其の一.何かいる。

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――ネズミか。  激しく踊り始める心臓を落ち着かせようと、片頬を無理やり引きつり上げて笑ってみる。  この家は築四十年。俺にとってネズミは、物心ついた頃からともに暮らす仲間みたいなものだ。天袋を開ければ痩せたチョコボールみたいなネズミの糞が必ず散乱していたし、賑々しく真夜中の運動会をおっぱじめることもしばしばだったから。  ネズミなら大丈夫だ。乱れた呼吸を整えるべく大きく息を吸って吐く。  ネズミにしては少々大きすぎる気もしたが、ネズミ以外だと認めた瞬間俺の体は動かなくなるだろうから、その懸念を強制的に思考の枠外に押し出すと、その「ネズミ」を布団の上からどけるべく、俺はえいとばかりに右手を暗闇に突っ込んだ。  手首から先が、暗黒に溶けて見えなくなった、瞬間。  右手を包み込んだひんやりした感覚に、心臓が握りつぶされたかと思った。   ほとばしり出そうになった叫びを必死で喉奥に抑え込みつつ、夢中で右手を引く。体中から冷や汗が吹きだすのを感じながら、押し入れの奥に広がる暗黒に恐る恐る目を向けるも、漆黒の空間に浮かび上がっているのは、はみ出したふとんの端切れだけだ。    ――何だ? 今の……。
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