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香水
「亜希子、お前またその香水かよ」
私が愛用している香水に、紘孝はケチをつけた。
世間が待ちに待ったゴールデンウィークの初日。どこかへ出かければいいものを、私たちは紘孝の部屋から出ようとしない。結構なお値段のするソファに腰掛けた紘孝は長い足を組んでメンズ雑誌を開き、その隣に座っている私は、用意されたシフォンケーキにフォークを伸ばしている。私が来るのに合わせて必ず何かしらのスイーツを買っておいてくれる紘孝は、愛想のない話し方とは裏腹に意外と甲斐甲斐しい。言葉ではなく行動で示されるその気遣いが毎回嬉しくて、自分で買って食べるよりも美味しく感じられる気がする。
「いいじゃない。紘孝だってつけてるし、香水は嫌いじゃないでしょ?」
「そういうことじゃねぇよ」
じゃあなに? と私はシフォンケーキを頬張ったまま隣の紘孝を見やる。すると紘孝は食ってから喋れと言って呆れた表情を浮かべ、読んでいた雑誌をテーブルの上に置いた。私はゆっくりとケーキを味わい、空になったお皿とフォークをテーブルの上に置いてから、再度問う。
「この香りが嫌なの?」
「それ、メンズものだろ」
「そうだけど、好きなんだもの、この匂い」
私は胸元の服をぱたぱたとはたいて、そっと匂いを嗅いだ。
確かにいまつけているのは、メンズものの香水だ。やけに鼻につくレディースの香水よりはよっぽど落ち着いていて好きなので、最近特に気に入って使っている。でも、紘孝から香水のことで苦情が出るのは初めてだ。
「メンズものだから嫌なの?」
私はまた問うけど、紘孝は答えない。その代わりに手のひらでこっちに来いと私を呼び、紘孝の方に上半身を寄せた私の唇をあっさりと奪った。
「なに?」
「やっぱりやめろ、その香水」
「だから、どうして?」
まるで猫みたいに気まぐれな紘孝はキスひとつで満足したのか、ごろりと身体を横たえる。その重い頭は、私の膝の上だ。
「こら、人の膝を枕にしてないで答えなさいよー」
「なんか男といるみたいなんだよ」
疲れているのか、紘孝はそう言ってすぐに目を閉じてしまう。
そういえば、昨日一か月ぶりくらいに定時で退社できたと言っていたっけ。一か月以上も定時退社できないほど、紘孝のいる部署は忙しいらしい。私の仕事も決して暇ではないけれど、さすがに一か月間定時退社できないなんてことはない。
紘孝に蓄積した疲労が少しでもやわらげばいいと思って、私は彼のやわらかな髪をゆっくりとなでた。太ももに感じる彼の体温が温かくて、なんだかぽかぽかした心地がしてくる。
「それが嫌なのね」
返事はない。紘孝の沈黙は、まるで拗ねて口をきかない子供のように続く。
私はソファの背もたれに背を預けて、膝の上の大きな子供の頭をなで続けた。
「気にしなければいいのに」
「気にする……というより、気になるんだよ」
「うーん……なんかね、紘孝に包まれている感じがするのよ」
紘孝が使用している香水と同じというわけではないけれど、なんだか紘孝がすぐ隣にいてくれるような錯覚を起こす。メンズものをあえて使う理由のひとつは、たぶんそれだ。
「お前な、言ってて恥ずかしくねぇの」
「ほんとよ? 女性用の香水の鼻につく感じにちょっと飽き飽きしてたから、単純にこの香りが好きっていうのもあるけど」
そう言うと、猫のような子供のような紘孝は身体を起こし、今度は私の腕を取ってもう一度ソファに横になった。仰向けの紘孝の身体に密着するように、自然と私は紘孝の上に寝転ぶ。
「そんなの、香水に頼らなくてもいつでもしてやるよ」
「え?」
「包まれるってやつ」
呟く紘孝の声はぞっとするほどセクシーで格好よくて、それだけでとろけてしまいそうだった。
「紘孝、キスしていい? さっきしてもらったから、今度はお礼」
「好きにしろ」
私は目を閉じ、紘孝のやや薄い唇に自分のそれを重ねる。紘孝からは紘孝の香水の匂いがして、私からはメンズの香水の匂い。確かに、キスの時に香る匂いがメンズものじゃ、男性とキスをしている気分になるかもしれない。
「そうね、ちょっと複雑かもね、この匂いは」
「全然足りない」
「えっ……あ、ちょっ、こらっ!」
短いキスが終わってニヤリと口元を上げたかと思ったら、紘孝は私のスカートの裾をまくり上げて、その中に手を忍ばせてきた。
「そういうことをする休日じゃないの!」
「亜希子が今後一切メンズの香水を使わねぇなら、今日はやめといてやるよ」
「なんかそれってフェアじゃない!」
「いいから、おとなしく気持ちよくなっとけよ」
「だからっ! あっ……」
結局その後、ソファの上で絶頂を迎えさせられた。せっかくのゴールデンウィークは、このまま怠惰に流れていきそうだ。
そういえば、この香水はもうすぐなくなるはずだ。同じ香水を買うか、それとも紘孝の要望に合わせて買わざるべきか。彼の吐息が耳にかかるうちは、そんなことも決められそうにない。
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