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波になった日
修学旅行二日目。午前中は秋葉原へいき、おもちゃやゲームを見て回った。メイド喫茶に入るかどうかグループ内で意見が分かれたけど、女子がひとり不機嫌になっていかないことになった。
先生がいるチャックポイントを無事に通過し、あとはお昼を食べるだけだったが、店はどこも混んでいて、学校からも「できるだけ空いてるところに入ること」と言われてたから探すのに苦労した。ようやく見つけた時には時計が十三時を回ろうとしていた。
公開収録は十四時からだ。時間を過ぎたら、会場には入れなくなる。
地元では見たことのないハンバーガーショップで急いで注文し、おれと室谷はハンバーガーとポテトを胃の中につめこんだ。
「おせーぞ、室谷。もっとはやく食え」
「食べてるってば。これ以上はほんとにお腹痛くなる」
「何分の電車乗るんだっけ?」
「ニ十分後。……食べきれそうにないから、ぼくがトイレにいくよ」
そろりと室谷が席を立つ。
隣のテーブルでは女子たちが旅行雑誌を広げ、上野動物園でなんの動物を見るか話し合っていた。
こっちの計画はバレてないみたいだ。これなら途中で抜けても大丈夫だろう。
なんとか全て食べ終わり、おれもトイレへと立ち上がる。パソコンを広げるサラリーマン、眠りこけた大学生、テーブルの下に落ちている花柄の財布を拾う店員。なんとなく周りの視線も気になって、ドキドキしながら歩いた。
男子トイレに入り、室谷と合流する。
「大丈夫そうか?」
おれは用を足しながら、手を洗う室谷に声をかけた。
「ここから駅まで十分。日比谷駅からも会場までは少しかかるけど、今の時間なら間に合うよ」
「走るか」
「食べたもの全部出ちゃいそう」
「そしたらまた食えばいい」
「うう、想像したら気持ち悪くなった」
「吐くなよ」
トイレから出ると、おれたちはひとつうなずき合って、おれは室谷の片腕を首に回した。室谷がぐったりとうなだれ、そのまま女子のいるテーブルまで向かう。
「悪い。なんか室谷のやつ気持ち悪くなったみたいでさ」
声をかけると、女子三人はぴたりと話をやめ、室谷を見た。
「えー、大丈夫?」
「わたし風邪薬なら持ってるよ」
「いや、なんか腹が痛いって」
「真辺くんといっしょになって早食いするから」
「すぐに治らない感じ?」
「そんな感じ。だよな?」
おれは室谷の腰に回した手で肉をつねった。
痛みに室谷がうなり、女子たちがかわいそうなものを見る目に変わった。
「ひとりで歩くのもつらいって言ってるから、おれ旅館に連れてくよ。みんなは気にしないで動物園いってきて」
「え、いいの? なんかごめんね」
「あ、リュック、リュック。持てる?」
「ふたりとも気をつけてね」
女子のやさしさにちょっとだけ罪悪感を覚えつつ、おれたちは店を出た。
二、三歩いったところで後ろを振り返り、女子がついてきてないのを確認する。
「よし、ここでいいか」
おれは肩から室谷の腕を下ろし、手に持った室谷のリュックを投げ渡した。
「もう、つねんなくったっていいのに」
つねられた腰の辺りをさする室谷。
「リンジョーカンだよ。それより、動物園いけるってわかった時の女子の顔見たか。室谷よりパンダが大事だってよ」
「わかってるよ、そんなこと。はやくいこう」
すねる室谷を先頭におれたちは駆け足で駅へ急いだ。
十分くらいして、緑色の改札が見えてくる。ここを越えて電車に乗ったら、もうこっちのもんだ。リュックの中の当選ハガキも小躍りしてるぞ。
「あれ、真辺と室谷じゃん」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは金本だった。
おれと室谷は目を合わせ、「できるだけはやく巻くぞ」とテレパシーを交わした。
「おお、偶然。あれ、金本のグループってどこいくんだっけ?」
「品川の水族館。でも、ちょっと落とし物しちゃって」
「落とし物?」
と、そこでまた後ろから声をかけられた。藤岡だった。なんだか疲れた顔をしてる。
金本が言った。
「マユが財布落としちゃったみたいでさー。花柄のやつ。見てない?」
「いや、見なかったと思うけど」
「ぼくも見てないかな」
「だよねー」
金本は困ったように足元を見下ろした。
振り返ると、藤岡もしゅんとして、肩にかけたカバンのひもを握っていた。
「他のやつらはどうしたんだよ」
「先生に言いにいってくれてる」
だったら、おれができることはない。でも、なにかないかとおれはさらに聞いた。
「午前中に回ったところは?」
「わたしたちはやめにお昼食べたんだけど、その時にはまだあったんだ。だよね、マユ」
「うん……。お昼食べたあとコンビニ寄って、電車乗ろうとしたらなかったから、落としたとしたら、たぶんコンビニからここまで……」
そんな短い距離ならすぐに見つかりそうなものなのに。
「真辺くん」
室谷がひかえめな声でスマホの時計を見せてきた。
そうだ、電車に乗らないと公開収録に間に合わなくなる。だけど……。
「ごめん」藤岡が言った。「ふたりもどっかいく途中だよね。もうすぐ先生もくると思うから。ありがとう」
おれは首を横に振って、藤岡たちと別れた。
改札を抜け、ホームで電車を待っていても、さっきまでのわくわく感はなかった。
「真辺くん、電車きたよ」
いつの間にか電車がきていて、ドアの前に立っていたおれは脇にどいた。
入り口が開き、ぱらぱらと乗客が降りる。みんな降りたのを確認して、今度はおれたちだと電車のステップに足をかけた瞬間、頭の中にハンバーガーショップの光景がよみがえった。テーブルの下から財布を拾う店員。ちゃんとは見えなかったけど、花柄の財布だった気がする。もしかして、藤岡たちもあのハンバーガーショップにいたのか?
そう思うと、おれは我慢できなかった。
「悪い、室谷。ちょっと先いっててくれ」
「えっ!? 真辺くんは!」
「あとからいく」
おれはリュックの中から当選ハガキを取り出し、室谷に押し付けた。
「絶対追いつくから」
電車のドアが閉まる直前に飛び出し、改札へ引き返していく。近くではまだ藤岡たちが財布を探していた。
「藤岡!」
おれはかっこよく通り抜けようと改札に切符を入れたけど、エラーになって閉まったドアに下腹を強く打ち付けた。
「ぐえっ!」
ちょーかっこわりー。
下腹を押さえながら駅員に事情を説明して改札を出ると、藤岡と金本が「こいつなにしにきたんだ」っていう目でおれを見た。
でもそれは口にせず、藤岡は「真辺くん、大丈夫?」と心配してくれた。
「平気、平気。それよりお昼って向こうのハンバーガー食べた?」
「え、そうだけど、どうして……」
「おれもいったから。ちょっとついてきて」
おれは恥ずかしさをごまかすように早口で言って、返事も待たずにハンバーガーショップへ走った。戸惑いながら藤岡たちもついてくる。
ハンバーガーショップにもどったおれは、レジの店員に花柄の財布が届いてないか聞いた。
「こちらですか?」
花柄の財布が出てくると、
「これです!」
聞いたことのない大きな声で藤岡が言った。
「真辺、よくわかったね。知ってたの?」
とんでもない罪をなすりつけようとしてくる金本に、おれは全力で首を横に振った。
「まさか。たまたまだよ。じゃ、じゃあ、おれいくから」
「真辺くん!」
走っていこうとするおれを藤岡が呼んだ。
「ありがとう」
ほっとした笑顔がまぶしい。
おれは飛び上がりたい気持ちをおさえて、「おう」とその場を離れた。
受付終了まであと二分。
「室谷!」
収録会場の入り口の前に立つ小さな人影に叫んだ。
「真辺くん!」
よほど心細かったのか、顔を上げた室谷は半分泣きべそをかいていた。
おれは汗だくになりながら駆けていく。
「よかったあ。もう間に合わないかと思ったよ」
「絶対追いつくって言ったろ」
「うん!」
室谷の不安を一心に受け止め続けた当選ハガキは、いくつもの試練をくぐり抜けた勇者のようにしわしわになっていた。
受付のスタッフにハガキを見せて、会場の中に入ると、すぐに後ろのドアが閉められた。
案内されたイスに座る。体育館の半分ほどの空間に、おれたちをふくめて百人のリスナーが、まっしゅどぽてとの登場を待ちわびていた。
スタッフから説明と注意を聞き、スタジオ内が静けさに包まれる。
「くるぞ」
おれは言った。
奥のドアが開き、ついにまっしゅどぽてとが出てきた。
「みなさんどうもー」
「よろしくお願いしまーす」
スタジオの前に用意されたちょっとした舞台にふたりが座る。それだけのことに肌が震えるほど興奮して、おれは室谷の肩をゆらしまくった。
「すげー! 見てるか、室谷! 本物だ! 本物のまっしゅどぽてとがいるぞ!」
「うん、うん! 見てるよ! 本物のまっしゅどぽてとだ!」
盛大な拍手がやみ、まっしゅどぽてとのコーシローがマイクを取る。
「今日はお集りいただいて本当にありがとうございます。ぼくたちも初めての公開収録なんでちょっと緊張してるんですが、よろしくお願いします」
「いろんな年齢の方がきてくれてますけどねえ」
イスを立ったカズマが観客を見渡す。
おれは「こっちに気づけ!」と念をこめてカズマを見つめたけど、まっしゅどぽてとのグッズに身を包んだツワモノがいて、話題はその人に集中した。
「東京以外からきた人」という質問にも、おれは中腰で「立たない」という注意をギリギリ守りつつ高く手を上げた。
選ばれたのは、きのうまでインドに出張でいっていて、今朝、日本に帰ってきて空港からここまで直接きたという人で、会場がざわついた。どんな分野にも上には上がいるようだ。
まっしゅどぽてとのフリートークに移ると、おれたちはいつものラジオの感じで楽しんだ。
笑い声が波になって響いた。周りの笑い声に押されるようにおれの笑い声も大きくなり、それがさらに周りの笑い声を押し上げる。自分がそんな波のひとつだと思うと不思議だったけど、見えないだけでラジオの前にいる人たちはいつもみんな昔話やリクエスト曲で誰かの背中を押したり、押されたりしてひとつの波になってるんじゃないだろうか。
「今日もこのコーナーやっちゃいますよ」
「とれたて「のでたら」作文!」
きた! おれと室谷は顔を見合わせた。
今日のために、おれたちはふたりで合作のネタを考え、送っていた。室谷とのネタ作りは楽しくて、こいつとコンビを組んだら売れる芸人になれるかもしれないと思った。室谷にその気はないみたいだけど、おれは室谷の中に埋まってる「おもしろい」を悔しいくらいに感じていた。
「公開収録ですからね。読まれた人が会場の中にいるかもしれないんで、その時はぜひ最大限のドヤ顔で教えてください」
「気に入らない場合は無視するんで」
「いや、ちゃんと当ててください。お願いしますよ。はい、じゃあいきましょう」
「ラジオネーム・ワンナイトカニ食べるさんです。前世がこけしなので、美容院にいったら、毎回おかっぱに切られる」
「現役じゃん! もうそれは現役のこけしだよ」
「現役のこけしってなんだよ」
それから次々とネタが読まれていった。
おれは固く手を組んで自分のネタが選ばれるのを祈った。
「それじゃあ、最後ですかね。あれ、まだドヤ顔した人いないですよね。ね。気づかれなかったけど、ドヤ顔してましたって人います?」
「出ておいで~。こわくないよ~。ちょ~っとチクッとするだけだから」
「いや、それ絶対痛いやつ! 人生で初めて大人にうそつかれる瞬間!」
「予防接種とかね。あれ、うそだってわかったあとも「痛くなかったね~」って無理やりなかったことにされない? はいがんばりました。えらい、えらい。痛くなかったね~。痛てーわ!」
笑いで会場が揺れた。
その波はなかなか引かず、おれも室谷も腹が痛くなるほど笑った。
「まだ会場のお客さんからは出てないってことで、これはラスト期待高まるんじゃないですか。じゃあ、いきましょう」
「ラジオネーム・孫の助さんです。占い師を好きになったので、告白しようとしたら、水晶を見ながら「無理です」と断られた」
「ひどいっ。ははははは。そうか、占い師だから未来が見えてね。でもそこは言わせてほしいよねえ」
「本当の未来は誰にも見えないものだぜ」
「おー! いや「おー」じゃないのよ。やかましいよ」
「あ、あれ、そう?」
「え、孫の助さん?」
おれは隠しきれない笑顔で自分を指さし、何度もうなずいた。
「すごい。おめでとうございます」
周りの拍手と自分の心臓の音が重なって、一瞬なにが聞こえてるのかわからなくなった。
「学生さんだよね。高校生?」
コーシローに聞かれ、おれは緊張にあわあわと口を開いた。
「ちゅちゅ、中三、あ、中学三年生です」
「ちゅちゅ中三ね」
うわ、カズマにいじられた! こんな幸せなことってあるのか! おれどうなっちゃうんだよ!
「なに、ひとりできたの?」
「いや」と隣でうつむいて他人のふりをしていた室谷の腕を引っ張って、顔を上げさせる。
「友達といっしょです」
「ちょっと真辺くん!」
小声で文句を言いながら室谷が腕を振り解こうとするから、おれはぐっと手に力を入れた。
「ネタもふたりで考えました」
「あ、そうなんだ。もしかして体験談?」
にやりとするコーシローに、おれは恥ずかしさを思い出した。
「ちょっとだけ。それを友達がおもしろいように変えてくれて」
「へえー、じゃあほんとに合作だ。今日はなに? 学校帰り?」
「あれ、でも、さっき東京以外からきたって質問で手上げてたよね。こっちの学校通ってるの?」
さっきは視界のすみにも入ってないと思ったけど、カズマはちゃんと見てくれてたんだ!
おれはもう最高に気持ちが高ぶって、後先考えず修学旅行だと打ち明けてしまいそうになった時、
「開校記念日で休みだったんです!」
おれをさえぎって室谷が言った。室谷の声が大きすぎたからか、会場がしーんと変に静かになったのを、
「そっちがこたえるんだ」
コーシローがなごませてくれた。
「じゃあ、貴重な休みを使ってきてくれたんだね。ありがと、ありがと」
話題が他へ移ると、隣から強い視線を感じた。室谷だ。「なんてことしてくれたんだ」という目でおれをにらんでいる。こんな時くらいなにも気にせずに楽しめばいいのに。おれなんてまだ夢心地だ。それをじゃましてくるなんて。おれは現実的な室谷を「なんだこのヤロー」とにらみ返してやった。
そんなことしてるうち、もう一度『孫の助』と呼ばれた。
びっくりして顔を上げると、「やったね」とコーシローが笑いかけてきた。
なにが起きたのかわからず、しばらくぼーっとしてると、
「選ばれたんだよ。「今週のとれたて」に孫の助さんが」
「え、え、マジで!」
おれはなぜか隣の室谷を見た。
「そ、そうみたい」
室谷も混乱しながら、なんとかうなずいた。
「あとでお家にステッカー送るんで、楽しみにしててください」
「どうする? 最後になんか言っとく?」
ふたりのパスを受け、おれは口に出るまま言った。
「おれ将来、芸人になります! あと、室谷めっちゃおもしろいです!」
「ははは、名前言っちゃったよ」
あ、やべ。
ゆっくり横を見ると、やっぱり室谷はおれをにらんでいた。
公開収録が終わると、おれたちは急いで旅館へ向かった。同じグループの女子がもどる前に旅館にいないと室谷の体調不良が仮病だってバレてしまう。
どうにか女子が帰ってくる前に旅館に着き、入り口前で合流した。いろいろ言いわけは考えたけど、そんなのいらないくらいあっちはあっちでパンダ熱を引きずって、室谷の体調がもどったという設定はどうでもよさそうだった。
前日に寝付けなかったせいか、夜遅くまでトランプで盛り上がる高橋たちを残して、おれと室谷は早々に布団へ入った。
修学旅行最終日は、みんなで浅草にいって、お昼過ぎに新幹線に乗った。
車内ではほとんどの生徒が疲れて眠っていた。おれと室谷はきのうの夜にたっぷり寝たせいかあまり眠くならず、スマホにさしたイヤホンを片方ずつ使ってラジオを聞いた。
車窓から見える景色からはだんだんとビルが消え、大きな工場や田畑が目立ち始めた。遠くには山が連なって見える。おれはその山並みをうにょうにょと指でなぞってみた。昔、家から見える山並みをじいちゃんは「電波」だと言った。それから「人生でもある」と。
きのうのことを思い出す。ずっとあのスタジオの中にいれたらどれだけ幸せだろう。いつかおれも笑わしてもらう方じゃなく、笑わす方としてあそこに立ちたい。そして、波のような笑いを浴びるんだ。
室谷にも少しはそんな思いが芽生えてくれてたらうれしいけど、公開収録の時のあの感じじゃまだまだだろうな。
「室谷って高校どうするんだ?」
「え、なんで?」
修学旅行が終われば、教師たちは受験モードに入る。それに遅れて二、三ヶ月、やっとおれたちも受験モードになる。
なんとなく聞いてみたけど、室谷の顔はどこか引きつっていた。
「室谷、もしかして高校いかないのか!」
「いや、いくよ。……みんなはどうするのかな」
「地元から通えるのなんてふたつくらいしかないんだから、だいたい南高で、ちょっと頭いいやつか遠くにいきたいやつは北高にいくんじゃないか」
「真辺くんは?」
「南に決まってんだろ。高橋も吉井もきっと南だよ」
「じゃあ、ぼくもそこにいこうかな」
「そうしろ、そうしろ。そんでまた修学旅行にラジオ収録見にいこうぜ」
「それはちょっと」
と言う室谷の声と、ラジオの中の声が重なって、おれたちは狭い座席の中で笑い転げた。
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