悪魔とスタンプカード

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悪魔とスタンプカード

「すずめくうん。私、もう生きていけないぃ」  そう言って、お師匠先生はどっぷりとリビングに据え付けられた豪奢なソファに突っ伏した。  学校からほど近い市内の2LDKにて、あたしはお師匠先生と同居生活を送っている。昭和の後半に建てられた、ずいぶん年季の入ったレトロなマンションの室内は、お師匠先生の趣味で豪華絢爛(ごうかけんらん)なロココスタイルに様変わりしている。お師匠様手持ちのドールハウスをそのまんま自分の部屋にしてしまったらしい。  家具から小物に至るまで、たしかに彼所有のドールハウスそのままである。おかげで文明の利器たちは、可愛らしいぬいぐるみなどに姿を変えている。  クリクリとつぶらな目をしたクマのぬいぐるみの頭をむぎゅっと押し込めば、口からアツアツのお湯がゲエゲエ出てくるし、色とりどりの宝石が散りばめられた巨大オルゴールのふたを開ければ、ホクホクアツアツの白飯が炊き上がっているという具合である。  お師匠様(いわ)く、家電製品は彼の美的センスにそぐわないらしい。大好きな可愛いものに常に囲まれたいお師匠先生ならではの発言だ。実用性重視のあたし的にはまったく理解できない世界である。  そうぼやくと、お師匠先生は決まって「美的センスを与えておくべきだった」とぷうぷう言うが、趣味が合わないというだけで、ここまで言われるのは心外である。  それこそコンプライアンス違反だと言い返したい。言わないのはあたしが精神的にすごく大人だからなんだけど、きっとお師匠先生にはなにを言っても伝わるまい。  しかしながら、お師匠先生という生き物はほとほと困りもので、ここまで好きに室内をいじっておきながら、日々、山のような不平不満を積もらせている。  彼の主張はこうである。もっと可愛らしい外観がいい。メルヘンチックなお城に住みたい。白い壁、青い尖塔。下界を見下ろせる広いバルコニー。色とりどりのお花たち、エトセトラ。  あたしがちょっとでも気を抜くと、某夢の国のお城を再現しようとする。  目の覚めるようなメルヘンなお城がある日、突然現れたらどうなるか――と考えるたび、あたしはぶるりと空寒くなる。全国ニュース、しかもトップニュースで流れることになるのは想像に難くない。そんなことは心から勘弁(かんべん)願いたい。  あくまでもひっそりと人間界に紛れ込んでいる悪魔(とその弟子)の身の上なのだから、ここはおとなしく、郷に入っては郷に従えの精神を踏襲すべきだ――とお師匠先生の衝動が湧き上がるたびに説き伏せ、世間を賑わす危機を寸前で回避しているのである。  家着(いえぎ)である黒のメイド服に着替え終わり、やれやれと肩を落としてお師匠先生を眺める。彼の手には二十センチ四方の紙が握られていた。それをあたしに見せつけて「見よ!」と叫んだ。 「なんとグロテスクなデザインか! 美的センスの欠片もない! これは私に対するいやがらせとしか思えない!」   あたしはその紙をひょいっとお師匠先生の手からひったくると、面をあらためた。  縦横十マスずつの表になっていて、全部で百マスある。そのうち二マスに、実に艶めかしい真っ赤なキスマークスタンプが押してある。裏側を見ようと紙をひっくり返すと、アラビア文字みたいなものでなにか書かれている。さっぱり読めないけど、たぶん『いいこと達成カード』と書いてあるんだと思われる。 「たしかにスタンプのチョイスはアレですし、コンプしたときのことを想像すると気持ち悪いですけど……ちゃあんと一個、押してくれたじゃないですか」 「一個なんてありえないいいい!」 「なに言ってんですか! 一個でももらえただけありがたいでしょ! 下手したら、お師匠先生のお節介ペナルティで相殺されちゃうところだったんですよ!」 「なんだよお。すずめくんはいけ好かない天使野郎の肩持つってのかよお。思い出してごらんよ? みんな、すごく喜んでいたじゃないか。なのに『全部まとめて一個です』だなんてさあ。血も涙もない天使の所業とはこのことだ!」  お師匠先生は往生際(おうじょうぎわ)悪くぷうぷう唇を尖らせ、ちんぷりかえって(ふてくされて)いる。  だが、元を正せば天界のルールをぶち破ったのはお師匠先生本人である。正式な手続きを踏まずに、一瞬とはいえ、やれそれと猫たちを下界に降ろした罪は重い。おまけに勝手に飼い主たちの元に送り込んでいる。  突然の愛猫の訪問に腰を抜かした人や心臓発作で死にかけた人を出したのに、お咎めなしという処置は過分に寛大な処置だった。感謝こそすれ恨み節をつらつら口にするものじゃない。  ただ、お師匠先生の言い分もわからなくはない。たくさんのいいことをしたこともまた事実。悪魔である彼にしたら褒められるべきだと主張するのも頷ける。  彼の言うとおり、愛猫たちに会った飼い主さんたちは一様にしあわせそうだった。そしてまた、大好きな飼い主さんにもう一度抱きしめてもらえた猫たちも同じように皆、しあわせそうに笑っていた。猫が苦手なあたしでさえ、胸の奥がじんじん痺れたくらい、すごく、すごくいい時間だったんだから。  それに――とあたしはスタンプを押した天使の顔を思い浮かべた。  くりんくりんの長い金髪、バサバサのまつ毛、キラキラの青い目で、お師匠先生とはタイプの違う、ギリシャ彫刻張りに彫りの深いデミグラスソース顔のイケメン天使ミカエル。シミひとつ、シワひとつない純白の衣装に身を包んだ彼と、うちのお師匠先生はオムツをしている頃からの知り合いで、なにかにつけて二人は競い合ってきたのだという。  どんな競い事もお師匠先生の圧勝らしいが、これはあくまで本人談である。ゆえに真偽のほどはわからない。ただ、ふたりの仲はそれなりにこじれているっぽいのだけは、見るにつけ、聞くにつけ、わかるというもんだ。  今回の件に関しても、ミカエルさんは『全部で一個です』と、お師匠先生の全身の産毛という産毛を逆なでるようにニヤニヤ半笑いしながら言い放ったのだから。あの顔はお師匠先生ならずともムカッ腹が立つだろう。  現にあたしだって、相手が天界のお偉いさんでなかったら「なにニヤついてやがんだ、このすっとこどっこい」くらいは言っていたかもしれない。言わなかったのは、先にお師匠先生が「このイカレ〇〇〇野郎」と、考えられるかぎりの卑猥(ひわい)な言葉で罵り倒したからである。  あれは今思い出しても肝が冷える。スタンプを押してもらったあとでよかったと本当に思う。そうでなかったら、怒り狂った彼から繰り出される強力な雷撃で、カードはおろか、自分たちも消し炭になっていたにちがいない。 「まあまあ、そういじけないで。今日はお師匠先生の大好きなお子様プレート、作ってあげますから」  そう言うと、お師匠先生はソファからガバリと上半身を起こした。キラキラした少年のように澄んだ目であたしを見上げる。 「それじゃあプリンもつけてくれる?」 「ホイップクリ」ムにチェリーも添えてあげます」 「ブロッコリーはなしにしてくれる?」 「今日は許してあげましょう」  あたしは満面の笑顔で答える。お師匠先生はすっかり機嫌を取り戻し、お気に入りのパステルイエロー色をしたウサギのぬいぐるみ『みみたん』をむぎゅむぎゅと抱きしめ、うっふっふっと笑った。こうしてぬいぐるみと戯れている姿を見ると、高位の悪魔であるのが本当かと疑わしく思える。  でも、まあ。それがお師匠先生のいいところなんだろうけども。  お師匠先生にカードを返し、台所に向かったところで「すずめくん!」と呼ばれて、あたしは振り返った。 「なんです?」 「オムライスには……旗を立ててくれるかな?」 「ええ、もちろん。今日はネコちゃんにしますね」 「ヨッシャ!」と渾身のガッツポーズで喜ぶお師匠様に、世話がやける悪魔だなあ……と少々呆れながらも、彼と過ごすことになった第二の人生も、思ったほど悪くないと密かに思ったんである。 64bd5d99-f5e9-42fa-8ed0-0d76aaf478db (おしまい)
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