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 サワヤカがちょっとおしゃれな喫茶店でバイトした。一日だけ。そこにいたのが月野だ。サワヤカはバイトを一日しか続けられなかった。月野も同じ日にやめた。あれをバイトと言えればだけど。 「ここで働くメリットはトレンドがわかることだよね」  ある午後に、店長・沢田の店でサワヤカは満足げにうなずいた。トレンド。夏になるとネットでよく見るサングラス、大層レーシィな日傘、この街のことなどほとんどのっていないガイドブック。そんな夏の残滓が店には毎日届く。そういうものの中で私が一番好きなのは目覚まし時計だ。旅先にマイ目覚ましを持ち歩く層がわりといるのだ。そして、置き忘れる。それらの時計は、元の主人が設定した時間にアラームを鳴らす。大抵朝の7時から9時にかけて。土日にバイトするときは必ずその時間に店に行く。誰かのその日の残りに思い馳せながら時計を止めるのは嫌いではなかった。そういうのも確かにトレンドか。 「全然ちがーう」  サワヤカがむぅっと唇をとがらせながら一枚のこぎたない紙を私の顔につきつけた。カフェ・アンティーク、アルバイト募集中。この小さな街では評判の、先月できたてのカフェのバイト募集広告だった。サワヤカが破り取ってきたのだろう。その姿を想像したら微笑ましさを感じなくもない。 「ちがーし。駅前のタクシーの運転手さんがさ、立ちションしようと思って横道入ったら丸めた紙が落ちてて、トイレットペーパ代わりにしようと広げたらわりにちゃんとした紙だったから落としものだってわざわざあたしに届けてくれたんだよ」 「色々つっこみたいんだけど」 「よせよ。それよりラッキーだよね。これ、今朝貼ったばかりっぽいんだよ日付見ると。まだバイト決まってないに違いないからさっそく行く」 「バイト変えるの?」  びっくりした。サワヤカはずっとこの店にいるものだと思っていたから。 「そりゃね、看板娘のあたしが消えたらこの店はおしまいだよ。でも、あたしがこのカフェにいたら絵になるよ?」  卑下しないのがサワヤカのいいところ。  そういうわけで、絵になるサワヤカを見届けに、ふたりでカフェに向かうことにした。  サワヤカがうきうきとカフェ・アンティークの扉を開けた先から、知っている顔がふりむいた。同級生の月野しずく。アンティークな世界に白いレースのエプロンをつけた月野。絵になった。正直サワヤカ以上だ。月野はどこから見ても整った顔立ちをしていた。黒い大きな瞳は澄んでいてじっとみつめられると吸い込まれそうになる。大変絵になる。だけど、月野が喫茶店で働いているなんて、 「おどろき」  つぶやくサワヤカに月野はおどろき返さず、無表情のまま言う。 「いらっしゃい」 「そこっ」  サワヤカがつっこんだ。 「いきなり同級生があらわれたら、わあびっくりー、とかあるでしょ?」 「わーびっくり」  月野は美しすぎる棒読みで返した。そう、月野は見事に愛想がない。愛想のなさが完璧で気持ちがいい。しかし、それが客商売で成り立つのか。見た目がよければいいのか。それでいいのか!? 嫉妬とも言える私の心の叫びは置いておこう。  バイトの面接にきた旨をサワヤカが伝えると、月野は「わかった」とうなずいた。  そして無言で扉を指す。 「ん?」  と、サワヤカが目をやる。 「もっと」  月野の指示に従ってサワヤカが一歩進む。 「んん?」 「もっと」  サワヤカがもう二歩進む。扉に頭をぶつける寸前だ。 「ありがとうございましたー」  完璧な棒読みで月野が頭を下げる。 「ちょーっとぉ! バイト! バイト希望っ」 「いらない」 「は?」 「いらない」 「あたし、わりと可愛いよ」 「知らない」 「切ないよぉ」 「ほんと、いらない」  なげいてみせるサワヤカに塩をぶちまけそうな勢いだ。月野はいつも愛想も協調性もないのだけれど、この日は苛立ったような気配をにじませていた。そんな表情を引き出すなんてサワヤカはやっぱり偉大だ。ときおり時計を見るような仕草が気になる。 「彼氏でも来るの?」  冗談交じりでそう笑った私を月野は凄い顔でにらんできた。私の寿命はそのとき四年くらいは確実に縮まった。残りの高校時代、廊下ですれ違うたびにその顔でにらまれた。仕方ないから月野と同じ表情をし返すしかない。そんな状況では仲良くなりようもなかった。 「え? しずくちゃん彼氏いるの?」  と新しい声がカフェの扉を開けて入ってきた。二十代半ばくらいにみえる男の人。きらきらした好奇心全開で月野に笑いかけている。月野は腹を切るしかないと思っていそうな深刻な顔をし、ただしお前も道連れだ、と言いたげに私から目をそらさない。やばい、やられる。そうおびえる一方で、言葉を使わずこれだけ明確に意思を伝えることができる月野に感心する。  という状況でサワヤカだけは爽やかに手を振って見せた。 「あ、先輩ですか? あたし新人バイトに応募・・・・・・」 「あ、君、<落とし物屋>さん?」 「まあ、そう言われることもあります」 「すごい偶然だ! しずくちゃんのお友達?」  と、男の人は再び月野をふりかえる。 「いえ。同じ高校にかよう同学年の人です」  友達ではない、と否定する月野。 「お友達じゃん!」  善良な笑顔をふりまく男性。 「それならぜひ仕事をお願いしたいなぁ。あ、ちなみに僕が一応この店のオーナーです」 「喜んで!!」  くい気味にサワヤカが手を上げてのびあがる。 「たすかるなー」  と、店長は何故かハンマーをサワヤカに渡してきた。そして続いてもう一本を袋から取りだして、第二のバイト候補とでもみなしているのか私に手渡す。月野はすっかり無表情のままの棒立ちで、機能しているのかしていないのか分からない。 「ん?」  さすがにサワヤカが首をかしげると、店長は首をぽりりと掻いて「あぁごめん。説明が必要だね」と微笑んだ。 「僕の彼女が落とし物しちゃって」 「落とし物?」  サワヤカがハンマーを振り回しながら生き生きとした顔。 「できたら一緒に探してもらえないかな? この店にあるのは間違いないって彼女が強く言うんだ。しずくちゃんと一緒に探せって。探しても探しても出てこなくて。多分、床板の隙間にはいちゃったんじゃないかと思って。叩いて空洞がある場所の板は外せるからひとつひとつ見ていこうと思ってたんだ。ね、しずくちゃん? ほのかちゃんも、しずくちゃんの友達に手伝ってもらうならいいって言うよきっと」  カフェの店長にそう呼びかけられた月野はゆっくりと背筋をのばして、凜々しい声で言った。 「叩いて」  あの日、探した指輪はどんな形をしていたっけ。月野の手紙から顔をあげた私はしばらく考え、店に落ちる緑の光の先をたどる。そうだ、あれは子どものお小遣いでかえるようなグリーンのガラス玉のついた指輪。落とし物との出会いは何度も経験したから、そこに感じられる想いは様々だとわかる。人の想いは叩いて、壊れて、埋もれていく。八年前のサワヤカの声が再び流れ込んできた。   「やる」  サワヤカが嬉々として床をたたき出す。月野はサワヤカのたてる音に耳を傾けるようにじっとたたずんでいる。 「はい、じゃあ君は入り口の方から作業してね」  カフェの店長がにこやかに私に微笑んだ。念のため私の他に誰かいるか振り向いたが、影どころかゴミのひとかけらさえ見当たらない。どうして良いのかわからず首をかしげてしまう。私が返事をするのは期待されていなかったのか、カフェの店長はもう反対側で床を叩きだしていた。  仕方なくサワヤカの真似をして楽しげに床をたたき出そうとしたら、透きとおったような影が落ちてきた。月野だった。店にとり憑いている幽霊みたいにぼんやりとした顔で私を見下ろしている。瞳の色が透きとおるような茶色のせいかその目で見つめられると、体ごとすっぽり月野に飲み込まれそうな気分になる。こんな目をしていたのかと知る。月野は教室にいつくことはあまりなくて、授業が終わればふらりとどこかに出かけ、授業が始まる前にはいつの間にか戻ってくるようなタイプだった。ふと気づくといる。でも、面影をうまくつかんでおくことができない。目を合わせると私の中のもろい何かの固まりが、吸い出されてしまいそうで苦手意識がわいてくる。月野のことを苦手だと思ったのはこのときかもしれない。話しかけられると月野にひっぱられる。 「なんでここでバイト探してるって知ったの?」 「あぁ。落としもの」 「落としもの?」 「なんかぐしゃぐしゃになった紙が届いた」 「ちっ」  ん? 月野さん?  私が瞬きを繰り返している間にサワヤカが話し出す。 「すっげ素敵な貼り紙だったから代わりにうちのバイト先の店先に貼っておいたよ。そんで、一番乗りであたしがバイトの面接にきた」  いつの間に借りたのか可愛らしいエプロンを身につけハンマーを振るうサワヤカ。気づけば月野は今度はサワヤカをするどい目つきでにらんでいる。それでもサワヤカの作業を邪魔する気はないようで、窓辺に置かれていた観葉植物の、葉が黄色くなって枯れかけている部分をつみとって、くしゃっと丸めて土に埋める。仕上げにならすように土をかけ直した手つきだけ優しげだった。  月野の柔らかい仕草と真逆の音がした。 「あ! いい音した! しかもなんかすごい」 「ほんと!? おぉっ」  駆け寄ってきたカフェの店長とサワヤカは角度を調整するように頭をあげたりさげたりねじったりして床下をのぞき込んでいる。ようやく満足できたのか、サワヤカはちょいちょいと私を手招く。 「みてみ。ここ。ここから」  ぐいっと、私の頭を押さえつけるようにして先ほどまでのサワヤカと同じ角度に調整する。 「おぉ」  真似して出た声はカフェの店長のものだったけど、本当の自分の気持ちのような気がした。うっすら床下に色が変わって見えるものがある。 「あけよう」  そう言ったときには、サワヤカはもう床板を持ち上げていた。ぽこ。すんなりと、開いた。床板の下から現れた暗闇の中に緑のガラスがついた指輪が、かすかな光をはじきかえしていた 「落としもの」  サワヤカがうっとりと声をあげた。落としものというより隠しものだ。  指輪は思いのほかに古びていない。サワヤカはその小さな指輪を右手でつまみあげ、左手の欠けた小指でそっとぬぐう。 「なんであるのかわかる?」  サワヤカが月野をふり返る。ありふれたこたえを求めると言うより、月野しかしらない秘密をうながす問いかけだった。カフェの店長は月野を見上げて驚いたように目を丸くした。月野は何も言わない。言えなかったのだろう。さっきまでとは全然違う表情を浮かべていた。嗚咽をもらすことなく号泣していた。嘔吐くようにしゃくりあげるときもほとんど音をたてず、ひとしきり泣いた。その鮮やかな泣き姿を私はきっと一生忘れない。  落としもの。月野の手紙を脇に置き、私は体を起こす。店長・沢田の店は、とっくの昔になくなっている。今いる場所はほとんどがらんどうだ。なのに不思議なことが起きる。道を歩いていて、誰かが落としたハンカチや帽子なんかをみつけたときに、店長に教えなきゃ、と思う。店長が手続きをしたあと、サワヤカはどんな風に飾るだろう。窓辺で嬉々としてディスプレイをつくるサワヤカの姿が目にとまる。その仕草、その表情。古い記憶の断片の再現に心のどこかが遠くへ浮き上がる。でも次の瞬間には、私を邪魔そうに横目でみて瞬く間にすり抜けていった人たちの後ろ姿が目に入り、どうしようもない吐息をつく。  思い出はその時々の私に必要な色に勝手に彩色され、時を超えて私を揺さぶる効果を持つ。今の大人の自分が仮の姿だと信じたくなるような気分になり、同時に決して戻れない時間を突きつけられる。  人はなぜなくしたものを懐かしむのだろう。  なぜ手に入れられなかったものに固執するのだろう。  かつて目の前にあった時間の方が尊く感じるのはなぜだろう。  どれも私にはいまだにわからないことばかり。サワヤカにききたいことばかり。  八年前の月野と同じように泣ければ良かった。
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