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完全犯罪の幕開け
〈まっしゅどぽてとのサラダボウル四月最初の放送ですけど、なんとこの番組、今年で五周年目ということで、拍手。ほんとにありがとうございます。ここまで続いてるのはリスナーのみなさんのおかげですね〉
〈ほんとありがたいです。コーシローさんもなんの事件も起こすことなく、こうやって出てくれてね〉
〈え、おれなんかやらかしそうだった?〉
〈いや、まあ……ねえ〉
〈愛想笑いやめて。不安になるから。それにどっちかといえば、あなたの方が心配ですから〉
〈なにが〉
〈ちょっとしたことですぐ怒るでしょ。今朝もコーヒーショップに寄った時にね、店員さんがカップにちょっとした絵を描いてくれるんですけど、それに対して「うさぎかくまかわからない」ってぶつぶつぶつぶつ言ってたでしょ〉
〈あれはちょっとしたことじゃないでしょ。うさぎにしては耳が短いし、くまにしては丸みが足りない。じゃあ、これは一体なに!〉
〈いや、なんでもいいでしょ〉
〈自分が飲むコーヒーカップに得体の知れない生物が落書きされて平気な人います?〉
〈得体の知れないって。ただのかわいいキャラクターだから。はははは。はい、あのー、ありがたいことにこのラジオも五周年目ということで、今年はいろいろと企画を用意しております。その第一段として、公開収録が決定しましたー〉
〈ドンドンパフパフ〉
〈口でやらなくていいんですよ。ちゃんとスタッフさんがやってくれてるんでね。えー、収録日は五月二十日の十四時から。会場は日比谷となります。観覧希望の方はメールか往復ハガキでご応募ください〉
二年生のクラスがそのまま持ち上がりになった三年三組の教室には、相変わらずのバカふたりがいる。
おれはそいつらに目もくれずに室谷の席へ直行した。
一限目の国語の教科書をつまらなそうに読んでいた室谷が顔を上げる。
「室谷、これ見ろ」
おれは一枚のハガキを出した。
「なに?」
「いいから見ろって」
室谷の鼻先にハガキを押し付けると、室谷はおれの腕を押し返してハガキを見た。
目当てのところを読んだのか、はっと息をのんだのがわかった。
「これって……!」
「ああ、公開収録の観覧が当たったんだよ!」
冷めきらない興奮に思わず手に力が入り、ハガキをしわくちゃにしてしまいそうだった。
そんなおれを室谷がぽかんと見つめる。無理もない。まさかこんな田舎の中学生が当たるなんて、驚きとうらやましさで頭がいっぱいになってることだろう。
でも、おれはそんなに心の狭い人間じゃない。
「安心しろ、室谷。二名で応募しといたから、特別におまえも連れてってやるよ」
「でも……」
「遠慮すんなって」
「そうじゃなくて」
「なんだよ」
「その日は、ぼくたち修学旅行の真っ最中だよ」
室谷が教室の後ろの壁を振り返る。
そこにはちょうど二週間後に迫った修学旅行先である「東京」の観光スポットや名所、歴史にまつわる写真と紹介文が貼り出されていた。
東京タワーに六本木ヒルズ、浅草、国会議事堂、渋谷のスクランブル交差点。
つい先日には「東京ディズニーランドは千葉県にあるから自由行動の範囲外とします」と言った担任に女子たちが集団で抗議していた。
これがのちの『夢の国は夢の乱』だ。
おれは高橋や吉井のようなバカじゃないから、当然、公開収録の日と修学旅行が被っていることを知っていた。
「ちょっとこい」
室谷の腕を引いて人気のない廊下のすみに連れ出す。
「いいか、公開収録の日は土曜。その日はちょうどグループ行動の日で、昼のチェックポイントさえクリアすれば、あとは旅館まで先生の目を気にする必要はない」
「でも、グループは女子もいっしょでしょ」
「女子には腹が痛くなったとかテキトーに言っとけばあっちも気にしねーだろ」
「そうかなあ」
「大丈夫だって。おまえ、公開収録いきたくないのか?」
「それはいきたいけど……」
あと一歩のところでぐずぐずと悩む室谷に、おれは最終奥義をくらわしてやった。
「おれがいつからこの計画を考えてたと思う」
室谷は少し考えたあと、なにか思い当たったのか目を見開いた。
「もしかして、グループ分けの時から?」
「ザッツライト!」
公開収録の知らせを聞いた瞬間、神様はなんて意地悪なんだと思った。よりにもよって修学旅行と同じ日程にぶつけてくるなんて。でも、よくよく考えてみたら、これはすごいチャンスだと気づいた。
もし公開収録がなんでもない日だったら、きっとおれは東京なんていけなかった。新幹線に乗る金だってないし、親の許しを得るのにも一苦労しただろう。それが修学旅行でなら全て解決する。ああ、神様ありがとう。
それからおれは観覧に当たることを信じて、グループ分けでは率先して室谷と組み、「なんか企んでじゃねーか」と怪しむ高橋、吉井、タナケン大先生を強引に組ませた。
同じグループになった女子にも好きなように行き先を決めてもらった。そうすれば途中で抜けても文句は言われないはずだ。
「全ては私の計画通りなんだよ、室谷くん」
おれが完全犯罪を成し遂げたような気持ちで透明なメガネをくいっと持ち上げると、室谷は軽く笑った。
「そうだね。ぼくもいきたい」
「よし、決まりだ。絶対誰にもバラすなよ」
室谷は鼻の穴を広げてうなずいた。
修学旅行当日、まずタナケン大先生が寝坊して、電車に乗ってから高橋が二日目のパンツを忘れてきたことに気づき、飲み物を買おうとした吉井が百円を自販機の下に落としながら、なんとかおれたちは東京行きの新幹線に乗りこむことができた。
初めての新幹線にはしゃぐクラスメイト。みんな私服だから、余計にうるさく見える。
電車とちがって全然揺れなかったり、つり革がなかったりする光景におれもちょっとだけ興奮した。
隣の席で静かにしてる室谷はさすがに慣れた様子だ。
「室谷って新幹線乗ったことあんの?」
「二、三回くらい」
「じゃあ、飛行機は?」
「あるけど」
「すげーな」
おれたちの話を聞いて、前の席の高橋が背もたれから顔を出してきた。
「なあ、飛行機ってほんとは飛んでないんだろ」
高橋の隣から吉井も顔を出す。
「なんだよそれ。飛ばないでどうやって移動すんだよ」
「飛んでだよ」
「おまえ今、飛んでないって言ったじゃねーか」
「だから、飛んでるんだけどほんとは飛んでないんだよ」
「瞬間移動ってことか!」
こいつらは新幹線に乗ってもバカだな。それは理論上では飛ばないって考えられてるけど、現実では飛んじゃってるって話だろ。前にテレビでそんなようなことを言っていた。
どんな理論だったかは全然覚えてないけど、まあ、天才がどんなに難しいこと考えたとしても、実際にやったやつの方がすげーってことだ。
東京に着き、初日はクラス別で国会議事堂、皇居、東京タワーを回った。
おれはどこへいくにも「日比谷」を探した。東京タワーの展望台からも明日の会場が見えないか双眼鏡をのぞいた。建ち並ぶビルの合間から思い出したように木が生えている。
「おい、室谷。さっきのもう一回見せてくれ」
双眼鏡から顔を上げ、横で待っている室谷からスマホを借りる。画面には明日の会場を真上から撮った衛星画像。おれはその画像と双眼鏡から見える景色を何度も見比べた。
「さすがにここからじゃ見つけられないと思うよ」
「なんだよ。東京知ってますアピールか?」
「そういうつもりじゃ……。東京にいたって言っても小学生の二年間だけだから。あんまり思い出もないし」
おれは双眼鏡から顔を上げ、口を曲げた室谷を見下ろした。
「どこもいかなかったのか?」
「いったとは思うけど記憶に残ってないんだよ」
「まあ、おまえは都会人って感じしないもんな」
そう言うと、室谷はもっと口を曲げた。
と、向こうから高橋が駆けこんできた。
「なあなあ、聞いたか。ヤッチョンが芸能人と写真撮ってもらったんだって!」
指さした方を見ると、ヤッチョンの周りに人だかりができていた。みんな芸能人くらいで騒いじゃって。
「なんだよ、そんなことならおれたちだって明日……」
「ああああ!」
いきなり室谷が叫んだ。
おれと高橋は目を丸めて体を引いた。
「なんだよ!」
「びっくりするだろーが!」
室谷は鳥のように首をピンと伸ばした。
「ご、ごめん。ぼくも芸能人見たいなと思って」
「……おお。なら、いこうぜ」
高橋に誘われていく室谷がちらりとこっちを振り返り、いーっと歯を見せた前に人差し指を立てた。それでおれは危うく秘密の計画を高橋にバラしてしまうところだったと気づいた。「悪い、悪い」と口パクして室谷のあとについていく。
クラスメイトの輪の中に入ると、「真辺、見てみろよ」と自分の手柄のように吉井がデジカメを回してきた。小さい画面には、ピースをしたヤッチョンと帽子を目深に被りマスクをした、ほとんど顔の見えない芸能人らしき人が写っている。
「この人知ってるか?」
肩の後ろからぬっと吉井が顔を出す。おまえ誰かも知らずに「見てみろよ」なんて言ってたのか?
「いや、わかんねー。室谷は?」
「うーん、ぼくも見たことないかな」
はたしてこの人はほんとに芸能人なんだろうか。でも、帽子を目深に被ってマスクしてるところが、いかにも芸能人っぽい。もう芸能人っぽい人ってことでいいじゃないだろうか。
「ねえ、わたしたちにも見せてよ」
横から声をかけられて、なにも考えずにデジカメを渡そうと顔を上げると、藤岡がすぐ隣にいた。
一瞬、止まりかけた手をなんとか動かし続けた。
藤岡はさらりとデジカメを受け取り、金本と画像を見て、キャーキャー言っていた。
あれからもう数ヶ月経ってるし、教室でもふつうに何回か話した。おれだって引きずってるつもりはないけど、なにもなかったようにされるのはそれなりにさみしい。
きっと室谷にとっても藤岡にとってもおれって中継点なんだよな。みんなは去っていき、おれは見送るだけ。中学三年生にして悟っちまったぜ。
「マジで誰これ。知らないんだけどー。ヤッチョン、一般人と写真撮ってんじゃん」
遠慮を知らない金本。その隣で笑う藤岡のカバンからわずかに飛び出した花柄の財布を、おれは気づかれないようにそっと中に押し入れた。
旅館の場所は日比谷から遠くも近くもなかった。
グループ行動の明日は午前中に秋葉原にいって、近くにいる先生のチェックを受け、午後は上野動物園にいく予定だ。おれと室谷はチェックのあとに腹痛を装ってグループの女子と別れ、日比谷へ向かう。
聞いたところ、高橋たちのグループはお台場にいくと言ってたから、あいつらの動きを心配することもないだろう。
それでもおれは明日のことが不安で、楽しみで、眠ろうとすればするほど頭がさえてくる気がした。
眠れないまま就寝時間から二時間が経ち、どうにもじっとしていられず、布団から起き上がる。
五人部屋の和室には四人分の布団。あとひとり押し入れの中で寝てるのはタナケン大先生だ。
土間へ通じるふすまの隙間からは淡いオレンジの灯りがもれている。
ひっそりとした空間に数人の寝息が入り交じり、誰かがあさっての方向に飛んでくようなおならをした。
隣でのそりとなにかが動く。
「真辺くん、起きてる?」
室谷がささやいた。
段々と暗闇に目が慣れてくると、室谷のとぼけた顔が薄く浮かんだ。
「なんか眠れなくって」
「ぼくも。だから、ラジオ聞いてた」
室谷は布団の中に隠したスマホを光らせてみせた。
「ちんこ光ってんぞ」
「スマホだよ!」
「わかってるよ。そんな怒んな。真面目か」
暗い中でも室谷がすねて口をとがらせてるのがわかる。
「真辺くんも聞く?」
「うん。あ、外いこうぜ」
おれたちは布団を抜け出し、他のみんなを起こさないように部屋の外へ出た。
オレンジ色の淡い光も暗闇に慣れた目にはまぶしかった。
並んで土間に座る。
「なに聞いてたんだ?」
「眠れるようにNHK。今、天気予報やってるよ」
スマホにつなげたイヤホンの片方を貸してもらい、それを右耳に入れた。
〈続いて東京です。午前中は広く晴れますが、とちくるって〉
「とちくるって!? おい、今「とちくるって」って言わなかったか! 「とちくるう」ってどんな天気だよ!」
「「のち曇って」って言ったんだよ」
あきれ顔の室谷。
「……ああ、「のち曇って」か」
どうやら移動の疲れと明日への緊張でもうほとんど頭が動いてないらしい。本気で天変地異が起きるんじゃないかとあせってしまった。
黙って天気予報を聞いてると、いきなり室谷が笑い出した。どうしたんだと聞くと、今さら「だって「とちくるって」って」と遅れてツボに入ったらしい。それでおれもなんだかおかしくなってふたりして笑った。
ちょっと声が大きすぎたせいか、部屋の中から物音がした。おれたちはあわてて口を閉じた。
天井から配管を水が流れる音が響く。
おれは声を潜めて言った。
「昼間のやつさ、ヤッチョンの写真。あれぜってー芸能人じゃねーよな」
「うん。ぼくもそう思う」
「おれたちは明日、本物に会うんだよな」
「うん」
「でも、誰にも言っちゃダメだからな」
「うん」
「バラした方は罰ゲームにするか?」
「罰ゲーム? なにするの?」
「うーん。あ、ラジオネーム変えるってのはどうだ?」
「ラジオネーム……いいよ」
「室谷のくせに強気だな」
「今日の見てたらぼくより真辺くんの方が危なさそうだから」
そういえば、東京タワーでつい言いそうになったんだった。
ちょっと勝ち誇った顔の室谷に、おれは悔しくなってひじで体を小突いてやった。
室谷がやり返してくる。おれもやり返す。しばらくにやにやしながらひじで小競り合いをして、態勢をくずした室谷が後ろに手をつくと、ダンッと大きく鳴った。
はっとして、ぴたりと動きを止める。
数秒待って、誰も起きてこないのを確認すると、おれは笑いをこらえながら「バカ」と室谷の頭を叩いた。室谷も必死に笑いを押し殺す。
笑いの波が収まると、おれは話の続きにもどった。
「室谷は『テンのテンの助』だから、テンすけテン、すけすけすけべ……『スケベの天才』バラしたら室谷は『スケベの天才』に改名な」
「無理、無理、無理。絶対やだ」
「バラしたらだって」
「ぼく言わないよ」
「おれのはおまえが考えていいぞ。『信夫の孫』の改名案」
「えーと、なにがいいかなあ。うーん……信夫って真辺くんのおじいちゃん?」
考えるのが面倒になったのか、室谷は話の方向を変えた。
「そう。おれが今使ってるラジオ、じいちゃんにもらったやつなんだ」
「へえ。いっしょに聞いたりするの?」
「小さい頃はな。少し前に死んじゃったから」
「そっか……」
気まずそうに室谷が口を閉じた。ぼんやりしてたラジオの声が右耳にはっきりとしてくる。聞き覚えのある童謡が流れていた。
「人の感覚の中で最後まで残るのって、聴覚なんだって。じいちゃんが死ぬ時、看護師さんが言ってたんだ。まだ聞こえてるかもしれないから、呼びかけてやれって」
ふとした時に、ラジオからじいちゃんが好きだった演歌や童謡が聞こえてくることがある。そうすると、どこにしまってあったのか、じいちゃんとの思い出がぶわっとあふれてくる。
たぶん耳の中にもアンテナやダイヤルがあって、そのアンテナが演歌や童謡の波を拾うと、「じいちゃん」っていう周波数にダイヤルが合わせられるからだと思う。
顔を固くしたままの室谷に、おれは笑いかけた。
「すげーよな。もしさ、こっちが話してる途中で死んじゃったら、一生続きが気になったままってことだろ。高橋と吉井が全身タイツで……うっ」
かくんと首を垂れ、死んだ演出をすると、室谷はふふっと笑った。
「そんなんで死ねるか? おれなら続きが気になってなんとしても生き返る」
「真辺くんならできそうだよね」
「じゃあさ、おれが死にそうな時は室谷が近くでおもしろい話してくれよ」
「えー、それプレッシャーがすごいなあ。だって、おもしろくなかったら生き返らないんでしょ」
「当たり前だろ。おれの命はそんな安くねーぞ」
「だったら、ちゃんとした医者に頼んだ方がいいと思うけど」
「あーはい、死んだー。室谷がつまんねーこと言うからおれ死にましたー」
おれたちのはしゃぐ声に、右耳に流れる童謡が遠のく。でも、ちゃんと耳には残ってて、いつかどこかで同じ歌が流れたら、おれはきっとこの夜のことを思い出すんだ。
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