噛み続けて、スーパーボールくらいに固くなってもまだ噛み続けてるような感じだ。今すぐ吐き出してしまいたいけど、それすらもったいなくてできなかった。
その週の休日、いつものメンバーで高橋んちの定食屋に集まった。昼の二時から五時までは一旦店を閉めるけど、その間も友達特権で店内に入り浸れる。
座敷で高橋の父ちゃんがおやつにと出してくれたジャンボからあげを見ながら、おれは決めた。
「おれ『ジャンから』十秒で食べれたら藤岡に言う」
「はあっ!?」
手伝いを終えてカウンターから出てきた高橋と、割り箸の上部を九対一の対比で割った吉井が声をそろえた。室谷は顔くらいあるジャンボからあげの大きさに見入っていた。
高橋が座敷に駆け寄ってくる。
「それって告るってこと?」
「ああ」
「急にどうしたんだよ」
吉井が割り箸をマイクにして向けてきた。
「急じゃない。ずっと考えてたんだ」
藤岡からヤッチョンと遊ぶと聞いた日から、ネタ作りがうまく進まなくなった。ヤッチョンが告白したと聞いてからは、なにをしててもそのことが気になってネタを考える余裕もなかった。
「もうちょっと考えた方がいいんじゃないか」
「そうだよ。せめてバレンタインまでは」
「それでもらえなかったら、それこそ終わりじゃねーか」
「でも、ダメだったらそのあと気まずくね?」
「終業式のあとなら春休み挟んでリセットされるけどな」
「なんでおれがフラれる前提なんだよ」
「別にそういうわけじゃ……」
「おい、室谷もなんか言ってやれよ」
おれたちは室谷を見た。
室谷はまじまじとジャンボからあげを見下ろして言った。
「十秒で食べるって、それ真辺くんのさじ加減だよね」
「うるせー! とにかく、おれは十秒で『ジャンから』食えたら告る! 室谷、カウントしろ!」
「えー」
「はやく!」
おれは姿勢を正して、ジャンボからあげをすぐに取れるよう両手を構えた。
いつきてもいいようにそのまま数秒待つ。
やがて室谷が口を開いた。
「よーい、スタート」
ジャンボからあげにかぶりつく。
一、二、三……。
十秒経ち、おれは空っぽになった口の中を三人に見せた。
「食っちゃったか」
「食っちゃったな」
なぜか残念そうにする高橋と吉井。こいつら、さっきから失礼だな。
「ぼくは応援するよ。がんばって」
室谷はよくも悪くも人の恋愛事情にあまり関心がない。だから、おれの告白が成功しようと失敗しようと、こいつの態度は変わらないだろう。そう思うと、少し気が楽になった。
告白しようと決めてからも、いつ告白しよう、どうやって告白しようと悩むことはいっぱいあった。このままじゃバレンタインになってしまう。頭の中をあせりと不安と照れくささが回る。
その日も藤岡を呼び出すタイミングをつかめないまま、放課後になった。今日もダメだったかと帰ろうとすると、ざわつく教室の中で金本の高い声が耳をついた。
「マユ、ごめん。わたし他の教室に用事あるから、先に音楽室いってて」
金本と別れ、藤岡がひとりで教室の前ドアから出ていく。教室の壁に姿が隠れて、下の小窓に廊下を歩く藤岡の足だけ見える。なんだかドキドキした。後ろのドアにまた全身が見えて、廊下の先へ消えていく。
はっとして、おれはここしかないと藤岡のあとを追いかけた。
階段を少し上った後ろ姿を呼び止める。藤岡が振り返ると、長い髪がさっと半円を描いた。
「真辺くん。寒くないの?」
暖房が効いた教室とちがって廊下は冷える。ちょっとの移動でもマフラーとコートを着ている藤岡に対して、飛び出してきたおれは教室に置いてきたままだったけど、緊張で寒さもほとんど感じなかった。
「どうしたの?」
なにもこたえないおれに、藤岡は不安そうに尋ねた。
おれは言った。
「ちょっと話があるんだけどいいかな」
「……ここじゃない方がいいやつ?」
「できれば」
藤岡は誰かに相談するように左右に目をやって、誰もいないとわかるとうなずいてくれた。
どこにいっていいかわからなかったから、普段あまり使われない廊下の端にある階段へいった。教職員用となってるけど、職員室からも離れてるから先生たちもほとんど使わない。
もうおれの言いたいことがわかってるように、藤岡はずっとうつむいていた。
しばらく無言で向き合い、四回つばを飲んだあと、おれは言った。
言葉が口から出るまま、こんなこと言うつもりじゃないのにと思いながらべらべらとしゃべり続け、「それで」を五回も六回も使った気がする。
ドキドキとうるさい心臓の音を止めたのは、たった一言だった。
「ごめん」
かすれた声と噛みしめられた唇が痛々しくて、悪いことしたなと思った。そういうつもりで言ったんじゃない。おれは最後の強がりで無理に笑ってみせた。
「いや、全然気にしないで。むしろ、ありがとう。部活あるんだったよね。ごめん、引き止めて」
藤岡は首を横に振って、すぐに立ち去ろうとはしなかった。
「はやくいって。おれのことは気にしなくていいから」
「……じゃあ、いくね」
「うん、がんばって」
藤岡がいってしまうと、急に体が冷えてきておれは長いことそこから動けなかった。
翌日からもおれはふつうに学校へいって、ふつうに授業を受けて、ふつうにラジオを聞いて寝た。
少しちがうといえば、ふとした瞬間に大きなため息が出たり、高橋たちとしゃべってても思いっきり笑えなかったりすることくらいだ。あと、小指一本分くらい体が軽くなったこと。きっと「くらい」って思ってた方がいい。
告白の結果は誰にも言ってない。でも、たぶんみんな気づいてる。
いっしょにいるとダイヤルを回す力加減とか、受信する周波数が似てきて、こういうのは言葉に出さなくても伝わるやつには伝わる。
気遣いなんて言葉を知らない高橋や吉井もおれに話かける時、気合を入れてちょっとだけ息を吸ったり、変にテンションが高かったり、下手な芝居を見せられて、余計にフラれた事実を突きつけられてるようだった。
そんなことしなくていいとも言えず、フラれた瞬間より時間が経ってからの方がつらいんだって身に染みた。
意外だったのは室谷までよそよそしくなったことだ。あいつはそういうの気にしないと思ってたのに、おれがフラれたって気づいたとたんに口数が少なくなり、極端に目を合わせなくなった。
放課後には、タナケンにまで「いっしょに帰ろう」と誘われた。こいつは帰りの会でも寝てるから、いつも帰りがけに起こしていくけど、実際のところいつ帰ってるのかは見たことがなかった。もしかしたら、学校で寝たまま一晩明かしてるんじゃないかと思ったこともあるほどだ。
そんなやつに帰りを誘われてみろ。死神と貧乏神のハーフに会ったような気分だ。
「いきなりどうしたんだよ」
思わずそう聞くと、
「よくわかんないけど高橋たちに頼まれて」
タナケンは素直に白状した。
「それ、高橋たちには言うなって言われてないか?」
「うーん、言ってたような気がするけど、あんま聞いてなかった」
タナケンはぼさぼさに伸びた髪をうっとうしそうにかいた。
外は寒いのに日は照っていて、空がまぶしかった。
下駄箱を抜け、だらだらと歩いていく。今のおれにはちょうどいい歩幅だった。
「おれってそんな落ちこんでるように見えるか?」
タナケンがじっくりとおれを見た。
「イケメンではないな」
「ほっとけ」
タナケンの肩を小突いてやる。
「顔には出さないようにしてるつもりだったんだけど、室谷までおれに気遣ってるみたいでさ。あいつは人がどうなろうと気にしないと思ってたのに。そんだけおれの負のオーラがひどいってことか?」
「うむ、そこまで言うなら見てしんぜよう」
タナケンは見えないあごひげをなで、手のひらをおれにかざして目を閉じた。
おれはちょっと緊張して、心なしか息をしずめた。
「見えました」
ゆっくりと目を開けるタナケン。
「あなたは女だ。ちがいますね」
「あ、はい。ってなんだよそれ」
ただのインチキじゃねーか。
「もう、おれは真面目に聞いてんの」
「おれだって真面目だよ」
「どこが」
「真辺が室谷に見てるものはちがうってこと」
「……あいつ女だったのか!」
おれが叫ぶと、間を置いてタナケンが笑った。
「なにそれ、めっちゃウケる」
結局、タナケンはなんのアドバイスもくれず、途中からは「眠いから負ぶって」とおれの背中にすがりついてきた。
その夜だった。
夕食中に電話があって、母ちゃんが出るとおれを呼んだ。
「新太、室谷さんって人からあんたに」
室谷からの電話は初めてだった。なにかあったのか。おれは少し不安になりながら電話に出た。
「もしもし」
〈真辺くん? ぼく、室谷だけど〉
「おう、どうしたんだよ」
〈その、今夜十時から聞いてほしいラジオがあるんだけど〉
室谷の声はひどく緊張していた。電話の向こうで受話器をぎゅっと握りしめる姿が想像できた。
〈もし用事があるなら全然いいんだ。あの、できればってことで〉
「いや、別に用事はないけど。聞けばいいのか?」
〈うん。聞いてもらえばそれでいい。ぼく、がんばるから〉
「は?」
〈それじゃあ、よしろく〉
よくわからないまま電話は切れた。なにかおもしろいラジオでも新しく見つけたんだろうか。
おれは夕飯を食べて、はやめに風呂に入ったあと、十時前にはラジオをつけて教えられた番組にダイヤルを合わせた。
それはベテランの歌手がやってるリスナーからのエピソードとリクエスト曲を紹介する番組だった。
リスナーには親と同じ世代の人が多いためか、リクエスト曲も歌ってる人は知らないけど聞いたことならある歌で、おれはサビにくるとつたない鼻歌をうたった。
リスナーからのエピソードは幸せなもの、不幸なもの、不幸だったけど今はそれなりにやってるもの、なんてことないものいろいろだった。
翌日、おれはラジオの感想を室谷に伝えた。
「初めて聞いたけどおもしろかったぜ」
電話までしてきた割に期待してたほどじゃなかったけど、昔のヒットソングを聞くのは悪くなかった。
それなのに、室谷の反応はいまいちで、まだおれのことを気遣ってるのか浮かない顔だった。わざわざ電話してきたのも、直接じゃ言いにくかったからか。おれのためとはいえ、いつまでもこんな状態はつまらなかった。
室谷に教えてもらったラジオは、平日なら毎日やってるらしい。
夕飯を食べたあと、見るともなくテレビを見ていたら、ふと時計に目に止まった。十時少し前。ちょっと考えたあと、おれは自分の部屋へいってラジオをつけた。
細かくダイヤルを回して周波数を合わせる。
〈みなさん、こんばんは。始まりました『ミュージックナイト』今夜も二時間の生放送でお送りします〉
夜にちょうどいい落ち着いた声色に、おれはベッドに寝転がった。
〈今日はさっそくメールを一通ご紹介します。これはきのういただいたメールなんですが、ちょっと放送内にご紹介することができず、今夜も聞いていてくだされば幸いです。えーラジオネーム・テンのテンの助さん十四歳の方からですね〉
テンのテンの助!
おれは勢いよくベッドから起き上がった。興奮にラジオを持ち上げると、少しノイズが混じった。
〈こんばんは。いつも母と楽しく聞かせてもらっています。ぼくの父は転勤が多く、これまでにもう五回も引っ越しをしています。学校で仲のいい人ができてもすぐに別れなければならないので、ぼくはいつしか友達なんて作らなくていいと思うようになりました。でも、新しい転校先ではクラスにラジオ好きの子がいて、ぼくもラジオが好きだと話すと段々と仲良くなっていきました。その友達は自信と勇気があって、いつもぼくを笑わせてくれます。ぼくが楽しく学校生活を送れてるのは彼のおかげです。先日、そんな彼にとても悲しいことが起きました。なんとかはげましてあげたいと思ったのですが、ぼくはなんと言っていいのかわかりません。大切な友達に一日でもはやく元気になってもらいたいと思い、この曲をリクエストします。
ということで、あのー未来ある若者を少しでも応援したいと思い、読ませていただきました。このお友達も今聞いていてくれたらうれしいです。では、テンのテンの助さんから大切なお友達へ送ります。竹内まりやさんで『元気を出して』〉
曲が終わると、おれは家を飛び出した。「こんな夜中にどこいくの!」と母ちゃんが叫んでたけど気にしない。自転車に乗り、ほとんど街灯のない真っ暗な道を駆け抜けていく。
室谷の家に着き、息が整うのも待たずにインターホンを押した。
玄関ドアの鍵が開き、出てきたのは室谷だった。
「真辺くん、どうしたの!」
パジャマ姿の室谷はいつにも増してちんみりしていた。
「どうしたのじゃねーよ。ラジオ聞いてただろ」
とたんに室谷はうつむいた。
そういうところが暗いって言われるんだ。でも、今回ばかりは顔を上げてもらわなきゃ困る。
「おれは女じゃねーぞ」
「え?」室谷のとぼけ顔がおれを見た。
「さっきの歌。あれ、女がフラれた女友達に向けて歌ったやつだろ」
「あー、うん。お母さんがよく聞いてて、いい歌だなあって思ったから。ごめん」
こいつは放っとくとすぐに謝るから、おれがちゃんと言わないと。
「いや、別に謝んなくていいけど……。その、ちょっとは元気出たから。ありがとう」
おれは冷えた鼻をかいて、照れくささをごまかした。
「ううん、ぼくはなにも。でも、よかった」
室谷と顔を合わせて笑うのはひさしぶりだった。
おれはずっと室谷のことを出会った時と同じまま、周りのことに興味がないやつだと決めつけていた。でも、室谷はもうおれたちのことをちゃんと考えてくれていた。おれはそれがうれしかった。
「あー、さみー。じゃあ、おれ帰るな」
恥ずかしさに耐え切れなくなったおれはわざらしく両腕をさすって寒いふりをして、急いで自転車を走らせた。
室谷が戸惑いながら見送ってくれる。
「気をつけてね」
「おう、また明日な」
ひとりになっても照れくささは消えず、むしろひとりなのに笑ってしまいそうになるのをどうにかしようと、立ちこぎになって自転車のスピードを上げた。
「人生は~ふ~ふふふ~ん」
耳に残った歌がご機嫌に口をつく。
あーもう、なんだこれ。とりあえず、明日からタナケンのことは「大先生」って呼ばないとな。
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