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 サワヤカの骨は白くて軽くてささやかに鳴った。  患いをしていたときいたけれど最期は事故だった。あっけなくて、あっという間で、私が長野に旅行にいっていてサワヤカに土産のリンゴ飴なんて選んでいるときには彼女はもう同じ世界にはいなかった。サワヤカの兄(通称、店長・沢田)から連絡があったときのことも、葬儀の日のことも、それよりずっと前の時間のことも、もう良くは思い出せない。ただ儀式としての神妙な空気の中に、ふと我にかえるような隙間があって、冷蔵庫の中のパテの賞味期限なんて考えていた。  そのパテはサワヤカに頼まれて毎年取り寄せていた物で、サワヤカが良く合うワインを買うことになっていて、あいつまた自分ひとりでワイン飲み切っちゃったんじゃないかな、とか、それなら怒るべきなのかなとか考えていた。時間はのびてちぢんでどこにいるのが正解なのか良くわからない気持ちになった。  火葬場。黙って食事をするものかと思っていたら、わりと和気あいあいで驚いた。サワヤカと店長・沢田はずっとふたりで暮らしていた。両親の顔を今となっては思い出せもしないと高校生のサワヤカは何かの拍子に話していて、同じく母親は画像データでしかみたことない私は、まあそんなものだと聞き流し、事実関係を確認するのをすっかり忘れていたりする。そういう背景が関係あるのかないのかわからないが、あまりサワヤカとは結びつかない類の人たちがその場にはやってきていて、ビールを陽気に飲むおじさんや、寿司を大量に頬張る子どもたち。火葬場という独特の場所で、思いのほか普段通りに過ごしている光景が興味深くもあった。その気配の中にサワヤカに似ているものがあってふり返る。店長・沢田だった。周囲にならって頭を下げる。いつもよりぼんやりした顔で、店長・沢田は私の隣にやってきた。サワヤカに似ていると思ったことは一度もないけれど、黙って座り、お茶をいれ、はぁーとため息をついたその緩んだ表情はサワヤカにそっくりだった。 「みーんな、良く食うなぁ」  この度は、みたいなことを言うべきだと知ってはいたけど、店長・沢田のその一言で全部ふっとんだ。場は朗らかと言っても過言ではない空気が流れ出し、ビールを抱えた人が部屋を右に左にと横切っていく。大きなテーブルが置かれていて、偽物っぽいつやつやの木目がよく見える。楕円にのびる木目は中心からのびて、私と店長・沢田の前でぷつりととぎれる。 「新しいお店の調子はどうですか?」  何屋だったかは忘れた。 「アルバイトの大学生がよく働いてくれるから大丈夫そう」 「よく潰れないですよね」  店長・沢田は笑った。 「それ、俺も知りたい」  かつて、店長・沢田は<落とし物屋>をやっていた。全国の警察署に届けられる落とし物が近年増加し、職員の業務を圧迫しはじめた背景から遺失物特別販売業者の認定制度がはじまってすぐに、当時大学生だった店長はまっさきに手を上げた。認定番号0001。正真正銘の一番乗りだった。その番号はまだ手放していないと言う。 「いつかなんかの役に立つかも知れないからね」  その番号があれば落とし物を拾ったり預かったり。そして、規定の保管期間が過ぎたら店で売ることができるようになる。なぜ店を閉めたのかはききそびれたまま。 「西川さんがはじめて店に来たときのこと覚えてるよ」 「私は忘れました」  言った後に、あぁこれは嘘だと気づく。がやがやとした周囲の雰囲気が余韻を残して遠ざかる。私はもう半分以上、あの日の店に足を踏み入れていた。店長・沢田が続きを言うのを待つ。店長・沢田は、黙ったままだった。黙ったまま、私たちの座る背後にある窓に顔を向け、まぶしそうに目を細める。手を伸ばして窓を少しあけた。店長の指先をたどるように、風がすっと入り込み、あっという間に部屋の中を洗うように駆け回る。かけはなれた場所にいるように騒いでいた人たちが、うわ風風、と慌て出す。私は、その時はじめて私はこの見知らぬような人たちと同じ場所にいるしかないのだと知った気がした。あの店にはもうたどり着けない。どうしようもない気持ちがひたひたと体の内側に満ちていく。きっと、そろそろ満潮だ。あと数時間もすれば見知らぬ人たちと一緒に私はバスに乗って電車に乗って、どこかでひとりになれたら空でも眺めて家にたどり着くはずだ。長い夜をどう過ごして良いのか分からず電話をできる先をひっきりなしに探して、スマフォを眺めて明けていく夜を迎えたかも知れない。  だけど、店長・沢田は私の未来予想の邪魔をした。 「これ、昨夜届いたんだ」  あまりに突然目の前に差し出された包み。 「私に?」  と首をひねって袋に貼られた送り主をみて驚いた。サワヤカだ。送り状に書かれた文字は確かに長年見慣れたサワヤカのにゅるっと延びた書き文字だ。袋を引きちぎるように封を開けると黒い手袋が片方と黄色いマニキュアがこぼれでる。思い出せない何かが私の記憶をくすぐった。手袋の内側についている白いタグにはすっかりかすれた書き文字のあと。元々何と書いてあったのかわからない。その曖昧な文字と反比例するかのように、いつどこでこの手袋を見つけたのか明瞭な記憶がわきあがる。  それと同時に、私とサワヤカがかつて過ごした時間のはじまりを思い出す。寂しさをゆらす別の感情がわいてくる。 「どうしてこれが?」 「さぁ、サワヤカからだから。書類も完璧だな。ほら、一時保管者として西川さんが指定されてる」 「でもこれ・・・・・・」 「西川さん次第。好きにしていいよ。サワヤカとずっと親友でいてくれてありがとう」  店長・沢田はそれだけ言うと親族らしき人たちの輪の中に戻っていった。サワヤカと親友。本当に店長はそう思ってくれていたのだろうか。残されてしまった言葉が重くて、言い出せなかったことがある。  サワヤカからもらったものは実はもうひとつある。私はポケットに忍ばせていたそれに手を伸ばす。灰色のカセットテープ。私の知らないメーカ名だか製品名だかが印字されていて、その文字自体が今はもう見ないようなそういうフォントだった。当然だ。私が生まれる前に作られて、声をふきこまれ、捨てられて、店長・沢田とサワヤカに拾われて、そして今ここにある。カセットテープに封された声を聴くように、私はテープを耳にあてる。  八年前のサワヤカの声が聞こえてくる気がした。 「わたしが死んだらさ、西川に形見分けしてあげるよ」 「お金?」 「無粋だねぇ」  心底呆れたというサワヤカの表情から、なるほど無粋なのだと学んだ。 「そうじゃなくて、この部屋にあるもの3つあげるよ」 「この店の中? 落とし物ばかりだよ」 「だから良いんだよ。あたしが好きなの三つ選んでおくから」 「私が選ぶんじゃなくて? サワヤカが選ぶの?」 「当然」  そんなサワヤカとの会話を思い起こす。
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