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「あたしたち、親友にならない?」
と、カナコちゃんが言ったのだった。
親友になるだなんて、中学三年生にしては少々子どもじみている言い方だったけど、カナコちゃんは別にふざけてるわけでも面白がっているわけでもなく、どこか挑むような、それでいて切実にも見てとれる眼差しだったので、あたしは静かに息をとめてうなずいた。
「なる」
カナコちゃんは満足げに目を細め、歌うように告げる。
「親友は、名前を呼び捨てにするのよ。今からあたしは海ちゃんのことを海って呼ぶから、海ちゃんはあたしのことをカナコって呼ぶの。いい?」
「わかった」
それで、あたしとカナコは親友になった。
あたしとカナコは親友だけれど、学校ではほとんどしゃべらない。あたしにはいつも一緒に行動している四人の女子のグループがあって、カナコはたいてい一人でいて、それは二年に上がるときにクラス替えがあってからずっと変わらない。そういう日常の決まっているようなものを崩すのはなかなかに難しいものだ。今のグループはまあまあ気に入ってるし、そこの空気を壊すつもりもない。
カナコは、いつも一人というわけじゃなくて、ときどき吉沢さんといる。吉沢さんはいつもキレイにお化粧をして制服をラフに着崩している大人びた女子で、普段は同じような種類のよそのクラスの女子やよそのクラスの男子なんかと廊下でしゃべっているけれど、教室にいるときはだいたいカナコといる。
吉沢さんはカラーリングしたふわふわヘアも赤く塗った唇もよく似合っていてキレイな人だなと思うけど、カナコはお化粧していなくてもキレイだ。あたしはカナコの、真っすぐで真っ黒な髪が好き。吉沢さんが教室にいるときカナコと一緒にいるのが、カナコがお化粧をしていなくてもキレイな女子だからか、女子の中で唯一どこのグループにも属していないからか、はわからない。でもたぶん、カナコはあまり吉沢さんのことを相手にしていない。適当に話を合わせているだけみたい。
と、いうようなことは、カナコと親友になってから気づいた。
梅雨明けのからりとした空気の教室で、窓ぎわの席のカナコの向こうに真っ青な空が広がっている。全開にした窓から吹きこむ風は今時期にしてはけっこう涼しい。カナコの肩に落ちた真っすぐな髪をはらってゆく。夏服の半袖シャツの袖先やスカートの裾から伸びた白く細い手足が眩しい。色濃い夏を背景にして、カナコは文庫本に視線を落としている。彼女はクラス替えで新しくなった教室の最初から、一人でいてもちっとも寂しそうには見えなかった。
「もっちー、ってば」
なっちゃんの声で、あたしははっとして振り返る。机の周りに集まった三人の視線があたしに集中している。どうやら何度も呼ばれてたみたいだった。
「あ、ごめん。何?」
「もうー、ずっと呼んでるのに。何ぼうっと見てたの」
「あ、ほら、すごい青空だなーって思って」
まさかカナコに見とれてたとは言えない。苦し紛れの言いわけに、素直なゆーみんが同意してくれる。
「ほんとだー、すごい晴れたよねー」
「まあねえ、久々だしねえ」
と、まりおちゃんまでもがしげしげと窓の外へと目を向けるので、なっちゃんもしかたなさげに鼻から息を吐いた。
「まあいいけど。それでね、」
となっちゃんは、現在絶賛制作中だというマンガの話を始めた。なっちゃんとまりおちゃんは美術部という名のマンガ部に所属していて、夏休み明けの文化発表会をもって引退するので最後の出品作品となるマンガ冊子の内容について日夜熱く語ってくれるのだけど、あたしもゆーみんもあんまりマンガを読まないから実際のところはよくわからない。でも二人が心血注いで作りあげる合作のマンガは、面白いかどうかとは別のところでとても価値があるとあたしは思う。だからよくわからないなりに、二人のマンガが完成するのを心待ちにしてはいる。
なっちゃんの熱弁を遮るように、昼休みの終わり一歩手前を告げる予鈴が鳴り、しゃがみこんであたしの机の上に乗せた肘の上に顎を乗せていたゆーみんが勢いよく立ち上がった。
「次、音楽室だよ。行かなきゃ!」
はじかれたように、みんなあわただしく自分の席に戻って教科書やら何やらを取り出していると、解放されっぱなしの前の扉から吉沢さんがカナコを呼んだ。
「ミツキぃー、行こおー」
顔を上げたカナコは、文庫本を閉じてわきにそろえていた教科書類を持って席を立った。バタつくあたしたちとは大違い。
「もっちー、行くよ」
まりおちゃんに急かされて、近くの机の角に足をぶつけながら教室を出ようとしたとき、追いかけるように呼ばれた。
「望月さん」
振り返ると、カナコが薄っぺらいものをあたしに向けて差し出していた。
「下敷き、落としたよ」
「あ、ありがと」
「ミツキ早くー」
はいはい、と小さく答えながら、カナコはあたしを追い抜いた。もっちー早く、とまりおちゃんがあわてている。
みんなには内緒ね。
弓型に弧を描いたカナコの唇が蘇る。
あたしとカナコが親友だっていうのは、みんなには内緒だ。
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