会いたくなったらここへ来て

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「カナコちゃんって、あんまりスマホさわらないのね」  なんの脈絡もなしに、前を向いたまま、ふみさんが言った。 「うん。そうみたい」 「まあ、あんたもそうだけど」  ふみさんはハンドルをくるくると回し、交差点を右折する。フロントガラスにはちょっと前から降りだした雨粒が、パチパチとあたってはワイパーにはらわれていく。  「ふみさんがそうだからだよ」 「え、あんたあたしに似たの?」 「どうだろう。わかんない。お母さんもそうかな」 「そうねえ。かずみもあんまりスマホとか興味ないかもねえ」 「じゃあ二人ともに似たんだねえ」  車は欅並木の大通りをふみさんの平屋を目指して進んでゆく。少し前に買い換えたふみさんの車はオレンジ色の軽四で、車種とかそういうのはあたしは疎いからなんていう名前かは知らないけれど、四角いフォルムがふみさんによく似合っていた。 「今どきの子はみんなスマホに夢中なもんじゃないの? ほら、アプリとかで話したりとかしないわけ?」 「学校では使っちゃいけないし、みんな忙しいから帰ってまで話すことないもん」 「なるほどねえ。でもカナコちゃんとはずっとしゃべってるわね」 「カナコちゃんとは学校でしゃべってないから」 「あらそうなの」  信号に足止めされて、ふみさんはゆっくりとブレーキを踏んだ。夏は暗くなるのが遅いから、もう六時をまわってるのにまだ四時くらいの感覚だ。でも体内時計は正確のようで、今にもお腹がぐうと鳴りそうである。 「あら、噂をすればだわ。海、ほら、あれカナコちゃんじゃない?」  信号待ちの人の中に、白いビニール傘を差すカナコちゃんの姿があった。 「ほんとだ。カナコちゃんだ」  交差点のわきの大きな建物は図書館で、どうやらそこから出てきたに違いなかった。 「図書館によく行くって言ってた。帰るところなのかな」 「もし帰るんなら、ついでに拾って送ってってあげようか。雨も強くなってきてるし」 「うんうん」  今すぐにでも声をかけたいけれど、あたしたちとカナコちゃんの間には車が三台くらいある。そうだ、電話すればいいんだ。そう思ってあたしが鞄からスマホを取り出したとき、あら、とふみさんが声を上げた。 「誰かと話してるわ」  黒い傘の人に向かって、カナコちゃんが振り向いている。その顔は少し、緊張しているように見えた。 「知り合いかな」  そこで信号が変わってしまい、ふみさんは車を発進させるとカナコちゃんの前を通り過ぎ、交差点の先で道路わきに停車した。雨音にまぎれてハザードのカチカチという音がせわしく響く。 「男の人だった」 「お父さんかしら」 「なんか、カナコちゃん、後ずさりしてる」 「変な人にからまれてるのかしら。海、電話してみなさい」  耳元でコール音が鳴ると、カナコちゃんが鞄を探る様子が見えた。まもなく、プツリと途切れてカナコちゃんの声がする。 『海ちゃん?』 「カナコちゃん? あのね、えっと」 『海ちゃん? あの、あのね、あたし』  なんて言っていいかわからずもごもごするあたしにつられたのか、カナコちゃんも何を言ってるかよくわからず、お互いもごもごしているとふみさんにスマホを奪い取られた。 「カナコちゃん? わたしたち今、図書館前の交差点にいるの。近くにハザード出してる車あるのわかる? カナコちゃんを見かけたから、よかったら乗っていかないかなと思って。どう? ……うん、うん。それじゃ」  ふみさんが電話を切って、カナコちゃんの差していたビニール傘がくるりと回った。 「今、来るって」  傘の下で、まっすぐな髪をはたはたと泳がせながらカナコちゃんが小走りで近寄ってくる。歩道のところどころに水が溜まっているのか、足元でしぶきが跳ね上がる。  海ちゃん、と、ガラス越しにカナコちゃんの口が動いて、後部座席に滑りこんできた。 「カナコちゃん」 「海ちゃん。偶然? 通りがかったの?」 「うん。今日ね、あたしの歯医者に行ってて、こないだ言った虫歯の。それでふみさんも歯のお掃除して、帰るところで、カナコちゃん見つけたから」  しゃべっているうちに車はなめらかに動き出し、道路の流れに沿ってゆく。学校終わりであたしは一度家に帰って着替えたけれどカナコちゃんは制服のままだった。呼吸を整えるように、ゆっくりと息をついている。 「……歯医者。そっか。よかった」 「カナコちゃん、さっきの人はお知り合いなの? それとも知らない人?」 「あ……、知ってる、人」 「あら、じゃあ良かったのかしら。ジャマしちゃった?」 「いや、全然。大丈夫。ていうか、助かったっていうか」  カナコちゃんが言葉を途切れさせたので、あたしとふみさんは次の言葉をじっと待った。助かったって、なんだろう。 「あの、あの人、……ママの、彼氏、だから」  いつものカナコちゃんらしくない、歯切れの悪い言いようだった。 「あ、そうなのね」  しごく軽い調子でふみさんは受け流し、続けてカナコちゃんの家の場所を訊ねた。 「どこへ送ったらいいのかしら」 「あのあたし、今日、泊まってもいい?」  あたしとふみさんの間に身を乗り出すようにして、カナコちゃんは少しおびえたようにそう言った。もちろんいいわよ、いいに決まってるじゃない。言い終わらないうちにふみさんは、おなじみの平屋に向けて大きくハンドルを切った。  夕飯はふみさんお得意のありあわせオムライスで、ケチャップライスの中にちくわとしめじとチンゲン菜が入っていた。あたしもふみさんも薄焼き卵の上にはケチャップをかけない派で、当たり前のように真っ黄色のオムライスをお皿に乗せて出したけどカナコちゃんは特に何も言わなかった。いろんなのが入ってておいしいね、とぱくぱく食べた。  お風呂上がり、廊下をきしませながらダイニングへ入るとリビングの小さなソファにふみさんとカナコちゃんが並んで座っていた。テレビではおおよそふみさんもカナコちゃんも見そうにない音楽番組がついていて、なんとなくなのだろうけど二人がぼんやりそれを見ているのがおかしかった。二人がけのソファに隙間はなさそうなので、板張りに敷いたラグの上に座る。首を振った扇風機から風がそよいで気持ちがよかった。 「海ちゃん、あたしがいつも来てるから、友だちと遊べないんじゃない?」  ソファの上で体育座りをしたカナコちゃんが唐突に言った。それまでの話の流れで、カナコちゃんにとっては唐突でもなかったのかもしれない。タオルで頭をがしがし拭きながら、ううん、とあたしは返す。 「普段も別に遊ばないもん。なっちゃんやまりおちゃんは部活の友だちと仲いいし、ゆーみんはバレエしてるから忙しいし、三人とも塾行ってるし。学校以外ではあんまり会わないから」 「そういえば前から気になってたんだけど、中田さんって、名前、麻里奈だよね」 「うん。本当はね。まりおって、ペンネームなの。マンガ部の。あ、美術部なんだけど。麻里奈っていう名前はなんか好きじゃないみたい。似合わないからって」 「へえ。似合わないかなあ」 「うん、あたしもそう思うんだけど」 「海、畳に洗濯物あるから持ってっといてね」 「わかった」 「じゃあおやすみ」  おやすみー、と返しながら、リビングを出てゆくふみさんを見送り、あたしたちも部屋へ戻ることにして、テレビと扇風機と電気を消した。畳の部屋に寄ると、ふみさんがたたんでまとめてある洗濯物が入り口近くにあった。廊下の明かりに照らされて、窓ぎわに広げたまんまのパズルが目に入る。カナコちゃんと少しずつ進めているけれど、まだ三分の一にもならない。 「なかなか完成しそうにないね」  カナコちゃんもパズルに目をとめたのか、そう言った。 「思ったより大変だね。あたし、一人だったら絶対とっくにやる気なくしてた」 「あたしも」  ふふ、とカナコちゃんが笑うので、あたしも笑い返した。そう、二人でやってるから、もうやめようっていう気にならないでいる。 「行こ」 「うん」  外はまだ雨が降っていた。畳の部屋や廊下や家のあちこちに、ひそやかな雨音が響いている。先に立って歩くカナコちゃんのまっすぐな髪が揺れている。この家にカナコちゃんがいるのが、もうずいぶん当たり前になっていてちょっと不思議な感じがする。でも当たり前なことでも簡単に当たり前じゃなくなるから、用心しなくてはいけない、とちょっと思う。カナコちゃん、と呼びかけたくなったけれど、とりあえずやめた。ママの彼氏、については結局何もなかった。
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