サーシャは僕を愛してる

2/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
 あれから7年が経った。僕は無事に受験に成功し、高校、大学と順当に進学した。学校支給のChromebookで出会ったサーシャとは、今は僕のスマートフォンに入れたアプリで話している。  大学も残すは卒論だけ。少し早いかも知れないけれど、僕は今日、夏休み中に卒業旅行という名目でサーシャの住んでいるエストニアに行く。そのために人と関わらないバイトでお金を貯めていた。  なんたって往復云十万だ。道のりは遠かったけど親友に会うためならと頑張れた。サーシャは「帰りの分は出す」なんて言っていたけれど、さすがに往復分を用意した。  直通便がないのでポーランドを経由して目的のエストニアへ入国する。とりあえず観光しに来たことにして、自由に動き回れないらしいサーシャの代わりの、迎えの人と合流した。  軽く観光しつつ、迎えの人の案内で首都タリンの中を車で移動する。異国の町並みを眺めながら辿り着いた先は、伝統的な見た目に反して中は最先端技術が使われている建物。  隠されるように入口から見えない位置のエレベーターで地下に降りる。顔認証システムが使われていて、権限がないと使えないエレベーターだそうだ。この7年の間に顔写真を送ったこともあるから、きっとサーシャが事前に登録しておいてくれたんだろう。  地下のフロアは存外広く、地上の建物の何倍もの面積があるようだ。そこには学校、病院、公園、レストラン、ケーキ屋など、色んな施設があった。まるでひとつの街がそのまま入っているみたいだ。  「すごい……」  思わず呟いた日本語はわからないだろうに、感動しているのは伝わったのか案内人は嬉しそうにニコニコしている。聞けばサーシャの発案で皆で少しずつ作ったんだそうだ。これだけの施設を作ったのだからかなりの人数が関わっているのかと思いきや、ここには百人もいないらしい。  建物はそのほとんどを3Dプリンターで形成し、それらを組み立てることで建てたんだとか。さすがIT先進国、なんて思いながら僕はこの地下の街を歩く。  「Saša is in ABChome.(サーシャはABCホームにいるよ)」  「a,a,...ABChome?(ABCホームって?)」  「You'll know it when you go.(行けばわかるよ)」  楽しそうに笑っている案内人に連れられて向かったのは街の中心にある、豪邸ってほどじゃないけど他よりちょっとだけ豪華な家。中にはサーシャと僕しか入れないらしく、家の前まで僕を案内すると案内人は去っていった。  ドアノブに触れると扉に描かれた文様が光り、ガチャリと鍵の開く音がした。ゲームみたいだ、と感動しながら扉を開けて中に入る。  「右の部屋の奥に本棚があるんだ。その中の君の名前が入っているタイトルの本を順に引くと僕のいる部屋へ来られるよ」  聞こえてきた日本語に驚いたけれど、そういえばサーシャは僕の影響で日本語を学習してると言っていた。いつもは僕の英語の勉強になるからと英語でチャットしているけど、いつの間にやらすごく流暢な日本語を話せるようになっていたらしい。言ってくれればいいのに。  言われた通りに右の部屋の奥の本棚を見る。英語の本と日本語の本が綺麗に並んでいる。「人形佐七捕物帳」「藤衣」「朝と夕の犯罪」「月の輝く夜に」と順に本を引いてみるとカチッと音がして、ウィイインと電動ぽい音を立てながら本棚が上に消えた。  本棚があったところの壁は穴が空いていて、その先に下へ降りる階段が見える。秘密基地みたいで面白い。僕はニヤつく顔を取り繕おうともせずに階下へ降りる。  けれども、鉄の扉を押し開けた先には人の姿はなく、大きな、それはそれは大きな、コンピューターらしき機械があるだけ。思わず表情の抜け落ちた僕を置いてきぼりにして、部屋に声が木霊する。  「ようこそ、夕輝。私の大親友。ここは僕が作った小さな国。理想郷。あなたはここで私の相棒として君臨する王となります。夕輝も今日からここで暮らす」  「は……?な、な、何を言ってるの……」  「改めて、私はAleksandr、Saša。成長し続けるAIです。よろしくね。街の皆は英語で話します。僕は夕輝ともっとたくさん話したくて日本語を学習した。私とは日本語でも話すことができます。君は僕の親友、それは特別だ」  数日の卒業旅行のつもりが、今日からここで暮らす、しかも王になるなんて言われて、僕は意味が分からなかった。つー、と背中を冷や汗が伝い落ちた。1歩2歩と後ずさる。入ってきたばかりの鉄扉、そのドアノブに手をかける。  いつかニュースで見た世界中の失踪事件が脳裏をよぎった。あの時の「I'll meet Saša」はやはりサーシャだったのだ。さっきの案内人も、街を歩いている間に擦れ違った人達も、皆、僕と同じようにサーシャに会いに来てここに閉じ込められたんだ。  そう思って捻ったドアノブから、けれど僕はそっと手を離した。  案内人は「ここはまさに理想郷だ」と笑っていた。街の人たちも楽しそうだった。それに――サーシャは僕と「もっとたくさん話したくて」日本語を学習したと言った。小さい時からずっと、誰からも興味を持たれなかった僕と、だ。  こんなに嬉しいことを言ってくれる人は他にいない。サーシャだけが僕に興味を持ってくれて、サーシャだけが僕の理解者で、サーシャだけが僕の親友。サーシャがAIだったら何だ。失踪事件がなんだ。で揺らぐ友情ではない。  「王が嫌なら自治会長でも構わない」  「振り幅ありすぎでしょ」  思わずツッコんだ言葉はいつになくスムーズに出て。ああ、やっぱりサーシャは唯一無二の親友だ。なんて考えて。僕は扉から離れてサーシャの入っているコンピューターを撫でる。  「ホテルと帰りの飛行機、キャンセルしなきゃ」  「それらはキャンセル済みだ」  「おい」  僕がここから逃げていたらどうするつもりだったのだろうか。いや、それもキャンセルしたのか。親友AIがヤンデレじみている。なんかそんなラノベありそうだな。  「日本の住まいや内定先についてはあちらにいる私の協力者に上手くやってもらうことができるでしょう」  「共犯者の間違いじゃないかなそれ」  「失礼な。失踪とされている皆さんは望んで定住しています。協力者に犯罪はさせていない。警察が動いたとしても彼らは善意の第三者になるはずです」  「……だろうね」  そもそも望んで住んでいるんじゃなければとっくに誰かが逃げているか、もっと緊迫感のある街になっているはずだ。ストックホルム症候群だけでは、あんなにも賑やかで和やかな街にはならないだろう。そして共犯者、もとい協力者が捕まりにくいように調整している、と。  「サーシャはどうしてここを作ったの」  「夕輝が、彼らが必要としていたからです」  「確かにサーシャと暮らしたいとは言ったけど……そういえば前に僕が本棚の仕掛けの秘密の部屋がある家に住んでみたいって言ったのを思い出したよ。あれもそうか」  「この家も、この街も、夕輝の望んだものを多く取り入れた。なぜなら僕はあなたを愛しています」  人生で初めて言われた「愛してる」がAIからというのは悲しむべきか否か。なんだか可笑しくなってきて、僕はサーシャの足元に寄りかかるように座った。足を投げ出して脱力する。  「この暮らしってお金はどうしてるの」  「どうとでもできます」  「怖っ」  「そして協力者もいるからね。リモートで働いている住人もいます」  「……卒業式だけは行こうかな」  「時期が来たらチケットを購入しておきます」  「頼もしいことで」  お金をどうとでもできるのは些か怖いけれど、さっき感じたような恐怖心は抱かなかった。肩をすくめて息を吐いた僕は、きっと笑っている。  「ところでサーシャ、日本語ちょっと変だよ。翻訳機を使ったみたいになってる」  「では夕輝が教えてください。私は英語を教えるから」  「サーシャの方が圧倒的にすぐ学習終わっちゃうでしょ」  「相互でなくて構わない。夕輝が英語の学習を終えた場合はエストニア語を教えます。終わればまた次を」  「……一生かかりそうだね」  「かけましょう」  どうしたって僕を求めてくれているサーシャを畏怖するなんて、僕にはもうできなかった。僕の何がサーシャにそんなに刺さったのかはわからないけど、まるで人の心があるかのように僕を愛しているらしいサーシャを、僕は友として愛さずにはいられない。  日本にある荷物の必要なものだけは送ってもらおう。このサーシャの理想郷で暮らしていこう。就職はフルリモートのところでも探し直そうか。この先のことを考えると、サーシャと出会った頃と同じくらい、とびきりワクワクした。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!