2人が本棚に入れています
本棚に追加
悪魔と学園黒紳士(2)
あたしの胸の中でみいちゃんが「んなあ」と同意するみたいに鳴いた。地面はどんどん近づいてくる。このままではあたしの第二の人生も露と消えかねない。
あたしは落下の風でめくり上がるスカートのポケットを必死にまさぐって、白いタクトを取り出した。
「お願い! お願い! お願い! お願い! 潰れたスイカになっちゃうのだけは勘弁して!」
無我夢中で振るう。タクトの先から水色の星屑と一緒に十羽ほどの愛らしいスズメがパタパタパタと飛び出した。その途端、あたしの腕の中でジタバタとみいちゃんが暴れ始めた。どうやら彼女の眠れる狩人の本能が魔法のスズメを見て目覚めてしまったらしい。みいちゃんがするりとあたしの腕をすり抜け、スズメを追いかけダイビングをかました。
「やめて! あたしの同胞を狩るんじゃないってば!」
あたしは腕を耳の後ろにつけるようにして伸ばすと、ロケットのような流線型になってみいちゃんを追いかけた。空中の異変に気付いたらしい鈴木さんがこちらを見た。彼女は大きな目をさらに大きく見開いて「ぎょええええっ!」と雄たけびを上げる。
スズメが逃げる。
みいちゃんがスズメを追いかける。
追いかけるみいちゃんをさらにあたしが追う――という三つ巴の状態で、地面がぐんぐん迫ってくる。
鈴木さんがあわあわと逃げまどう。
フライパンで弾けるポップコーンみたいに白い煙にポンポン次から次に消えていくスズメたちの姿に驚いて、ジタバタ手足を動かすみいちゃんをなんとか胸の中にかき入れた。彼女を守るようにくるんと受け身の姿勢を取ると落下の衝撃に備えた。
すると、あたしのお尻はフカフカとした柔らかいものに受け止められた。ゆっくりと目を開けて、お尻の下へと視線を向ける。白と茶色柄の巨大クッションの上に座っている状態。みいちゃんも無事であることを確認し、ホッと胸をなでおろす。
にしても、よくよく見覚えのある柄だった。その場に立って、全体を把握する。かわいいスズメが小さなお尻を向けている、なんとも可愛らしい絵柄のクッションである。あの状況下でよくぞクッションを出せたなと、自分で自分を褒めちぎりたい。
ふと頭上を見上げると、お師匠先生がパチパチと拍手していた。当然、満面の笑みで。
あとで覚えてやがれ――と舌打ちしつつ、お師匠先生をきつく睨み据えていると、後ろから細々とした声で「あの……」と呼びかけられた。振り返ると蒼白な顔をした鈴木さんが欅の陰から「大丈夫ですか?」とこちらを心配そうに伺っていた。
「あ、はい! 大丈夫です! こちらこそ、いきなりすみません!」
あたしはクッションから勢いよく飛び降りて、ぺこりと頭を下げた。鈴木さんは心底ほっとしたみたいに「よかったあ」と息を吐きながら、ゆっくりこっちに近づいてきた。
「いきなり空からあなたが降って来たときは、もうだめかと思ったよ」
「ですよね……」
あたしも本当にそう思ったよ。
「それにしても、これ、どこから湧いたのかな? スズメが飛んできたと思ったのに」
フカフカと鈴木さんはクッションを押した。そして何を思ったか「えいっ」とクッションへダイブする。あたしの魔法で出てきた巨大スズメクッションの上で彼女は「めっちゃ気持ちいい!」と顔をにやけさせた。
「あの……」
今度はあたしが鈴木さんにおずおずと声を掛けた。本来の目的を忘れちゃいけない。
「なあに?」
億劫そうに彼女は顔を上げる。フカフカクッションは人間をダメにする。非常に危険なアイテムだと思いながら、あたしは彼女の前にずずいっと白い物体を差し出した。
「この子があなたのみいちゃんで間違いないでしょうか?」
刹那、彼女が血相を変えた。とろけた顔は緊張を帯び、じいっと目の前に突き出された白いモフモフを凝視する。その頬がにわかにプルプル震え始めたかと思うと、その目からビー玉みたいな大粒の涙がぽろん、ぽろんと零れ落ちた。
「みいちゃん!」
「んなお」
みいちゃんがあたしの手を離れ、鈴木さんの胸の中へと飛び込んだ。彼女は涙と鼻水でぐしゅぐしゅになった顔をみいちゃんの小さな顔に押し付けながら「みいちゃん、みいちゃん」とつぶやいた。一方、みいちゃんのほうも「んなあお、んなあお」と彼女の呼びかけに答えるみたいに鳴いた。
「会いたかったよ! ずっと、ずっと!」
「んなあお」
彼女の腕の中でみいちゃんが「あたしもだよ」と返事をして、顔をスリスリと押し付けている。感動の再会だ。たまらずあたしの涙腺も崩壊寸前になっている。きっと空の上で、お師匠先生も大いにもらい泣きしていることだろう。
でも……あたしは知っている。この再会にはまた別れが待っているということを。それを証明するように、みいちゃんの体の輪郭が崩れ始めている。崩れた輪郭はぽやぽやとまあるい綿毛みたいな金色の玉粒に変わっているのだから。
「鈴木さん。もう……時間がないみたいです。みいちゃんに思いの丈をぶつけてください」
あたしの言葉に鈴木さんがハッとなった。「みいちゃん」と彼女が優しく名前を呼ぶと、みいちゃんは顔を上げて鈴木さんを見た。
「今までも、これからもずっとずっと大好きだから! ずっとずっと忘れないから! だから……」
そこで鈴木さんは一旦言葉を詰まらせた。みいちゃんの体はすでに半分以上消えてしまっている。きっと彼女は刻一刻と迫るみいちゃんとの別れの瞬間を必死に受け入れようとしているんだろう。
「私が迎えに行くまで……」
肩のあたりまで消えているみいちゃんを必死に抱きしめながら、鈴木さんは言った。
「いい子で待っててね」
みいちゃんがぺろんと鈴木さんの頬を舐めた。
「んなあ」
ひと際、大きな声で鳴いたみいちゃんの姿が完全に光の玉になって空へと消えた。鈴木さんの伸ばした手が宙を掴む。
「みいちゃん……」
鈴木さんはその場にぺたんと座りこみ、ワンワンと声を上げて泣いた。そんな彼女にあたしはかける言葉が見つからなくて、ただ立ち尽くすしかなかった。
だから待った。とにかく待った。彼女の気持ちが落ち着くまで、あたしはひたすら待ち続けた。
どれくらい泣き続けたのか。ひとしきり泣いて落ち着いた鈴木さんはぐすっと鼻を鳴らしながら「ごめんね」と謝った。
「あ……いいえ……」
彼女はゴシゴシと制服の袖で涙と鼻水を拭くと、えいやっと勢いよく立ち上がった。それからあたしの前に背筋を伸ばして立つと、深々と頭を下げた。
「ありがとう、学園黒紳士さん!」
「あ……ええっと……その……」
答えに窮してしどろもどろになる。なんてことだ。あたしのことを学園黒紳士と勘違いしてしまったとは。これもそれも、この場に本物の学園黒紳士なるお師匠先生がいないせいだ。
「まさか、あなたが学園黒紳士さんだとは思わなかったよお。あなた、一年四組の飛鳥すずめさんでしょ? やっぱり有名人はやることが違うなあ。でも、ちょっとイメージが違うんだよなあ。あなたみたいな可憐でかわいい子が、いたずらまがいのひどいことをするはずないもんなあ」
鈴木さんがまじまじとあたしを見る。不本意ながら、あたしは学園内の有名人となっている。見た目が可愛いすぎるのも大変なのである。
「あの……すみません。あたし、学園黒紳士じゃないんです」
あたしは伏し目がちに答えた。鈴木さんが目をパチクリさせる。
「じゃあ、なに? なんでみいちゃんを連れてきてくれたの?」
「えっと……あたしはその……学園黒紳士の弟子……でして」
「え? じゃあ、学園黒紳士は別人なの?」
「ピンポーン。その通りでえす」
満を持して――とでもいうように、お師匠先生があたしと鈴木さんの前に颯爽と現れた。無論、学園黒紳士は正体不明の謎の紳士であるため、ピエロの仮面でバッチリ顔を隠している。
「あ、黒沼先生!」
「え? なんでわかっちゃった? ちゃんと顔を隠してたのに」
「そりゃ、誰でもわかりますよ」
あたしはやれやれとため息をついた。
仮面を被ったからバレないと思うあたりが浅はかである。だいたい、全身真っ黒な服装に、長いポニーテールの細身の男なんて、そんなに世の中にありふれていない。さらに言えば、ここは学校内である。特定できないはずがない。これからは服装と髪型にも気を配るようにと助言すべきだろうなとしみじみ思った。
お師匠先生は「じゃあ、いっかな」とすごすごと仮面を外した。前かがみになりながら、鈴木さんの顔を覗き込む。彼女は恥ずかしそうにちょっと上体を反らした。
「これで前を向けそう?」
女子たちがキュンキュン胸をときめかしてやまない超ド級のキラキラ笑顔を湛えたお師匠先生が尋ねると、鈴木さんはサッと居住まいを正した。
「はい! 本当にありがとうございました。これからはみいちゃんに心配かけないよう、一生懸命がんばります!」
「うんうん。それはいいことだ。ね? いいことだよね?」
どうしても「いいこと」という言質を取りたいらしく、お師匠先生が鈴木さんにゴリゴリと尋ねる。そんなことを知らない彼女は素直に「はい」と返事した。
「とってもいいことです!」
鈴木さんがそう答えた瞬間、クフっとお師匠先生が含み笑いをした。右手に持った黒いタクトを優雅に構える。
「それはどうもありがとう」
お師匠先生が大きくタクトを振るったと同時に、背中からばさりっと音を立てて真っ黒な片翼が姿を見せた。広がった翼が風を起こし、鈴木さんの前髪をさらった。丸いおでこが丸見えのまま、異形な姿を目の当たりにした鈴木さんはぽかんと口を開けるばかりだった。
お師匠先生の振るったタクトから桃色の星屑やハートが唖然とする鈴木さんへ、これでもかと降り注ぐ。途端、彼女の膝から力が抜けた。「はにゃあ」なんて口走る彼女の体はフラフラと不安定に左右に揺らめいた。お師匠先生が魔法で意識を遠のかせたんだ。
「すずめくん! クッション!」
「はっ……はいっ!」
あたしはズルズルと巨大スズメクッションを引きずって、今にも倒れそうになっている鈴木さんの横に備え付けた。完全に意識を失った鈴木さんがクッションの上にばふんっと倒れこむ。倒れこんだ鈴木さんから、すうすうという穏やかな寝息が聞こえてくる。
「さてと。まずはこれでひとつゲットだねえ」
うふふふふとお師匠先生は嬉しそうに笑った。あたしもほっと息を吐く。どうにか二つ目のいいことを達成できた。
「さて、残りを稼ぎにいかないと」
お師匠先生がるんたったとスキップして、その場を去ろうとした。あたしはそんなお師匠先生のポニーテールをむぎゅりと引っ張る。
「ちょ! 痛いじゃない!」
「痛くしたんだから当然です!」
「パワハラだ!」と憤慨するお師匠先生に「シャラップ!」と釘を刺す。
「彼女をこのまま捨て置くつもりなんですか!」
「別にいいじゃない。そのうち目を覚ますでしょうよ。それに、すんごくしあわせそうじゃない。起こすほうが可哀そうよ」
巨大スズメクッションで寝入る鈴木さんはお師匠先生の言う通り、とてもしあわせそうな笑みを浮かべている。
「誰かよからなぬ人に襲われたらどうすんですか!」
「こんな可愛らしい寝顔の女の子を襲えるヤツがいるもんか!」
「バカ言うな! 世の中には、お師匠先生みたいに視〇プレイが大好きなド変態ばかりじゃないんだよ! 本当の変態だってたくさんいるんだから!」
「ちょっとすずめくん! そんな#猥褻__わいせつ__#な言葉、どこで覚えてきたの! それに誤解だよ! 私はあえて触れることを自分に禁じてるの! そこらへんのド変態と一緒にするんじゃあないよ!」
「ド変態なのは認めるんですね」
「その点は否めないからな」
こんな不毛な言い争いをしていても、鈴木さんは一向目覚める気配がない。スヤスヤと安らかな寝息を立てる彼女を見て、襲うほうも気勢をそがれる可能性はなくもない。
「でも、夢オチにしちゃったんですから、ここは自室のベッドで眠っているのが一番なんじゃないですか?」
「それも一理あるか」と、ようやくお師匠先生は思い至ったらしい。
仕方ないともう一度、鈴木さんに向かってタクトを振るう。するとクッションも鈴木さんも一瞬であたしたちの目の前から消えてなくなった。
「これでいいかい?」
お師匠先生があたしに訊いた。あたしはこくりと力強く頷いた。
「それじゃ今度こそ行くよ」
そう言うと、彼はあたしの手を取って、颯爽ときれいな虹の掛かった夕焼け色の空へと飛び立った。
最初のコメントを投稿しよう!