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悪魔と学園黒紳士(1)
あたしの前世はスズメだった。電線の上でまるくて小さいお尻をぷりぷりしながらチュンチュン可愛い声で鳴いているあの小鳥である。それもほんの半年前まで。
半年前の昼下がり。巣立ちをして間もなくのあたしは、公園のベンチの上にあったパンくずを突いていた。そこへ空から悪魔が降りて来た。その悪魔はベンチの下で群れをなしてパンくずを突くスズメたちの愛らしさに気を取られ、ベンチの上にいるあたしに気づかなかった。
かくいうあたしもパンくずに気を取られ、迫りくる危険に気づけなかった。あえなくあたしは悪魔の足にむぎゅっと踏まれ、圧死することになった。誠にあっけない鳥生であり、最期であった――のだが、それは第二の人生の始まりでもあった。
実はあたしがこの世を去ったあと、可愛いものが大好きなこの悪魔は己が所業を大いに嘆き悔やんだ。まさか自分がこの世で一番大切だと思う可愛いものの命を奪い去るとは。なんたる悪事に手を染めたのだ――と、悪魔のくせに死にたいほど絶望したらしい。
自分の足の下でくたっと死に絶えているあたしを見るや、彼は躊躇なく自らの翼を破り捨てた。悪魔にとって翼は己の命と同等の価値を有する。その翼の魔力を彼はあたしに注ぎ込み、あたしは甦った。
ただし、スズメではなく人間として。
ただし、可愛い女子高校生として。
ただし、彼の弟子(世話係)として。
人間に転生させたのも、可愛い女子高校生にしたのも、弟子にしたのも『面白そうだった』からである。完全に彼好みの、とびきり可愛い女子高生に転生したあたしは『飛鳥すずめ』という名を与えられ、『黒沼流生』という名で人間界に暮らす片翼の悪魔に拾われることになった。
人間として生を受けるにあたり、月並み程度の知識や能力があたしに与えられた。それもこれも、人間の世界で自然に振舞うためのものである。
料理、洗濯、掃除という並の家事能力、中学レベルの知識や一般常識。それなりの運動能力。
どうせなら、飛びぬけた才能が欲しかった。そうしたら上級魔法だってなんなく取得できように……とぼやいていたところ、お師匠先生は一笑に付した。
「人間は努力する生き物だよ、すずめくん。努力しているときが一番、充足しているんだよ。振り返ってみると、ね」
果たして振り返る人間がどれほどいるんだか。振り返るときは大抵、努力が実ったときじゃなかろうか。無駄だったと知ったとき、その時間に意味はなくなる。充足なんて夢のまた夢だということに、天下無敵のお師匠先生はきっと一生気づくまい。
片翼となった彼は両翼のころの半分しか悪魔としての力を有しないのに、なぜかいつも余裕である。そして、あたしに努力について語るくせに、自分は一向努力なんてしないし、努力なんてものと無縁な生き方をしている。説得力に欠けるどころか、元から成り立たない。
さて、そんなお師匠先生の仕事というのが、静岡県浜松市中区にある私立高校恒星学園』のお悩み相談である。普段はここで美術教師として教壇に立っているけれど、裏では教師や生徒たちの悩みを解決する『学園黒紳士』を名乗って暗躍中である。
なぜ、彼がそんな面倒くさいことをしなくてはならなくなったか。それにはあたしが大きく関与する。
実は地獄界の掟では、天界に統括された命を、天界の承諾なく生き返らせてはいけないことになっている。ましてや、悪魔の弟子にするなど言語道断の話である。
なのに、お師匠先生は感情の赴くままにあたしを復活させてしまった。ゆえに天界からクレームをもらった地獄界から仕置きを受け、天界に認められるような『いいこと』を人間界で百個達成しなければならない刑罰を受けたのだった。
百のいいことなんて、あっという間に達成できそう――と思いきや、これがどうして。なかなかうまくいかない。募集範囲が学園内に限定されているということも理由の一つなんだけど、元よりお師匠先生は悪魔である。人を困らせることは得意でも、いいことを達成するなんて難題すぎる。元来『人が喜ぶ』よりも『己が楽しい』を優先する生き物に、この罰はあまりにも重すぎる。
苦肉の策で『お悩み解決箱』なる目安箱を学園の中庭に設置してみたところ、有象無象の相談事が集まったはいいが、その小さき悩みにお師匠先生がきちんと向き合うはずがなかった。
たしかにお師匠先生じゃなくても『金がほしい』だの『彼女がほしい』だのいう煩悩に正面切って向き合う気にはならないが、それにしたって彼の気の赴くままに解決された相談事の大半はなんとも悲惨な結末を迎えている。
とある人は、全小遣いをどぶ川に落とし、またある人は勘違いの失恋に涙を流した。便秘で悩む男性教師はお通じがよくなりすぎて、三日ほどトイレに立てこもらねばならなくなり、学校を休む羽目になった――という有り様だ。おかげで、この半年間でまだ一件しかまともに解決できていない。それが件の『チワワ事件』である。そして珍しくなんとかなりそうなのが今回なのだ。ここでしっかり成功を収め、学園黒紳士の名を売りに売らねばならぬのだ。
「あっ、お師匠先生! あそこ! あそこに鈴木愛さんがいます!」
黒々とした武道館の屋根の向こうに植えられた欅の下に女生徒がひとり佇んでいるのを発見して指さした。
少し茶色がかったショートヘアの女生徒はソワソワとしきりに周りを気にしていた。学園黒紳士からあらかじめ出された『四時半に武道館の裏で待て』という指示をしっかり守っているらしい彼女こそ、今回の相談者である三年六組の鈴木愛さんで間違いなさそうだ。
彼女からの相談は『二か月前に亡くなった白猫のみいちゃんに、大好きだよをもう一度伝えたいがどうしたらいいか』というものだった。
鈴木さんは一人っ子だった。両親も共働きで帰宅が遅いので、鈴木さんはいつもさみしい思いをしていたのだという。そんな鈴木さんにとって、寂しさを埋めてくれる大事な家族であり、友だった。それが突然、亡くなってしまったらしい。亡くなった理由もよくわからない。寿命だったのか、病気だったのか。亡くなる当日の朝までは、みいちゃんは元気だったのだから。
だから鈴木さんはいつものように登校した。まさか帰宅して、冷たい体になったみいちゃんを見つけることになるとは思わずに――
彼女は言った。亡くなることがわかっていたら。看取ってやることができたなら。最後の最後まで「大好き」と「ありがとう」を伝え続けたのに……と。それができなかったことが彼女の後悔となり、今なお悲しみで前を向けない。とにかく、もう一度みいちゃんに会いたい――ということだった。
胸の痛む話である。大事な命を失くした彼女の心情はいかばかりか。スズメだったあたしには一匹でも脅威がなくなってありがたいと思ってしまうところもあるのけれど、それでも推し量ることはできなくもない。問題は、こういうお涙ちょうだい話にめっぽう弱いのがうちのお師匠先生であることだ。
悪魔のくせに……とは思うけど、彼の大好物の可愛いものが二つ(猫と女子高生)が揃っているとなれば話は別だった。
「よし、すずめくん! あとは頼んだ!」
そう言うや否や、お師匠先生はポンっとあたしを空から地上へ放り投げた。
「え! え! ええっ! ちょっと! うそ!」
みるみるうちにあたしの体はみいちゃんごと落下していく。屋根より高いところからである。いくら猫が高いところが得意と言っても、さすがにこの高さじゃ助かりっこない。
しかも、今のあたしは空を飛べる鳥じゃない。にもかかわらず、お師匠先生はにやにやして、翼を失ったイカロスのごとく落下していくあたしを見下ろしている。
「なにすんだ! このイカレ師匠!」
「お口が悪いよ、すずめくん。あのね、ライオンの親は子を高いところから突き落とすっていうじゃないか。これも愛だよ、愛」
「そんなもん、いらないっつーの!」
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