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 店長・沢田から受け取った書類を何度も見直してしまう。書類の上には認定番号0001。その横には私の名前が記載されている。私が想像できていた色々な物事をとっくに超える場所に来てしまったようで少しこわい。それでも上をみると天窓からいつだって曇り空がみえて、光が落ちてきて、部屋の中にやわらかな陽射しがゆれる。四年ぶりに営業再開する店の中は思っていたほど綺麗にディスプレイできなくて、色々なものが入り交じってしまった。おばちゃんの部屋に置いてあったものが多い。橋山くんの手袋もあるし、月野の指輪もある。私を取り込んでいる落とし物たちはよそよそしくみえるけど、手に取ってみるともう少し感じ取れることがある。目の前にあるスノードームには一本の細い道に小さな家、ふんわりと花びらのような雪が積もっている。ゆらす。雪のつぶが散る。ドームのガラスは欠けていて、小さな絆創膏がはられている。もう一度ゆらす。家の中からこちらをみている男の子が目を丸くしている。何度も見ているのにそこから私を眺めていたなんて気づいていなかった。私はスノードムを棚に戻す。  おばちゃんと橋山くんは今日遊びに来てくれる。月野は今、砂漠に恋をしているそうで、日本にいない。そのうち、砂を送ってくるかもしれないから覚悟しておこう。  扉をあけて、外に出る。夏の暑さは変わっても、八月は相変わらずちゃんと戻ってくる。外から店の窓をのぞき込む。記憶を組み立てるように作り上げたディスプレイ。カセットテープをひとつだけ飾っている。まだ値段はつけることができていない。通りには夕立の名残の水たまり。空に浮かぶ雲を映す。走り抜けた自転車の車輪が少しかかって水を散らす。私の服には飛んでいないように思えたけど、ある朝小さな染みをみつけるのかもしれない。とっくに今日の出来事を忘れてしまった、そんなときに、がっかりしたりする。その日に備えて、あさがおを植えようと思った。今年はもう遅いかな。じゃあ花は来年にして、今日はいくつか花を買って帰る。花は数日後に枯れて、捨てるときになくしたものをふり返るのかな。干からびた花びらが本からこぼれ落ちたりすることもある。  そんな風に、なくすどころかまだ手にしていないものに思いをゆらす私の目は店長・沢田がゆずってくれた店の看板を見つめ直す。<落とし物屋>と書いてあるこの看板に、顔を近づける。鼻から吸った空気がつん、とかすかな記憶と突然にむすびつく。   いまだに少しも古びた感じのしない八年前の八月の昼下がり。私とサワヤカに、おばちゃんは笑いかけた。 「あのさ、あんたらつきあってんの?」  からかっているふうではなく、素直な好奇心におされた言葉のようだ。 「今んとこはまだ」  サワヤカがあっさり返事をする。  今んとこはまだ。確かに。私もうなずいた。  今んとこはまだ。サワヤカがそう言ったとき、どんな響きがその声にあっただろうか。長きにわたって私の中で、深く眠っていたその声は、思い出したときにはかすかすでなんの色彩も残ってはいなかった。  恋はあったのだろうか。私とサワヤカの間にも。「つきあってるの?」「今んとこはまだ」それは告白ではなかったのかと八年たって思い当たったのだった。意識しようにもサワヤカは川を隔てたところに行ってしまったわけだから、そうだったのではないか、と私が勝手に想いこねるしかない。 「想いこねるとか図々しいね」  と、サワヤカが私を指して笑った気がした。だけど道路脇の街路樹のあたりには誰もいない。夏真っ盛りの葉っぱばかりだった。緑の葉に広がる光がまぶしすぎたのだろうか。私の目からぽろりと涙が一粒こぼれ落ちた。
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