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未来の芸人
一週間後、公開収録で録音された回の『サラダボウル』が放送された。
おれとまっしゅどぽてとの会話は半分以上カットされ、「室谷」の名前が全国に流れることはなかった。
もちろん家族やクラスメイトには、『サラダボウル』におれの声が出てることは言えないから、こそこそ室谷とふたりで何度も再生して楽しんだ。
今まではおもしろいことがあれば、周りにはやく教えたくてしょうがなかったけど、自分の内にだけ密かにしまっておくのも悪くない気がした。
卵の黄身がどうやってひよこの形になるのか。おれたちふたりだけが知ってるような優越感。最新のゲーム持ってるとか、女子にモテモテとかうらやましいことがあっても、こいつらはちっとも気づいてないけど、おれはコロンブスも知らない卵の中身を知ってるんだと思うと、ぐずる気持ちも少しやわらいだ。
それからまた一週間後、室谷から『孫の助』が取った「とれたて」ステッカーが届いたと家に招かれた。ネタは室谷のスマホから送ったから、住所も室谷の家にしておいた。
前にきた時と同じで物が少ない部屋に通されると、室谷はさっそく封筒を渡してきた。
手にはとても軽いのに、心にずしりと重いその封筒はまだ未開封だった。
「開けてないのか?」
おれは室谷を見た。
「ぼくだけのものじゃないから」
そう言われたら、むちゃくちゃに破くことなんてできなくて、おれは丁寧に封筒を開けた。人生でこんなに丁寧になにかを開けたのは初めてだ。
まず紙が一枚見えて、広げて見ると、『サラダボウル』のスタッフからお礼とこれからもよろしく的なことが書いてあった。
次にステッカーを取り出した。ずっとあこがれていたカラフルな色合いがおれの目を焼いた。
「すっげぇー……」
思わず笑みがこぼれた。
「それ真辺くんがもらってよ」
室谷が言った。
おれはすぐにでも自分の物にしてしまいたい欲をぐっとこらえて、「いいのか?」と聞き返した。
「真辺くんが誘ってくれなかったら公開収録もいけなかったし、ふたりでネタを作ることもなかった。それに、ぼく楽しかったし、おもしろかった。ほんとに真辺くんのおかげだと思ってる。真辺くんのおかげでぼくはおもしろい……」
「わかった、わかった。もういい」
放っておいたら永遠に続きそうで、おれは強引に室谷を止めた。室谷も止まり方を探していたようで、大きく息を吐いた。
「じゃあ、もらうけどよー、室谷サインしてくれよ」
おれは机にあったペン立てからマジックペンを手に取り、室谷に渡した。
「サイン? ぼくの?」
「そう。もし大人になって芸能人とかになったらプレミアがつくように」
ニヤリと笑ってみせる。
「えーぼくが芸能人なんてありえないよ」
「わかんねーだろ。いいから書けよ」
おれはペンを持ったまま動こうとしない室谷を机に向かわせ、目の前にステッカーを置いた。
「ほら。ラジオネームでもいいから」
弱そうなおしりを叩くと、室谷はあきらめてマジックのふたを開けた。態勢を整え、ステッカーに顔を近づける。ようやく書くかと思った寸前、ぱっと顔を上げた。
「書くよ?」
「ああ」
「書くから、ぼくのステッカーにも真辺くんのサイン書いて」
「ああ?」
「芸人になるんでしょ」
こんな真剣に言われたことがなかったから、おれは恥ずかしくなって、それをごまかすために室谷からマジックペンを奪い取った。
「しょーがねーなー。おれのは高いぜ」
おれたちはたがいのステッカーに、ラジオネームでサインを書いた。
今年の夏休みはどこかそわそわした。
こんなおれでもふとした瞬間に受験がちらついて、勉強する気はないのに、もし自分だけ受からなくて取り残されたらどうしようという不安だけはびんかんに感じていた。
十月になると、おれたちの中では一番に吉井が参考書を買ってきた。
「書店の人に聞いたらこれが一番いいって言うからさあ」
頭がよくなったわけでもないのに吉井は得意げだった。
「でもこれ難関校の過去問も載ってるぞ。こんなん必要ねーだろ」
「いやあ、おれが頭よさそうに見えて、店の人も勧めてきたんだと思うぜ」
「逆にとんでもないバカに見えて、売れ残ったやつ押し付けてたりしてな」
その場は笑って盛り上がったけど、吉井の参考書におれも少しのあせりを感じた。
休日、母ちゃんにイオンへ連れてってもらい、書店で吉井と同じ参考書を探したけれど見当たらず、店員に聞くと売り切れとのことだった。一足遅かったか。学校のやつらが参考書を買いにくるなんてここくらいしかないから、いい物はすぐに売り切れてしまう。
とりあえず、棚にある物でよさそうなのを買ってくしかない。
「あれ、新太じゃん」
振り返ると、高校生っぽい男子グループから見覚えのある顔が出てきた。中学の先輩だ。野球部かサッカー部かは忘れた。
「どもっす」
先輩は両手をズボンのポケットに入れ、ハトみたいに首を前に突き出した姿勢で近づいてきた。伸ばしてもおれより低い背は、ハトになったせいでより小さくなっていた。
「ひさしぶりじゃん。どうよ、学校は」
「まあまあっす」
「まあまあってなんだよ」
先輩が楽しそうに肩を叩いてきたから、おれはテキトーに「うっす」と返した。
「そうだ、あいつ元気? ほら、ばばあに憑りついてた」
「あ、室谷っすか」
「そう、そう。あいつおもしろかったよなー」
室谷、先輩の中ではおまえがばばあに憑りついてたことになってるぞ。おまえ、ヤバいやつだな。
「新太もよくあんな無茶ぶりしたよな。おれたちの方がビビったよ」
「うっす」
「で、なにしてんの?」
「ちょっと参考書を探しに」
「参考書? おれのあげよっか?」
「え? いいんっすか?」
「おれも先輩にもらったんだよ。もう使わねーし、今度おまえんち持ってってやるよ」
「あざっす!」
「まあ、おれも部活入れってしつこくしたからな。これでおあいこだ」
なにがおあいこなのかさっぱりわからなかったけど、参考書をゆずってもらうためそういうことにしておいた。
先輩たちに迷惑をかけられたというなら室谷もそのひとりだ。室谷の分も頼めばゆずってもらえるだろうか。
「あの、室谷の分ももらいたいんですけど、誰かゆずってくれそうな人いないっすかね」
「ああ、じゃあ、聞いといてやるよ」
「あざっす」
「新太、どうせ南高くるんだろ。今度こそサッカー部入れよ」
「え、あ……」
おいおい、話がちげーぞ。さっき「おあいこだ」とか言ってなかったか? ここで断ると参考書をもらえない気がして、おれは返事をさけて、やんわりと話題をそらした。
「先輩まだサッカー続けてるんっすね」
「なに言ってんだよ。おれ中学は野球部だっただろ」
知らねーよ!
「やっぱモテるにはサッカーだよ、サッカー。じゃあ今度な」
去っていく先輩を見送りながら、おれはため息と共に頭をかいてみせた。
月曜、学校でその話をすると、室谷は「やっぱり真辺くんはすごいね」と言った。
おれは嫌味かと思って、
「は? どこがだよ。高校いったらまた先輩たちに部活入れって付きまとわれるかもしんねーんだぞ」
と言い返した。
「でも、真辺くんならうまくかわして、突破するでしょ」
そんな期待されてもなー。
「で、室谷は参考書持ってんの?」
「うん、家にある」
「いつから」
「夏休みには買ったかな」
「はやっ! そういうことはちゃんと言えよなー」
「え、わざわざ言うものなの?」
「言うものなんだよ。おまえ夏休みの講習も全部出てただろ。南高じゃなくてもっと上いけんじゃねーの?」
「うーん、どうだろう。正直いければどこでもいいかな」
「なんだよ、それ。調子乗りやがってー」
おれは室谷の後ろ首に手を回してくすぐってやった。室谷は「やめて」と黄色い声を出して、首をすくめて逃げようとするけど、追いかけるおれの力の方が強かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。南高いきます。いきたいです」
室谷がやけくそになって叫び、おれはくすぐるのをやめた。
「最初からそう言えばいいんだよ」
おれも室谷も顔が真っ赤だったけど、おれは勝ち誇ったように腕を組んでみせた。
しばらくして息を整えた室谷が顔を上げる。
「しょうがないから、公開収録にもまた付き合ってあげるよ」
「しょうがないってなんだよ」
おれはにやける顔を隠して、もう一度、室谷の後ろ首をくすぐった。
それからおれも先輩からゆずってもらったぼろぼろの参考書とにらみ合いながら、受験勉強をするようになった。
初期微動継続時間、初期微動継続時間、初期微動継続時間、初期微動継続時間、初期微どぅ……噛んだ。
アイマイミーマイン、シーハーハーハーズ、ヒーヒムヒズヒズ、鼻水ズビズビ。
くらえ、墾(こん)田(でん)永年(えいねん)私財砲(しざいほう)!
自分の部屋の壁に向かい両手を花のように広げて波動砲を打つ。
ヤバい、完全に勉強飽きたー。
ちょっと休憩しようと勉強机から離れて、窓辺に置いたラジオのボリュームを上げた。
室谷に教えてもらった音楽番組だ。あれからも時間が合えばちょくちょく聞いている。
〈子供の頃の思い出は楽しいこともたくさんありましたが、切ないこともたくさんあったなーとこの曲を聞いてると思い出します。ということで、ラジオネーム・バカチンさんからのリクエストです。武田鉄矢さんで『少年期』〉
さみしげなギターと笛の音が流れる。
おれは机の一番上の引き出しを開けて、奥からステッカーを取り出した。ステッカーのすみには『テンのテンの助』と右上がりになったサインが書いてある。
いつかおれたちのサイン入りステッカーどっちもプレミアが付くようになれたらな。
数日前、それとなく聞いてみたことがある。
「室谷は芸人になりたいとか思わないのか?」
室谷はしばらくおれの顔を見たあと、あっけらかんと言った。
「芸人なんてぼくには無理だよ」
「どうして。おまえネタ作って選ばれてんじゃん」
「それは好きだからやってるだけで」
「でも誰かが笑ってくれたり、選ばれたらうれしいだろ」
「そりゃあ、まあ」
「わっかんねーなー。「とれたて」に二回も選ばれてたら、ああ、おれとの合わせたら三回だけど、それだけ選ばれてたら芸人になれるって思うもんじゃねーの?」
室谷はにこりと笑い、それでこの話は終わりだと思ってたら、五分くらいして室谷が宝箱の中身をチラ見せするように言った。
「ぼくはおもしろいってだけじゃなくて、みんなが集まってくる人の方が芸人に向いてると思うよ」
ヤッチョンのことだろうか。確かに学生時代もクラスの人気者だったって言う芸人もたくさんいる。
「おまえだって先輩たちがいっぱい寄ってきてただろ」
「あれは真辺くんが変なふりするから!」
当時を思い出してうんざりする室谷。やっぱりこいつに芸人はハードル高いか。ちょっとだけ、室谷とコンビ組めたらと思ってたんだけどなあ。
「芸人になったらきっとおもしろいぞ」
あきらめ悪く気を引こうとしたら、室谷は素直に「そうだね」と返してくれた。
高校でだって誘うチャンスはある。気長に待つことにして、おれはサイン入りステッカーを大事に机の中へもどした。
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