第2話  花咲村への疎開

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第2話  花咲村への疎開

 昭和十九年。  日本は第二次世界大戦の末期にあった。  敵国の攻撃目標となる都市に住む学童を中心に、田舎に避難させる政策を掲げた。   集団疎開、学童疎開と呼ばれるものだ。  人見(ひとみ)かえでは、愛知県(あいちけん)名古屋市(なごやし)に住む国民学校五年生。  昭和十六年に、尋常(じんじょう)小学校から国民学校に名前が変わった。  だから初等科五年生と呼ぶのが正式である。  父親の出身地である岐阜県大垣市近くにある花咲(はなさき)村という山間にある小さな集落へ、弟である一年生の岳斗(がくと)と二人きりで疎開することになった。  縁故疎開と言われている。  村には父の両親が農業を営んでおり、かえでたちには祖父母にあたる。  花咲村は総人口七十人ほどであったが、男性は老人を除いてすべて出兵していた。  したがって村を守っているのは数十人の老人、主婦である。  そして子どもたちがいた。  花咲村の国民学校は分校であったが、小さな木造校舎と運動場があった。  先生は隣の町から赴任してきた、二十歳代半ばの中間(なかま)栄美(えみ)という若く美しい教師。  二人が疎開してきた翌日。  中間先生の後ろについて、かえでと岳斗は教室へ向かう。  転校なんて経験のない二人は、緊張で顔が硬直していた。  髪を後ろでくくり、半そでシャツにモンペ姿の先生は、全員がそろう教室で爽やかな笑顔で子供たちに朝の挨拶をする。  男子生徒は色あせた紺色の学童服に丸刈りの頭、女子生徒は名前を縫い付けたシャツにモンペ姿であった。髪型は全員がオカッパだ。  もちろん、かえでも岳斗も同じである。 「みなさん、今日から一緒に勉強するお友だちです」  かえでは不安そうに下を向いたままの岳斗の手を握り、お姉さんらしく気丈にまっすぐ前を向いている。  だが心の中では岳斗よりも本当はコワかった。  見知らぬ五人の目が、じっと見つめているのだ。  オカッパ頭を片手でかき上げ、勇気を振り絞って挨拶する。 「人見かえでって言います。  名古屋市から、えーっとソカイ? でこちらに来ました。  あのう、よろしくお願いします」  横の岳斗は声を出さずに、丸刈りの頭をちょこんと下げた。  年齢がまちまちの生徒たちは興味津々の視線で、黒板の前に立つ二人を見ている。  開け放たれた窓からは梅雨前の涼やかな風が、優しく吹きぬける。  横並びの、小さな木製の机。  窓際に座っていた丸刈りの生徒が、椅子から立ち上がった。  太い眉にギョロリとした大きな目。  大きな体つきだけ見ると、ガキ大将のようだ。 「ぼくはここの学級委員で、坂巻(さかまき)慎太(しんた)。  よろしくね!」  ニコリと破顔した。  その笑顔はとても明るく、頼りがいがありそうである。  学級委員を務めるのもわかるな、とかえでは思った。  かえでは慎太の挨拶にドギマギしながらも、頭を下げる。  慎太が立ったまま拍手する。  それを見ていた全員が同じように両手を鳴らした。  先生はうなずき、かえでと岳斗に言う。 「彼はね、最上級生の六年生よ。  さあ、みなさんも順番に自己紹介しましょう」  昨夜は祖父母の家で不安のためほとんど眠れなかったかえでは、ようやく肩の力を抜いてホッとした。  六年生の慎太を筆頭に、四年生の幸吉(こうきち)照美(てるみ)、三年生の夕子(ゆうこ)は慎太の妹、一年生の寛治(かんじ)は照美の弟である。  慎太たちは都会からやってきたかえでと岳斗を物珍しげに眺めながらも、すぐに仲間として受け入れてくれた。  ただでさえ子どもが少ない過疎村なのだ。  友だちは多いほうがなにかと都合が良い。  授業は午前中だけ。  お昼はそれぞれが家に帰って昼食をとる。  先生が教室を出ると、布の袋に教科書を入れた慎太がかえでの座る机に寄って来た。 「お昼ご飯食べたらまた学校へ来て校庭で遊ぶんだけど、きみらもおいでよ」  かえでより頭一つ分大きい慎太は、坊主頭をかきながら誘ってくれる。  四年生の照美が素早くやってきた。 「あらぁ、慎太くん。  かえでちゃんのことが気に入ったの?」  からかわれた慎太は顔を真っ赤に染める。 「ち、違うさ!  ぼくは学級委員だから。  みんなの面倒をみなきゃあならないんだ」  その声に全員が集まって来た。 「どうしたの?」 「なんでもないよっ。  さあ、帰ろう。  いつもの時間に校庭に集合な」  慎太はそれだけ言うと、プイとそっぽを向き大股で教室から出ていく。 「待ってよぉ、おにいちゃーん」  妹の夕子が後を追いかけていった。  ~~♡♡~~  かやぶき屋根の家々に、田んぼには緑色の苗が競うように広がっている。  近くには川が流れており、絵心があれば一枚は描いておきたい風景だ。  B二十九(ビーにじゅうく)と呼ばれる敵国の戦闘機がわき上がる暗雲のごとく空を覆い、雨だれのように爆弾を投下していく。  戦火に包まれる町での出来事がまるで別の世界のようである。  かえでは土の道を岳斗と歩きながら、時おり空を確認する。  こんな田舎に爆撃機が飛んでくることはないのだろうけど、両親から岳斗の面倒を任されているからには、姉として確認を怠らない。  祖父母とちゃぶ台を囲んで、お昼ご飯は白いお米のおにぎりをいただいた。  祖母のつけた糠漬(ぬかづけ)は少し塩辛いが、風味が格別だ。  かえでが午後からまた学校へ行くことを告げると、陽に焼けた顔に笑みを浮かべた祖父が言う。 「おや、もうみんなと友達になったのかい」 「うん。  最初はちょっと恥ずかしかったけど、みんな、拍手してくれたんだよ」  祖母は岳斗の頭をなでながらうなずいた。 「昔はもっとたくさんの子供たちが、いたんだけどねえ」  かえでは片づけを手伝い、岳斗を連れて学校へ向かった。  田んぼのあぜ道を歩いていると、照美と寛治の姉弟が後ろから走ってきた。  寛治は岳斗が同級生であることから、すぐに打ち解けたようだ。  二人とも五年生のかえでよりも頭ひとつ分小さい。  イガグリ頭が並んでいると、なんだか面白いな。  かえではクスッと笑う。 「かえでちゃんたち、エライなあ」  照美は人懐っこそうな目で、かえでを見た。 「えーっ、どうして?」 「だってえ、お父ちゃんやお母ちゃんと離れて暮らすんでしょ」 「うん。  ソカイだって言われてるから」 「わたしは平気だけど、寛治は未だにお母ちゃんと一緒じゃないと夜は眠れないんだよ」  それを耳にした寛治が、立ち止まって照美を蹴ろうとした。 「そんなことないやい!」 「あははーっ。  本当のことだもんね」  走って逃げる照美を追いかける寛治。  かえでは岳斗を見た。 「仲がいいね」 「うん。  ぼくは平気だからね、お姉ちゃん。  もう一年生なんだから」  岳斗は口元を尖らせながら言った。  かえでは「そうだね、一年生だもんね」と応えるが、本当は岳斗が寂しい思いをしていることは知っている。  でもそれは口にしない。  町の小学校ほど広くない校庭にはすでに慎太たちが来ており、竹を切りだして作ったお手製の竹馬に乗って遊んでいた。  子どもたちは少国民(しょうこくみん)と呼ばれており、心身を鍛えて強い日本の国をつくる人間になるための教育が実施されている。  国定教科書により、木銃による軍事教練も課せられてはいるが、戦火からほど遠いこの村ではそこまで口うるさくする大人はいなかった。 (第3話へつづく)
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